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【オリジナル小説】鬼化事件の収束と友人アルの活躍について①

 老紳士の髭のような雲が空の九割を占めている。エドは雨が嫌いだった。一雨きそうな天気に自然とため息が出る。
「何」
 親友のアルが素っ気なく訊ねた。
「あー、別に。ただ、雨降りそうで」
 窓際の椅子から降りながら答える。さして興味もなかったのか、アルはふーんという表情で目の前のパズルに集中していた。
 コンコン
 ノックの音がして、部屋のドアが開いた。
「そろそろ時間よ、エドヴァルド」
 エプロン姿のハーパー夫人は、エドが素直に頷くのを見てキッチンへと戻って行った。開いたドアの向こうからチキンのいい匂いが漂ってくる。
「いいな~アル、今日はチキンか」
「君のお母さんだって料理上手いでしょ」
 それはそうだが、エドには家に帰り辛い理由があった。それは彼の性的指向である。自分がゲイだと気づいたのは最近のことだ。そしてそれを、両親は歓迎しなかった。
「エド、またね」
「ああ、また」
 部屋を出たところで他の子どもたちに声をかけられ、挨拶を返して、施設を出た。
 施設から家まで、歩いて三十分ほど。エドはなるべくゆっくりと歩いた。遅くなって怒られることはわかっていても、家にいる時間が長引くよりはマシだった。案の定母は、
「学校が終わったら、まずまっすぐ帰りなさいって言ってるでしょ!」
と寄り道したことを叱った。父はこちらを見ることなく、黙って夕刊を読んでいる。
 ふと、テレビのニュースが耳に入ってきた。母もお説教を中断して耳を傾けている。
「〝鬼〟による被害が拡大しています。○○市では今日、百名以上に鬼化の兆候が見られ――」
「やだ、○○市? 近くじゃない」
「二人とも、気をつけなさい。エド、母さんの言うことはちゃんと聞きなさい」
 父は夕刊を畳んで席を立った。明日の朝は早いらしく、もう夕飯は済ませた様子。エドは母に促されるまま食卓に着いた。今日のおかずはアジフライだった。

 学校の行事で、アルのいる孤児院に一週間宿泊することになった。特別講義を受けたり、レクリエーションで親睦を深めたりする。食事は出るが、掃除や洗濯は自分たちでやる。それは面倒だったが、普段関わりのない子たちとのレクリエーションは楽しかった。孤児院の子たちは、エドの学校の子たちに比べて驚くほど優秀だった。学校も兼ねている特殊な院だとは聞いていたが、そのレベルは遥かに高いらしい。
 その中でも、アルは異質な存在だった。ずば抜けて優秀で、いつも一人、パズルやら数独やらを解いている。周りの子はそんな彼の扱い方がわからないのか、敬遠していた。エドのクラスメイトたちも、初めは話しかけたりしていたが、波が引くように自然と離れていった。
 エドにはそれが不思議でならなかった。確かに愛想は良くないが、決して悪い奴ではない。それなのに、他の子は一緒にいるとどうにも居心地が悪いらしいのだ。
「一位、アルヴィン・モス」
 集団宿泊の最終日、テストを受ければ、アルは当然のように満点をとった。普段成績の良いほうであるエドでさえ、平均点をとるので精一杯だったテストだ。ハイタッチを仕掛けて無視されたが、エドはますますアルのことが気に入った。
 テスト返しが終わり、皆が各々談笑していた時、村役場のスピーカーから警報が鳴り響いた。
「緊急警報 緊急警報 村内で初の鬼化が確認されました。村民の皆様は、落ち着いて避難してください。繰り返します――」
 途端にザワつく教室内。先生たちが落ち着くよう諭し、施設中の戸締りをするよう言ったその時。
 ガシャーン‼
 階下からガラスの割れる音がした。
「キャー!」
 女子生徒が叫び出し、あっという間にパニックに陥った。逃げ惑う人々の波を押しのけ、エドはアルのもとへ向かった。
