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稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑨

前回はこちら。写真に深い意味はありませんが、クロンシュタットにある聖堂です(いや、記事の最後まで読むとちょっとは意味あるか…)。

9. 小さな世界に閉じこもっていたいモラ

・モラの帝国

 飽く迄も、私の交際した唯一のモラである稲田がそうだったというだけで、全てのモラがそうとは言えないかも知れないが、少なくとも恋人や配偶者を、自分の縄張りから外に出したくないという感情をモラの皆様はお持ちではないだろうか?自覚の有無は兎も角、私はとあるネットゲームでモラハラおじさんに目をつけられたことがあるのだが(彼は自分で「俺、モラハラなんだ……」的発言をしており、自覚があるだけだいぶ立派だったかも知れない)、彼も、自分が仲良くなった女の子プレーヤーが他の人と仲良くなるのを嫌うなど嫉妬深い傾向があった。自分の引き出しは二件しかないが、実父・継父を問わず妻へのDVや子供への虐待で捕まる男が大体モラハラをしていて、家族と社会の繋がりを断とうとしていることを見ると、概ね、自分が天下を気取っていられる小さな帝国を築き、そこに支配対象を閉じ込めておきたいという感情が、モラの皆様には概ね備わっているはずだ。多分、モラハラ加害者がこういう記事にたどり着くことはあまりないだろうから、私がくどくど言っても、「あ、やべー俺そういう感じでモラハラしてるわ…反省しよう、ごめんなさーい」と周囲の人間に謝る現象は期待できない。なぜなら、モラは加害者的には一切気遣いをせずに好き勝手振る舞い、自分の機嫌で周囲を振り回せる特質なので、自覚しないでそのまま一生を送っても特に損はないから、自分であれこれ情報を検索する動機を持っていないからだ。ただ、一応言っておくと、私のクソ父はモラハラDV常習犯で、二度結婚していて、私には顔も知らない異母姉などがいるはずなのだが、誰一人、あの男の臨終の床に駆けつけず、彼が寂しく生涯を終えたということは書いておきたい。一時期好き勝手にやって最後は嫌われて寂しく過ごすよりも、最初から周囲の人間に優しく接して、最後まで愛される人生を送った方が良いのではないですか?ねえ、これを読むことのないモラの皆様。……まあ、モラ当人は優しくしているつもりだったりするんだけど、基本的に善意の押し付けで、独りよがりのオナニーに終わっているからモラって厄介なんだけども。稲田がまさにそうで、良かれと思って色々やってはくれるのだが、有難迷惑なことが多かった(例えば、私が持病悪化後、サークルの練習が終わって挨拶する時間までいると夜の帰宅が遅く健康面が不安なので先に帰らせてもらうことにして、急いで帰っているのに送りたいからと追い付いてきて、ノロノロ歩く羽目になった結果少ない電車を逃し、かえって帰宅が遅くなるみたいなことだ)。そして、彼なりの善意だと此方も配慮してしまって言えず、言ったら言ったで機嫌がぶっ壊れて面倒なので、モラの相手は本当に大変なのである。そもそも、モラル・ハラスメントとは道徳を盾に相手を支配するものと言われるが、要は、平たく言えば「自分勝手な善意の押し付け」がその本質だから、必ずしも加害者は悪人ではなく、認知が歪んでいておかしいけれど善意の人だったりもするから複雑なのだ。ストーカーなんかもそういう人が多いのではないだろうか。私が大好きな作品『デュラララ!!』で、アニメだけだったかも知れないが、私の大好きな折原臨也(なんやかんやで危ない魅力の男性が好きらしい…)がすごくバカにした感じで「ストーカーってさぁ、守ってあげてるつもりなんだって」と嘲笑していたが、実際にそういう場合もあるらしい。良かれと思ってやっていることをやめさせるのは凄く難しい。矯正など殆ど不可能だ。モラ帝国の住人には、一刻も早い亡命を勧めます。

 今回は、自分の帝国からパートナーを出さずに、外の世界をなるべく見せずにいたい、自分こそが相手にとっての世界の全てでありたいというモラの幼稚な願望を象徴するような言動の幾つかを書いていくつもりだ。特に旅行や留学といったイベントが中心となるが、そもそも、象徴などではなく、稲田はかなりド直球にそういう願望をぶつけてくる男だったことを先に書いておこう。何の拍子だったか忘れたが、それを実感する機会の一つがあった。恐らく稲田は、私の人格とか本当は常々どういうことを考えているのかというよりも、私の外見が好きだった。お前、美人気どりかよ(笑)と引かれるかも知れないが、他人から見てどうかは知らないが、少なくとも稲田にとっては美人に見えていたということで取り敢えず納得してほしい。少しお洒落をして着飾るだけで、大仰な位に褒めてくれることもあった。うまい装いをした時だったと思うが、可愛いだのなんだの並べた後で、稲田はニコニコとしてこう口にした。

