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留学記 #1

まずアメリカに来て驚いたこと。

アメリカの映画館には、飛行機のちゃちなクラスよりも明らかに質の良い椅子が備えられている。まるでマッサージ椅子やソファにあるような足置きがついていて、椅子の横についたボタンを押せば自動でせり上がってくれる。この足置きが180度になれば、家のソファーで映画を観るかのごとくリラックスできるという仕組みだ。土地が広いアメリカだから出来るんだな、と思った。ちなみに大学勤務者の特典割引を利用すれば価格は$9前後なので映画好きには本当に素晴らしいことだ。一方で日本とアメリカの映画館で共通していたことは、上映前のCMが長いということだった。どうやらこの問題は日本だけのものではない。

他に驚いたことは、アメリカのスーパーマーケットはレジで清算するとき、かごに入れた品物を再び出してベルトコンベアのようなところに置かなければならないということだ。レジ係の人はレジの下にあるボタンを押してベルトコンベアをブーンと動かし、バーコードリーダーの前まで商品を運ぶ。たまに置いている最中なのにブーンとしてくるので慌ててしまうのだが、慌てていることなどお構いなしにブーンとしてくる。システムを知らない状態で挑んだ渡米初のお買い物では、日本と同じようにカゴを丸ごとレジに置くという大雑把なことをやってしまった。他のお客さんや店員さんから怪訝な顔をされたが、その理由は2回目の買い物でわかった。払う前にカゴからモノを出すのだ。

ボストンは家賃がべらぼうに高い。ワンルームだと月平均で約18万円くらい。少しだけ良い家に住もうとすると月25万くらいは余裕だ。そんな金はないので月10万くらいのシェアハウスを借りた。8万から10万ぐらいがボストンでまともに借りれる住居の最安値だと思う。大家さんはすごくおばあさんだった。内見のときにベルを6度鳴らしても音沙汰がないので帰ろうとしたらゆっくり扉が開いた。振り返ると暗闇からおばあさんが現れて"Come in"と言った。

家は古い木造建築の2階建だった。まるでウィッチャーでみた魔女の館だ。暗い室内はひんやりと乾いている。魔女は私にリビングに来るよう伝えたので、私はそれに従う。リビングには天井まで届きそうな本棚が3面を囲っており、真ん中には大きなソファーと小さな書き物をする机があった。所在なさげにソファーに座っていると、しばらくして"何か飲むかい"と聞かれた。はいと答えると、5分後に一斗缶ほどの大きさのティーカップが出てきた。巨人の国に来たのかと震えてしまった。飲んでみると中身は緑茶だった。"日本人は緑茶を飲むだろ"と言われたので、"それにしては少し大きいですね"と答えた。

巨大な緑茶の付け合わせとして、腰を抜かすほど甘いチョコクッキーを勧められた。"さっきお昼を食べてしまったんですよね"と言ってやんわりと断ろうとしたが、"Go ahead"と言われてしまった。これは私のお気に入りなの、食べて感想を聞かせてちょうだいとのことだったが、猛毒入りのクッキーは大きなティーカップの死角に隠して食べたふりを装った。その後2時間ほどおばあさんの世間話を聴くことでようやく契約することが出来た。その間にも樽ほどの大きさのアイスクリームやスコーンのようなものを出してくれたのだが、大き過ぎたのでティーカップの影には隠せなかった。

どうやらアメリカに留学するときの定石として、最初にホテルを一週間分ほど予約しておき、その期間に部屋を内見して契約するというのがあるらしい。私もそれに従って一週間分のホテルを予約していたのだが、渡米三日目で部屋が決まったので残りはキャンセルしなければならなくなった。ただアメリカのホテルの場合、オンライン予約ではキャンセルによる返金ができませんという旨が大抵は記されている。契約後に雑談として大家さんにそのことを話していたら、大家さんが急に怒り出してしまった。

あんた、それは大事なお金なんだからどうしても返金してもらいなさい、と語気を荒げる。確かにそうですが、どうやらキャンセルは出来ないみたいです、と答えた。すると大家さんは何か思いついたかのように突然立ち上がり、"私のオラクル(預言者)に電話するわ、いつも私の問題をすぐ解決してくれるの"と言った。まさかオラクルとは、マトリックスの世界でしか聞いたことがない言葉が飛び出した。焦っているうちに、大家さんはすぐにオラクルとされる人物に電話をかけた。そしてオラクルは第一声で次のような預言を残したのだ。

"もし返金を断られたら弁護士を呼ぶと言いなさい"

私が返事に困っている間も、大家さんとオラクルは私がどのように抗議すればホテル代を返金して貰えるのかについて大いに盛り上がっているようだった。そして、二人が考えた抗議のセリフを暗記させられることになった。私はちゃんと暗記したふりをして、そそくさとホテルに戻った。

実際のところホテルの人に丁寧にお願いしたらあっさり返金して貰えたので助かったのだが、もし断られていたらどうすれば良かったのだろう。やれやれとばかりに大家さんにそのことを伝えると、自分のことのように喜んでくれた。本当は世話焼きで良い人なのだと思う。部屋もそれほど悪くない。

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