「アル! 平気か?」
「うん……」
 あまり平気そうではない。とりあえず、どこか安全な場所へ――
「ぐああああ!」
 突然のうめき声に振り向くと、先生の首筋に喰らいつく鬼の姿。ヒートアップする教室内とは裏腹に、エドは不思議と冷静だった。先生を助けなきゃ、とは思うものの、とてもじゃないが近づけない。エドは、徐々に鬼化していく先生をただ見守っていた。
 完全に鬼と化した教師は、手近にいた生徒を襲い始めた。生徒たちは教室を飛び出し全力で走り回る。エドはアルの手を引いて階段を駆け下り、屋外へ出た。そこには大量の鬼たちがいて、道行く人々を次々と襲っては鬼化させている。もう警報は鳴っていない。阿鼻叫喚――。エドは最近覚えた四字熟語を思い出した。まさに、地獄絵図だった。
 足の速いエドは、何とかアルを引っ張って自宅へ向かった。しかしそこに、両親の姿はなかった。父は仕事に行っている時間帯なので当然だが、母までいないとは。仕方なく、二人は危険な村を出ることにした。
 走って走って、とにかく走った。隣町の漁港まで来た時、ついにアルがへたり込んでしまった。
「アル! 悪い、飛ばし過ぎたな」
「僕が体力、ないから……」
 いつの間にか、辺りは暗くなっていた。アルの息が整うのを待って訊ねる。
「今夜の寝床、どうする?」
「そうだね、寝込みを襲われたくないし……っ」
 アルは唐突にエドの腕を引っ張ってしゃがませた。
「な、何だ⁉」
「しっ……鬼だ」
 建物の向こうから、鬼がこちらに向かって来ている。どうやらまだ二人の存在には気がついていないらしく、その動きは緩慢だった。しかしこのままでは気づかれてしまう。
「アル、こっち」
 エドはアルを連れて堤防を降りた。下には海の中に続く梯子がある。二人は梯子につかまって、水中に身を隠した。人生で一番長い時間だった。運よく、鬼はそのまま遠ざかって行った。
「っふ~う、助かった……」
「でも、びしょ濡れ……」
 服の裾を絞りながらアルが言う。確かに、濡れたまま外で夜を越せるほど暖かい季節ではない。
「くっついて寝る?」
「やだ」
 にべもなく断られた。どうしたものかと思案していると、近くにある店のシャッターが開く音がした。警戒しながらそちらを見ると、少しだけ上がったシャッターの下から覗く顔。鬼化はしていないようだ。その人物は、二人に向かって手招きをした。
少女はビアンカと名乗った。ここ「フラワーショップ シーウェル」の店主の娘らしい。彼女はエドたちの十歳上で、十七歳だという。濡れた二人をお風呂に入れ、着替えを貸してくれた。
「ありがとう、ビアンカ」
「ビーでいいわ。みんなそう呼ぶから」
 ビーは温め直したスープを二人の前に置いた。コンソメ味の野菜スープ。今の二人には何よりもご馳走だった。
 身も心も温まった後、三人はお互いの状況を報告し合った。ビーの両親も出張先で音信不通だという。
「きっと無事でいるわよね」
「うん。信じよう!」
 ビーは二人を両親の寝室へ案内した。

 アルは夜中に目を覚ました。妙な音がするのだ。寝室から出て、音のする方へそっと近づく。フラワーショップになっているエリアのドアを開けると、鬼がシャッターを食い破っているところであった。
「エド、起きてエド!」
 アルは急いでエドを起こし、次いでビーの部屋へ行った。彼女を起こして逃げるためだ。しかし鬼はすでに建物の中へと侵入してきていた。
「どうしよう……」
 三人は固まって震えた。鬼は植物たちをなぎ倒してこちらへ向かってくる。その時、鬼が一際大きなガジュマルに躓いて転んだ。鬼はそれを邪魔されたと思ったらしく、そのガジュマルに噛みついた。
 次の瞬間、ガジュマルにトゲが生えだした。ムクムクと動き出したガジュマルは遂に立ち上がり、絡まるようにまとまっていた枝をほどいて鬼に向かって振り回した。鬼はガジュマルの強烈な攻撃に意識を失い、その場に倒れて動かなくなった。
