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ピエモンテ、親戚の住む村へ行く。ep7

義母にいう。「ねぇ、なんで私たちがイタリアへ来たのか、わかってる?」

この一年と7ヶ月、家に閉じこもりの義母は、私同様ふだんは、風邪をひきやすくインフルエンザにかかったりする質なのにそれがない。

友人たちとの行き来の制限がかかり、家に閉じこもったり周りの衛生観念もいい方へ変わったせいか、何か大きな病気にも全くかからず非常に元気なのであった。

しかしながら、どこにも夕食にはいかない、と決めている。レストランも、友人宅の食事も。

私たちがどこかへ連れ出そうとしても、「イヤ、イヤ」と言って頑固にもそれを断るのだ。

非常に頑固。

人間はずっと生きてられないし、ただ不安がっていてどこにも行きたいところにいかないと、寿命が尽きてしまうと思わないのかな? 

今年同世代の友人を亡くしたわたし。
何かある度に今やりたいことは今やらないと。
やらなければいけないことは、それが必要な時期にと
、優先順位を方向転換したせいか、義母の考え方がとてつもなく呑気なものに感じていた。

というわけで、トリノ滞在5日目、義母の説得だ。

「誰にも会いたい人はいないの?」

「パオロ」「彼は歳だから」(92歳)

彼女87歳よりは確かに歳上である。

「車がないともう会えるかわからないよね。わたし達も早々車では来れない、イタリアへ。おそらくクリスマスは飛行機でも来れない」
義母は脚が悪いので、車なしでの遠出はもう無理なのであった。もう数年、パオロには会ってないはず。

「わたしもワクチン打てないからどういう規制や制限がかかるかわからない、簡単には会えなくなるかもしれない。今のうちに行きたいところへ行こうよ」

実際、私も義母もフランスのデモや、イタリアでも始まったワクチンパシポート反対デモに注目していた。

このままカフェ&レストラン、学校以外でも強制が色々な分野の仕事に入ると、スーパーとかも陰性証明必要になるの? 

フランスではスーパーへの話は既に出ていたから、イタリアも可能性は大。
まだ、議論中だけど、その辺りの切実な状況にならないようと、祈りながらニュースを見ていた。

それに加え、毎日オランダのトラベル情報ページに入って帰り道の周辺国の規則変更を欠かさずチェックしてる状態だった。

要するに、今回通ってきたスイス、ドイツは当然。
また洪水がきたらの可能性を考えるとフランス経由になるので、フランス、ベルギーの情報も。

その日によっては、陰性証明が取れる薬局も狭まれた選択になるのでそこもチェック。

今回の旅行のわたし達の大変なストレス!‼︎(ワクチン打ってる人には関係ないかも? )それらを長々と義母に説明した。

先へ行って飛行機に乗ってきても、8月以降だと、規制が始まりなんにしても私は無理ということも。二日に一回、或いは6日に一回? 検査を受けるなんてとんでもないことであった。それも自費で。無理よね〜?

義母は、わたしが簡単にはイタリアへすぐ先の将来、来れない事もようやく納得した。
義母が、オランダに自分が来ることも無理ということもわかった。

そして、ついに、「出かけよう」と義母は心に決めた。ふっ〜。よかった。

パオロを求めてどこまでも〜? いや、どこまでではない。
ルゼルナ・サン・ジョバンニに行くことになった。ふ〜、、、

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村の説明。
ルゼルナ・サン・ジョバンニ
人口7300人の小さな村。20世紀で車繊維、機械、製菓工場(カファレル)が誕生した場所、ルゼルナ石の有名な採石場があった。70年代から ここの湧き水がミネラルウオーターに詰められている。(PontevecchioS.r.l)
綺麗な建物が多いけど、歩いてる人はいない。
やはり若い人はトリノへ出てしまい、老人だらけの街であるとか。

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義母、ようやく外へ出る。ようやくである。車で来た目的の一つは、義母をこの村に連れて行き親戚に会わせることだったのだから、本当に嬉しい。

親戚といっても義父のなんだけど、ここで、義母達が昔からパオロに借りてる小屋のような家があり、その家の周りには義父の親戚が住んでいるのだった。地図で見るとわかる通り、フランスとのボーダー。

基本若い人がいない街なのに、たまたま休みのパオロの甥っ子に会えた。
パオロの住んでる家の一部を借りて住んでいる。先にも言ったようにこの村は若者度がめちゃ低い。病院もないんだから当たり前であろう、学校も、スーパーも見かけなかった。彼はたまたまな事情でと、ここを足場に近くの村でシェフをしてるらしい。
パオロ、ラッキーだと本当に喜ぶ。北欧でよくある、高齢者施設の中に若者がシェアしてる部屋があるとか、そういう感じなのであろう。いや、こういうのがまずベースになってそういうシステムが生まれてるのかな?

とにかく高齢者と若者の組み合わせは、最強だ! それも親戚。このコロナ禍においても。

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パオロは家の裏に広大な畑で今だに野菜作りをしていて、その野菜は近くの村のマーケットにも出荷したりしている。義母はズッキーニをパオロにもらったんだけど、プラスアルファで、、ジャガイモとか、インゲンとか欲しいと言って、価格をみんなで調べだす。義母、野菜大量買い。

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歴史を感じさせる野菜のストックルーム

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パオロのところに他の親戚も集まってきて、ランチレストランへ連れて行ってもらう。高齢の親戚カップルはサージェリーマスクをつけていたので、私たちもゴソゴソ取り出して気を使ったのだけど、基本イタリアは屋外は、混んでいないところ以外マスク着用の義務はなし。

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このレストランは、この街のベースとなる昔の学校だったところ。
前も言ったように、この村に学校は今はない。

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コースで食べたけどめちゃ安くて、オランダの半額? 美味しいし、大満足の日であった。もう目的はかなり遂行したのでだけど、なんと! その日帰ってきてから義母、普段食べないものを食べ過ぎで激腹痛。一晩中トイレで寝れなかったらしい。おまけに喋りすぎで、次の日彼女は声が出なかった。途中で、黙ったほうがいいよと何度も私はお節介にも言ったんだけど、止まらなかった! 楽しすぎたらしい。

私は、その夜は疲れですぐに眠りにつくことに。
車の中のエアコンを止めろ、風は首に悪いののでと窓を開けないでと言われ、30度近い車の室内の後ろ席で(前に乗らないと酔う義母は常に助手席)
私は、ほぼ熱中症だったのではと、、、

大変な小旅行になってしまい、義母は、二日三日、寝込んだ。Ep 8へ。



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