認知的不協和
認知的不協和とは、個人のもつ二つの情報の間に不一致が生じることで、その際に不一致を低減する行動が起こることである。
例えるならば、愛煙家が「喫煙は肺癌の原因になる」という情報に接すると、それを「否定する」か「禁煙する」かによって、不一致を低減しようとする類のことだ。
いま世界全体で起きている最大の認知的不協和は、新型コロナウイルスのパンデミック情報に対するものである。
テレビやネットのニュースで毎日のように「新型コロナは危ない」「マスクの徹底を」等の情報に触れ続けていると、それがあたかも新型コロナに対する「自分の考え」のようになっていく。
そこに反対意見である「新型コロナの脅威は嘘」「マスクやワクチンは効果なし」という情報が入ると、二つの情報の間に不一致が生じる。
そこで人は、その不一致を低減するために、反対意見を「否定する」か「過剰な新型コロナ対策を辞める」かのいずれかの行動が生じるのである。
反対意見を「否定する」行動を行う場合、反対派の情報を変更することによって自分の行動を「正当化」する。
例えば、「新型コロナの脅威は嘘と言っている人達は、人に迷惑をかけている自覚がない」「新型コロナ対策を否定する人達は変人達の集団だ」「新型コロナは嘘と言っている人達は怪しい」等という反対派を否定する「新たな考え方」を作り出し、自分の行動を正当化していくのだ。
ワクチンを打った後で体調不良になった人達の多くは、「これはワクチンのせいじゃない」と言うだろう。
これは認知的不協和によって、自分の判断は決して間違ってなかったと、自分を正当化するためである。
人は、自分が信じていたものが間違っていたと認めるのが怖いのだ。
自身の間違いを認めて行動を変えるには、ちょっとした勇気が必要なのである。
これは今に始まったことではなく、人類の歴史上ずっとあることだ。
キリスト教会史の正統と異端の「考え方」の違いを観察しても、この認知的不協和が常に働いていることがわかる。他の宗教を見てもそれは明らかだ。人間は自分の信じているものの過ちを認めることが非常に困難なのである。
新型コロナは危ないと言って
ワクチンを推奨するメディア
新型コロナの脅威は嘘で
ワクチンは危険だという人達
どちらが本当のことを言っているのだろう?
一時の感情ではなく事実を見て、冷静に行動していくことが今まで以上に大切な時代に、私たちは立たされている。
もし間違っていたなら、またやり直せばいい。
一人でも多くの国民が客観的事実に基づいて
知恵ある行動をすることができますように。
最後に太宰治のトカトントンの締めの言葉を送る。
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拝復。気取った苦悩ですね。
僕は、あまり同情してはいないんですよ。
十指の指差すところ、十目の見るところの、いかなる弁明も成立しない醜態を、君はまだ避けているようですね。
真の思想は、叡智よりも勇気を必要とするものです。
マタイ十章、二八、「身を殺して霊魂をころし得ぬ者どもを懼るな、身と霊魂とをゲヘナにて滅し得る者をおそれよ」
この場合の「懼る」は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。
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