「……」
 絶句する三人をよそに、再び枝を絡めたガジュマルはビーのほうを振り返った。見知らぬ子ども二人がビーの傍にいる。ビーが襲われている! そう思ったガジュマルは、二人めがけて枝を振り上げた。
「待って!」
 ビーが叫んだ。途端にガジュマルの動きが止まる。
「二人は友達よ! 攻撃してはダメ!」
 エドとアルは呆気に取られていたが、ガジュマルは彼女の言葉を理解したようで、大人しくなった。
「どういうこと? ビー、木と話せるの?」
 エドが恐る恐る訊ねた。
「わからないけど、昔から植物の気持ちが何となくわかることはあったわ。話したのは初めてだけど」
 ガジュマルはゆっくりとビーに近づき、そっと枝を伸ばしてきた。まるで手を繋ぐように、ビーはそれを受け入れた。
「もう大丈夫、あなたたちは敵じゃないってわかってくれたみたい」
「よ、よかった。でもこれからどうする?」
 店のシャッターは最早防御壁の役割を果たせない。この場所も安全ではなくなったのだ。
「うーん……」
 三人は話し合って、まずビーの両親の出張先へ行ってみることにした。

 鬼たちは次の狩場へ移動したのか、辺りは静まり返っていた。ビーの両親の出張先へ行くには山を越えなければならないが、これがなかなかに入り組んでいる。鬼の襲来を受けて街から避難している人々が一定数いるようだが、何故か皆エドらに近づくのを嫌がった。そのため道を訊くこともできず、迷ってしまった。
 比較的見晴らしのきく場所に出た一行は、テントを張って一夜を明かすことにした。テントはビーの家から持って来たものだ。少ない食料を三人で分け合い、眠りについた。ガジュマルはビーの傍に立って彼女を見守りながら眠った。
 四人が目覚めると、周囲は深い霧に包まれていた。
「私、ちょっとトイレ」
 もちろんトイレはないから、その辺で用を足すしかないのだが、エドとアルはあえて触れなかった。
「ねえ、ちょっと来て!」
 少しして、ビーの呼ぶ声が聞こえた。真っ先に飛び出したガジュマルの後について行ってみると、霧の晴れたような場所があった。そこには川が流れ、桃の木が咲き誇っている。
「すっごく綺麗」
 ビーは瞳を輝かせた。
「本当だね」
 エドが相槌を打っていると、アルが川に近づいてしゃがんだ。
「アル? 何か見つけたか」
「これ……」
 アルが差し出したのは白い布だった。
「タオル?」
「手ぬぐい。行こう」
「えっ、どこに⁉」
 さっさと歩き出したアルを、三人は追いかける。
「これが流れて来たってことは、川上に人がいるんだ」
「そうか、道を訊ける!」
 四人が川沿いに進んで行くと、集落があった。集落と呼ぶに相応しい、昔ながらの雰囲気が漂っている。小さな橋を渡って入ると、住民らしき男が立っていた。
「あの、すみません。ちょっと道を訊きたいんですけど」
 エドが男に話しかけると、男はにこやかに言った。
「おお、珍しいな、ここに外の人が来るなんて。せっかくだから、少しゆっくりしていくといい」
 男は四人を家にあげて、もてなしてくれた。いつの間に噂が広まったのか、集落中の人々が男の家に集まってきてはお菓子やらをくれた。エドが気のいい人たちにホッとしていると、アルがシャツの裾をツンツンと引っ張ってきた。
「ねえ、ここの人たち大丈夫かな」
「なんで?」
「だって、ガジュマルのこと誰も驚かないよ」
 考えてみればそうだ、木が動いているのに誰も何も言わない。
「まあ、おおらかなのよ、きっと」
 ビーがアルを宥めるように言う。エドも頷いた。普段人に避けられているアルだから、このアットホームな状況に慣れていないのだと思う。
「ガジュマルも落ち着いてるし、良い人たちだと思うわ」
「犬みたいなこと言うね」
 エドがからかうと、ビーはわざとらしく頬を膨らませて言い返す。
「あら、植物にだってあるわ、動物的勘ってやつが」