もう、閉じ込めちゃいたい

 流石に、ひやっとした。稲田は身の丈180センチ近くあり、文学青年を気取ってはいたがどちらかというと肉体労働が得意で体力だけはある。その気になれば私を閉じ込めることは不可能ではないだろう。かといって、怖がっていると伝わってしまうと、気分を害するかも知れない。私は笑顔で対応し、多分「冗談ー(笑)」みたいな軽いノリでその場を乗り切ったのだと思うが、実際、少々怖かったのだ。無意識の内に、気に入った相手を自分たちだけの世界に閉じ込めて思い通りにしたいという身勝手さを感じてはいたのかも知れない。

 そういう傾向は色々な時に表出していて、例えば、それはそれでまた分けて稿を改めて書くつもりだが、私が好きなバンドのライブに行くことを、初めの友人同士のような間柄の内は個性として認めていたのに嫌がるようになるとか、先に書いたように友人との付き合いを制限したがるとかもその一つだ。勉強に関して暴言を吐いたのもその一環で、他にも、私が卒論を見せた時に、稲田が神妙な表情で「ソラリスが大学院に行ったりすると、学問を混乱させると思う」などと意味不明なことを言いだしたこともあった。彼が何を言いたかったのか真剣に頭を悩ませていたこともあったが、単に、余程大学院に行って欲しくなかったのだろう。大学院などに行って、余計な知恵や知識をつけて、彼の本質を見抜いて見下されては困るし、彼よりも遥かに教養があり知性のある人々の中で私が支配できない存在になってしまうことが嫌だったのだと思う。実際は大学院に行かない内に、もう一緒にいるのが重くて重くてしんどくて空気が吸えないもんだから逃げ出しましたけどね。まあ、冷静に考えて、学問を混乱させようと思ったら、見事な偽書を作るとかそのレベルのことが出来ないと無理だと思うので、私は今大学院生だが、私が勝手に混乱するだけで、周囲を混乱させてはいないはずだ。兎も角、単純に、彼には養うだけの経済力があるわけでもないのに滑稽だが、私にはかわいらしくお嫁さん修行でもしてもらいたかったのだろう。稲田でなくとも、モラ夫予備軍とは大体そういうものらしい。母の昔の友人で、大学を転々としている不思議な美人がいたらしいのだが、グループで遊びにいった際、勉強好きな彼女の彼氏が「俺と結婚したいならお前はもっとこうしろ、ああしろ」と説教していて、後に彼氏は捨てられたそうで、まあモラの歴史は長いものだと痛感する。因みにその美人は元々「私、結婚とか興味なーい」という方だったそうで、それも知らずに亭主ぶっていた男、捨てられてザマァである。飯がうまい

・海外=未知の世界へのコンプレックス

 稲田は、恐らく海外経験というものにいくらかコンプレックスを抱いていた。私の大学でもそうだし、ある程度の大学なら今どきは大抵そうだが、交換留学制度が大体整っていて、大した熱意があるわけでもない学生でも取り敢えず留学してしまう時代だ。私も、モスクワ留学では大して熱意のない留学生と同室になってしまい、引きこもられて色々最悪だったのだが、まあその話はいずれ気が向いたら書くとして、兎に角、健康面や経済的に不可能でない限り留学のハードルは決して高くない。私など難病持ちなので、薬の問題など色々困難があったが、それでもどうにか十か月の留学をやりきったのだ。といっても、私が留学したのは博士課程に入ってから資料集めなどを兼ねてだったのに対し、多くは博士課程など人生が詰んでしまいそうな方角には進まないので、学部の内に済ませるのだが。兎も角、稲田も普通に授業を受けて普通の学生をしていれば、健康そのものだったし実家はなかなか裕福だったし、留学できない理由などなかったのだが、留学など一度もしないまま七年生まで大学にいた彼の唯一の海外経験は高校の時の、修学旅行@香港だった。しかし、まあ、留学しようと思わなかったのだから仕方があるまい。ただ、留学してきたH先輩の語学力について、あんなのはピロートークで覚えただの、留学後タバコを吸うようになった別の女性の先輩について「遊んできた」と、自分なんか最初からヘビースモーカーの癖に悪し様に言ったりするところを見ると、女性蔑視と海外コンプレックスとが絶妙に混ざって煮詰められた感じで、彼のこういう辺りの淀みを食べ物に例えるならばムドオンカレーといったところだろうか。知らない人はググッてください。

