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あの出会いがなかったら、僕はここにいなかった

41歳 本厄。
人生の節目を迎える歳。
人生を振り返るいい機会の歳だという。

人生の節目なんて、何度もあった気がする。


飽きっぽいのかも知れない。同じところにじっとしていられない。

36歳で、会社を辞めて独立したあとは、怖いものがなくなったような気がする。
人がしないようなことをあっさりやってしまった後は、なんでもできるそんな度胸がついたのだろうか。
人生の決断は、時間をかけて確信をもった時に、背中を押すような何かが起きて、自然に舵を切る。
そのときまではそうしていた。

しかし、本厄の年に、タロットを勉強することに決め、講座を受けることを決めたときの流れは、運命的だったように思う。
大きな決断を自分自身でしたのではなく、いつの間にかそうしていた。


それから、1年3か月後。
僕は妻と一緒に、セーヌ川沿いを歩いていた。


ただ、妻は口を聞いてくれない。
せっかくパリにいるのに、最悪のムードだった。


夕方にたどり着いたパリのモンパルナスのホテルで、自分たちに割り当てられた部屋に入ったあと、それほど時間がたたないうちに、僕らはけんかしていた。

なにがいけなかったのかよく覚えていない。僕が悪かったことは覚えている。
僕はパリの街に出かけたくて、うずうずしていた。
妻も出かけたくなかったわけじゃなかった。

険しい顔のままの妻と一緒に、エッフェル塔に行くためにメトロの駅に歩いた。

とりあえず、メトロの駅の窓口で切符を買う。

パリ市内の観光ルートは事前に調べていた。
切符の買い方は、旅行用のフランス語会話の超初心者向けの本で、勉強しておいた。
旅先で使うセンテンスが、全部カタカナで書いてある。

窓口で駅員の人に、そのカタカナのフランス語で話す。
それが思いのほかスムーズに言葉が通じて、うれしくてたまらない顔になっていたのは自分でもわかった。

駅員の人は淡々と、でも割と親切に切符を出してくれた。
2枚買って、1枚を妻に渡す。
多少、挽回できたのかな。まだよくわからない。

当時、すでにパリでは市民の多くの人は、プリペイドカードを使っていて、そんな古いスタイルで切符を買うのは僕ら以外、周りには居なかった。

パリのメトロは、とても小さな車両だった。
驚きだったのは、降りたい人は、自分でドアを開けて降りていく。
しかも手動だというのがびっくり。まあ、どの駅でも誰も降りないということはなく、誰かが開ける。

目的のエッフェル塔近くの駅で降り、そこからはセーヌ川沿いを歩いた。

夕闇が始まっていた。

歩いている途中で、エッフェル塔のイルミネーションがキラキラ輝いた。

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きれいに光っているのだけど、なにしろ、けんかの最中。

いいムードにはほど遠い。


そして、ようやくエッフェル塔にたどり着く。

妻は昔からタワーやビルの展望台に興味がない。

僕は塔に登りたかったが、けんか中なのでそこは主張せず、とりあえず、下から見上げる。
そのあと、塔に登る人が長蛇の列を作っているのを見たら、登りたいって言わなくて良かったと思った。


そこから、少し離れたトロカデロ広場に行く。エッフェル塔が良く見える場所だ。

その途中、イエナ橋まで来たら、橋のたもとで綿菓子を売っていた。日本とは違うなんともパリらしいおしゃれな感じの綿菓子売り。

「食べたい?」

と聞くと、

険しかった妻の顔が少しほころび、ようやく仲直り。

うれしそうに食べる妻は、すっかり機嫌を直してくれて、

いつも通りに話をしてくれるようになった。

なんといってもパリの綿菓子だ。
上機嫌に食べないともったいない。


ありがとう。パリの綿菓子。


タロットを学び始めて、福岡から東京にも行き、

気がつけば、僕らはパリに来ていた。

それもすべて、タロットのおかげだ。

そもそも、南フランスまでタロットを勉強に来ることになったから、パリにも来れた。

タロットとの出会いがなかったら、フランスに来ることはなかった。

忘れられない人生の1ページになった。

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