 ガジュマルが枝を揺らした。なんだか得意げに見えた。
「お嬢さん、これ着てみんね」
 一人の老婆がビーに美しい布を差し出した。どことなくアジアの空気が感じられるデザインだ。広げてみると不思議な形で、胸から上は日本の着物、下はドレスのようになっている。
「わー、可愛い! ありがとうございます!」
「ほんに似合うとるね、孫ができたみたあで嬉しいわ」
「ずっとおりなんし」
 女性陣に囲まれたビーは笑顔だ。
「そうしたいのは山々なんですが、両親を探さないと」
「ご両親、行方不明なん?」
「はい、鬼の襲撃で、連絡がつかなくて」
「鬼?」
 なんとここの人たちは、誰一人として鬼のことを知らなかった。あれほど世間を騒がせているというのに。
「はー、そんなもんがおるったい」
「怖い怖い」
 ビーの説明を聞いた女性たちは皆一様に顔を顰めた。そこで、家主の男が口を開く。
「若いのに大変だね~。すっといてほしかったけど、事情があるなら仕様がない。ついておいで」
 男は四人を連れて家を出た。集落の中をしばらく歩いて、ある家の前で止まった。
「ここが長老の家」
 玄関の戸を叩くと出て来たのは、白髪に白髭を蓄えたいかにもな老人だった。男が四人の事情を伝えるのを、長老は頷きながら聞いていた。話し終わると、黙って「ついて来い」というジェスチャーをした。向かった先は集落の最奥、滝のある場所だった。
「おんしらには能力がある」
 先導していた長老が振り向いたかと思うと、開口一番そう言った。
「の、能力……?」
「そう。おんしは、身体能力。足が速かろう」
「はい、まあ」
 エドは確かに学校一速い。
「鍛えれば、それ以外も伸びようて。ほいて、おんし」
 長老はビーを指差す。
「おんしは、植物。植物との絆やな」
「はい、私植物の気持ちが何となくわかります!」
「うん。鍛えれば、話せる。ほいて、おんし」
 今度はガジュマルを指差した。
「うん。言うまでもない。ほいから、おんし」
 最後に指差したのはアルだ。
「おんしには、人避けの力がある。みんなおんしを避けるじゃろ」
「……はい」
アルは小声で答えた。
「でも、ここの人たちは平気そうでしたよ。それに、俺らも」
 エドは疑問を素直に伝える。
「ほれはまだ未熟だからやの。非能力者にしか効かん。鍛えれば、何にでも効く拒絶能力になる」
「それって、いいことあるんですか」
 アルのか細い声が震えているような気がした。
「これから戦うんじゃ。強力な武器だど」
「戦う?」
「鬼じゃ。戦わずして、両親は取り戻せんぞ」
「……」
 四人は真剣な面持ちで長老の話に耳を傾けた。

 修行を終えたとき、山の地図をもらった。四人は長老たちにお礼を言って、集落を後にした。川を下って行くとまた霧に包まれていき、晴れた頃には元の山道に戻っていて、もう振り返っても桃の木は見えなかった。
 地図に従って下山していくと、ふもとに着く頃には夜になっていた。小さな神社の鳥居が見えたので、泊めてもらうことにした。
「そうですか、皆さんのご家族も音信不通に。うちも息子夫婦と連絡が取れなくてね」
「大変な時にお邪魔しちゃってすみません」
「いえいえ、困った時はお互い様ですよ」
 神主は神事に使ったという野菜を夕飯に出してくれた。
「ですがその出張先辺りはたしか、もう鬼たちの襲撃を受けたとニュースに出てましたよ」
「えっ、本当ですか⁉」
 ビーが箸を置いて訊ねる。
「ええ、住民は皆避難したか、鬼化してしまったか……」
「そんな……」
 エドとアルは不安気なビーの横顔を見つめた。
「まあまだご両親がどうなったか定かではないし、そんなに落ち込まないで」
「そうだよビー、元気出して。信じよう」
「でも……」
 ビーは暗い表情で俯く。アルはどうしていいかわからず、励ますエドをただ見守った。神主は魚のスープを飲み込んで、静かに口を開いた。
