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「note or Facebook」ってもんじゃないってことがわかってきた
1ヶ月弱で一日おきくらいで、慣れるために投稿してみた。noteはじめる人に役立つのって、機能の説明よりこういったあたりだろうし、自分の頭の整理のためにもちょっとまとめとこう。
■全くジャンルの違う人とのつながり
Facebookは当然、リアル友だちや友だちの友だちなど、同質性の高い人々との繋がりに長けている。
noteはクリエーターの発信プラットフォームなので、わたしが特に何かのクリエーターではないことからも、いままでと全く違うジャンルの人々の文章などを読み、いままで使ってない脳の領域がゾワゾワしてとても面白い。
■フォローもフォロワーもそんなかんじ
Facebookでは時事ネタへの感じたこと、完全にわたしの趣味の世界を投稿しているが、同質性の高い人脈を辿った末にたどり着く「フォローしたくなるひと」も、やはり似たことに興味を持っている人になる。意識せずともFacebookのコンセプトやコンセプトを反映したアルゴリズムからも、そうなる。
逆に、そういうものだとある程度意識して使わないと、それが世界と思い込んでしまう可能性もある。noteだと、「おすすめ」などで出てくる投稿はアルゴリズムが全く違うため、「旅先でたまたますれ違ったひとが面白かった」みたいな繋がり方をする。多様な価値観に触れられると言うこと。フォローしてくれる人達も、きっとそんなかんじ。
■関係性は、ゆるく、浅い
noteにはそもそも、「ともだち」という概念がない。
そして、わたしは本名だが、noteではみなさんニックネームが多い。顔出しも少ない。
そして、プロフィールもゴリゴリかかない。
プロフィールをたくさん書いて固定するアピーラーな人もいるが、有名ライターさんやクリエーターさんか、または一部ギラギラしてる人だけな印象。
つまり、フォローやスキ押してくれても、相手のパーソナリティまで触れて理解を深めるすべはないので、Facebookよりはゆるく浅い繋がりだ。
あくまでも互いの作品(投稿含むコンテンツ)から、人物像をイメージするしかない。
主役は人、ではなくあくまで作品、その先の霧の向こうに人物がもやっとみえるかんじ。
■だから、関係性はメッシュにならない
Facebookなら、「共通のともだち」もわかるし、「ともだちかも」が出てくるので、シンクロも起きやすく、関係性はどんどん色濃くなっていく。
noteは、相手のフォロワーみても、自分がフォローまたはフォローされている人と同一人物といったことも、すぐにはわからない。誰と誰が繋がっているとか、全くわからない。あのひとどこそこの誰と繋がってるから注意しな、なんて色眼鏡の出番はなく、純粋に作品、投稿を楽しめる。
■よって、コメント欄は静か目
コメント欄でテンポ良く会話が弾むということはない。Facebookのノリでコメント返信に返信し続けたら、初日からウザがられ、心が折れそうになったわ。(o´∀`) 心当たりある方ごめんなさいね。悪気も下心もありません(。ノωノ)
■作品のクオリティは・・千差万別
なんでもある。あたりまえだが。
しかし、本出してますってひと、セールス目的バリバリで、投稿はぜんぜん面白くない人もいれば、フォロワーもひとケタ台なのにめちゃくちゃ秀逸な文章力ズバ抜けていてスゲー逸材だなぁと感心するひともいる。ここがnoteの醍醐味だね。応援したくなるのもわかる。告知のないゆるやかな暗黙的クラウドファンディング的な役目になる印象だ。
■さまざまな世界観のるつぼ
他人の投稿のシェアが多めなFacebookに比べ、noteはクリエーターだけあって、長文などでガッツリ世界観をアウトプットし能力を発揮する場なので、初めて行く外国、のごとく、おもしろい。Twitterの薄さと早さが苦手な私には、マッチしている。
結論、目的の違うFacebookとnoteは、使い分けしながら豊かな人脈と豊かな知性を高める相乗効果を目指すことができる。どっちがいいか、というものではない。わたしはどちらも使い続けるだろう。
■これから観ていきたいとこ
いまのところ、コラムや文章ばかり読んでるので、今後は写真や音楽、有料noteも観ていきたいなあと思っている。
てかnote、褒めちぎりすぎだろう!↓😂😂
(もっとちょうだい!)
問題の一部であり続けるのではなく、解決の一部でありたいと思っています。