ゲームセンターが繋いでくれた友情の話
高校生になった時、正直に言って僕はクラスに友だちがいなかった。
漆黒の人見知りだった僕は、誰かと仲良くなるのにひっじょーに時間がかかる奴だったのだ。
しかし、ある時を境に僕はクラスの人と仲良くなることが出来た。それは球技大会の時だった。
球技大会の応援をしている時に、隣にいた河野君(仮名)が「サボってゲーセンにでも行きてぇなぁ」みたいなことを話しているのがきっかけだった。
「何のゲームしてんの?」
僕は聞いてみた。
「いやいや、言ってもわからんと思うし」
なぜかもったいぶる河野君。
「まぁ簡単に説明すると、コックピットに乗り込んで、ロボットを操縦するゲームや」
河野君はそう説明してくれた。
そのゲームに僕は心当たりがあった。
『機動戦士ガンダム 戦場の絆』
ゲーセン界隈では長寿タイトルで、有名なゲームである。当時、僕は遊んだことはないが兄がこのゲームにハマっており存在自体は知っていたのだ。
「戦場の絆か! 知ってるわ、それ」
その一言をきっかけに、僕と河野君はすぐに仲良くなれた。ただ、僕はガンダムの知識は『スーパーロボット大戦』の知識しかないので詳しくは知らないままであった。最近まで、メタスには修理機能が付いてると思っていたほどだ。
「じゃあ今度一緒にゲーセン行って遊ぼうぜ」
それ以降僕らはゲーセンで一緒に遊ぶようになった。
しばらくすると、元々ガンダムが好きな梅野君(仮名)と越前君(仮名)も加わり、4人で遊ぶことが多くなった。学校でもその4人のグループで休み時間等を楽しく過ごした。僕は相変わらずガンダムの原作を見ることは一切ないエアプ勢だったが。
本格的に遊び始めたのきっかけに "絆部" という部活を発足させ(もちろん非公式の部活)、月に一度は皆でゲーセンに遊びに行くようになった。
市外のゲーセンまでの交通費のことを" 遠征費" 、実際にゲームをプレーするためのお金を "部費" と呼び(もちろん学校からお金なんて一切出ないが)楽しんでいた。
このゲーム、プレーが終わると筐体横のモニターに直前の試合が映るのだが…これがまた楽しかった。
「ちょ、お前この時助けに来いや(笑)」
「俺一人で持ちこたえたんやぞ」
「やべぇ、俺何もしてねぇわ」
「あー、これが敗北に繋がったんか」
試合を見返して次に活かすという、まさに部活のようなことが出来たのだ。まあ、あの頃僕らはお金もカツカツだったからガチ勢ではなくエンジョイ勢として遊んでいたが。(当時の絆は1プレー500円と、高校生には破格の料金設定だった)
…しかし、高校2年の秋、予想外の刺客が現れる。
『ボーダーブレイク』
国産ロボゲー界に突如殴り込みをかけてきた、期待の新星である。僕たちのホーム店舗にも当然入荷しており、連日1時間近くの待ち時間が出来るほどの大人気タイトルになった。
そして、ガンダムに詳しくない僕はボーダーブレイクに浮気した。
…まあ、絆のプレー頻度が少なくなっただけで、ちゃんと友だちとゲーセンに行った時は絆メインで遊ぶようにした。
大学生になってからも、頻繁に会うのは難しくなったが長期休暇の時には、皆で地元のゲーセンで遊んだ。しかし、就活が始まる頃になると皆次第に連絡を取ることも無くなり疎遠になっていった。
社会人3年目になったある日、河野君から突如連絡が来た。
「この度結婚することになりました」
その連絡を受けて、僕たち4人は実に5年ぶりに一堂に会することになる。
結婚式会場で、久しぶりに会った僕たちはこれまでのことを話すのだった。
「そう言えば、皆まだ絆やってるん?」
僕が聞くと、皆の答えはノーだった。
「流石にもう遊んでないなあ。ICカードもどっかいったし」
皆、大学を卒業するくらいに止めてしまったようだった。
結婚式が終わり、見送りをしていた河野君から
「またいつか、皆でゲーセン行って絆でもしようぜ」と言われた。
「ああ! そうやな!」
そう言って、僕たちは笑顔で分かれた。
そして現在、ボーダーブレイクが稼働終了して、ゲーセンに足を運ぶことも無くなってしまった。
しかし、間違いなく僕らを繋いでくれたのは『機動戦士ガンダム 戦場の絆』というゲームセンターのゲームだった。
あの日河野君が言った「またいつか」は永遠に来ないかもしれない。
それでもきっと、あの頃の僕らが今でもあそこで遊んでいるような、そんな気がするのだ。
おわり