「余計な期待はさせたくないんですが、私の知り合いなら鬼化した人を元に戻せるかもしれません。あるいはその方法を知っているか」
「え⁉」
「本当ですか神主さん!」
「ええ、名前はトーヴィー・ミーハン。彼は天才です」
「トーヴィー……居場所を教えてください!」
「それが、私も知らんのです」
 神主は申し訳なさそうにそう言った。
「そうですか……」
 再び落ち込むビーを、エドはただ見つめることしかできなかった。

 神主の言っていた通り、ビーの両親の宿泊先はもぬけの殻であった。しかし受付に「緊急時避難所」と書かれた地図があったため、とりあえずそこに行ってみることにした。
 一番近くの避難所は空振りだったが、次の避難所で有力な情報が得られた。両親を知っている人物と出会うことができたのだ。二人はこの場所に避難後、娘のビーを心配して自宅に帰ろうと出て行ったらしい。どうやら入れ違いになってしまったようだ。
「それじゃあ無事なんですね!」
「よっしゃ! よかったねビー」
「うん!」
 初めて見たビーの心からの笑顔に皆安堵した。
 他の人たちを驚かさないよう隠れていたガジュマルと合流して、両親の後を追う。歩いて行ってはまた入れ違いになりそうだと思い、事情を話して、物資運搬用のトラックに乗せてもらうことにした。
 トラックは物資を必要地域に届けるため少し遠回りするという。だが問題なく両親に追いつけそうではあった。しかしながら、途中の山道でタイヤがパンクしてしまった。
「あちゃ~、スペアがねえな」
「うそー、忘れたの?」
「悪い悪い。無線で連絡してくれ」
「まったくもう……」
 運転手の妻は無線を取り出したが、なかなか繋がらない。
「ダメだわ、田舎だからかしら」
「そうか、どうする?」
 うーん、と悩む夫妻。もう日が暮れかけている。ふと旦那のほうが顔を上げ、あっと声を上げた。
「あそこに小屋があるぞ、行ってみよう」
 五人は古びた小屋へと歩いた。ガジュマルはビーについて行こうとしたが、ビーがトラックに留まるよう言い聞かせた。小屋の住人が夫妻のように受け入れてくれるとは限らない。運転手が戸を叩くと、割烹着姿の老婆が顔を出した。
「すみません、突然。私どもは物資を運んでる者ですが、タイヤがパンクしてしまって。今夜泊めてもらうことはできませんか、五人なんですが」
「ありゃあ、大変ね。どうぞどうぞ、お上がりな」
「ありがとうございます!」
 エドとアルは顔を見合わせて微笑んだ。
 住人は老夫婦と息子だった。息子が車に詳しいらしく、明日になったらタイヤの買い出しと交換を手伝ってくれるという。夕食をご馳走になった五人は、フカフカの布団で眠った。
 翌朝エドとアル、ビーが目覚めると、運転手夫妻はすでに買い出しへ出かけたと言われた。移動に時間がかかるからと。夕方までには戻るらしい。
「今夜まで泊っていくとよか」
「はい、ありがとうございます」
 老婆の作る山菜サラダは絶品だった。老夫婦は今夜の分の食材を採りに出かけていった。三人はビーの両親と合流した後のことを話し合いながら皆の帰りを待っていたが、待てど暮らせど戻って来ない。
「流石に遅すぎない?」
 アルの言う通りだ、もう二十時を回っている。
「渋滞してるのかしら」
「それにしても変だな、山菜採りに行った二人まで戻らないなんて」
 エドは老夫婦の出て行った玄関を見つめて言った。
「確かにそうね。まさか、体調崩して倒れてるとか?」
「あり得る! 探しに行こう」
 三人は念のため救急箱を持って行こうと、家の中を探した。
「もう、ここだけだね」
 母屋の中には見つからず、一度外に出てボロボロの小屋の前に立った。ドアに掛かっている南京錠だけが真新しい。その鍵らしきものは先程見つけてある。
「よし、開けよう」
 エドが鍵を差し込んだ。
 カチャリ
 やはりこの鍵だったらしい。ドアを開けると、凄まじい悪臭が流れ出て来た。
「うわっ、何この臭い!」
 ビーは袖口で鼻を覆った。アルも顔を顰めている。
「強烈だね」
 エドは鼻をつまみながら電気のスイッチを探して入れた。その瞬間、ビーが絶叫した。
「きゃあああああああああ‼」
 そこにあったのは、見るも無残な二つの遺体だった。ビーの両親だ。
「な、なん……これ……」
エドも驚きすぎて上手く言葉が出ない。パパ、ママ! と必死に縋りつくビーの姿を見て彼女の両親だとわかった。
「……逃げなきゃ。エド、逃げなきゃ!」
アルも少しの間絶句していたが、立ちすくむエドの肩を掴んでそう言った。エドもようやく我に返り、泣き崩れるビーを何とか立たせて小屋を出た。
「アル、これって」
「あの遺体、どう見ても殺人だ。この家の住人は殺人鬼だ」
 正確には、息子が快楽殺人犯で、老夫婦はその後処理を手伝っていたのだった。そして今まさに、息子は拷問を終えた運転手夫妻を手にかけたところだった。けれども、自宅の方から少女の叫び声が聞こえて来たので、急いで引き返してきたのである。
 走って山を下りようとする三人とガジュマル。ガジュマルがビーの背中を支えていた。しかし、大人の足には敵わない。追いかけて来る声に逃げきれないと察した四人は身を隠した。
「ぅ……っく……」
 ビーは必死に嗚咽を我慢する。エドもアルも心臓が爆発するかのように早打っていた。ついに追いつかれ、そして追い抜いて行った。
 息子の足音が聞こえなくなると、三人はガジュマルの陰でホッと息をついた。
「ビー、大丈夫? よく頑張ったね」
 エドの言葉に、ビーは口元を抑えたまま頷いた。ガジュマルの枝が、ビーの頭を撫でる。
「今のうちに、反対側へ逃げよう」
 アルに従って立ち上がり、道の方へ出ると――
「みい~つっけた♪」
 再び、ビーの絶叫が夜空を劈いた。
 真っ暗な山の中だが、息子が持つ斧が血まみれなのはわかった。何故なら、皆を守ろうとトゲを出して振りかざしたものの切り裂かれたガジュマルの枝が、血で汚れていたからだ。エドは腰が抜けて動けないビーの肩を支えた。その様子を見ながら、アルは神経を集中させる。
――来るな……来るな!
「ん~? なんだ? 嫌な感じがするなあ……。でもまあ、逃がすわけにはいかないからなあ……」
――効かない……!
 アルはショックを受けた。あの集落で鍛えた人避け能力は、たしかに人間なら何者にも効く拒絶能力へと進化したはず。おまけにオンオフの切り替えも可能になった。しかしながら、恐怖心が邪魔をしているのか、目の前の男にはまるで効いていない。
――アル……。
 エドはそんなアルの様子を見つめた。鍛えた身体能力ならば、二人を抱えて逃げ切れるだろうか。
「よーし、どいつからいく? やっぱここは……女か、⁉」
 突如、息子が苦しみ始めた。耳を塞いで蹲る。
「な、何だ?」
「こっちだ!」
 声の方を見ると、一人の少年が立っていた。
「さあ、はやく!」
 四人は顔を見合わせ、彼に従った。
 少年はキースと名乗った。一行の事情を知ると、協力すると申し出た。キースは若いながら鬼化の研究をしていて、詳しいのだという。
「ビアンカの御両親のことは残念だったね。でもエドの御両親はきっと無事だと思う」
「え? どうして」
「君が能力者だということは、御両親も能力者だ。となると、鬼たちに拉致された可能性が高い」
 キースによると、一連の鬼化騒動には一人のマッドサイエンティストが関わっているのだという。そいつはある島を拠点に無数の鬼たちを操り、人々の鬼化を進めている。そしてエドの両親の特殊能力を利用し、更なる力を生み出すつもりであると考えられる。
「それじゃあ、その島に行かないとな」
 エドに迷いはなかった。
「島の名前は?」
「ハナレコ島だ」


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