 さて、話を分かりやすくするために、私の海外経験について一応説明しておきたい。うちは決して裕福ではないが、子供の時から、旅行と留学と全て含めると、結構海外体験をしているほうかも知れない。というか、そもそも生まれが中東である。中東の旅行はしたことがないが、諸事情でひょっこり中東生まれの日本育ちとなった。記事中に度々登場するクソ父も外国人である。おかげで、父親の姓を名乗る必要もなかったことだけは不幸中の幸いだ。

 さて、今思えば不思議なのだが、私が自分の生まれについて口にすると、大抵の人は色々と興味を持って尋ねてくる。遠慮深い人は必ずしもそうではないが、私も特に隠し事もないし恥ずかしいこともないので聞かれれば大抵のことは答えるが、そういえば稲田には色々訊かれたことがない。私から、私の父方の祖父母の写真を見せてみたこともあるが、なんだか鈍い反応があっただけで、別段興味もなさそうだった。私にとっては会ったこともない祖父母だが、映画のワンシーンのような美男美女が並ぶ古びた写真に勝手に憧憬のような心を抱いてもいたので、ちょっと拍子抜けした記憶がある。(稲田から彼の家系について聞かされたこともあった気がするが、確か変哲がなさすぎて、全然頭に入らなかった)これは、海外経験についても同じで、子供の時にした旅行の話や、私が高校で行ったロシア短期留学などについて、私から少しは話題にしたと思うのだが、あまり立ち入ってこなかったというか、興味を持って色々聞いてくるようなことがなかったと記憶している。当時は、特にそのことに特別疑問を抱くこともなかったのだが、今思えば、ちょっと変な感じがする。稲田の香港修学旅行についてだったり、他のあれこれでもいいが、私からは色々と質問をしたと思う。だって、恋人でも友人でもいいが、親しく付き合う人間の心情や環境に興味を持つのは普通のことではないだろうか?しかし、稲田は私の、特に海外経験に纏わる話などには殆ど関心を示さなかったように思う。今思えば、自分が行ったことのない場所の話は「面白くなかった」のではないだろうか?そのようにみなすのは、意地悪かも知れないが、そうとしか考えられないのだ。だって、西洋の文学を好きで専攻していたら、現地の話に興味が沸かないなんて、私からは理解ができない。実際、稲田だって、憧れのラスコーリニコフの聖地であるペテルブルクに行きたいと言ってはいたのだ。このことは重要なので後述するが、ともかく、今ここで言いたいのは、私の方が稲田よりも海外を多く知っていて、短く、おぜん立てされたものではあるが留学もしていたということだ。このことを、次のエピソードを語る上で前提として共有しておきたい。

 さて、自分たちの通う文学系のキャンパスではなく、華々しい本部キャンパスのほうにある飲食店で昼食を共にした時のことだった。私は、軽度の発達障害かも知れないと思わなくもないのだが、時々変なパニックを起こす。その時は、店を出ようとして、戸を開けようとしたら全然戸が開かずに焦ってガタガタやってしまい、少し恥ずかしい注目を集めてしまった。スライドするのと押すもしくは引くのとを間違えたのだったと思うが、稲田はそのことで不機嫌になるほどに呆れ返った。確かに私は間抜けだったし、ちょっと笑われる位なら全然かまわないが、そこまでの失敗だったとは思えない。しかし、稲田はそこから、年長者だからなのかよくわからないが、長々とお説教を始めた。心に響く素晴らしい言葉は一つもなかったので細部は覚えていないし、兎に角みじめな気分で涙まで出てきたので、嫌な気持ちばかりを覚えているが、稲田のとどめの一言はなぜかこれだった。

そんなんじゃ、留学なんかできないよ?

 その瞬間、「いやアンタと違って留学経験あるけど」と瞬発力を発揮して突っ込めれば良かったとは思うのだが、私は黙ってシクシク泣いていた。そもそも、ここで留学関係ある?という話だが、稲田はなぜか、いつか留学したいと考えている私のその点を攻撃することにしたのだ。なぜ、一度も留学したことも、思い切った若者らしい海外旅行もせず地元大好き日本引きこもり坊ちゃんに留学のことでお説教されなければいけなかったのかも、さっぱり理解ができないが、要はこれも彼のコンプレックスに関わっているのだろう。稲田と会いたくはないが、この辺り、なるべくたくさんの人がいる場所で、どういう理屈で私にこんなことをドヤ顔で言えたのか詰問してみたいところである。ま、稲田の坊ちゃんには耐えられない汚辱となるだろうから、これを読むこともないだろうが、読んだとしても、「やってやろうじゃねーか!」と立ち上がる気概もないだろう。

 兎も角、自身が井の中の蛙を拗らせたコンプ男になっている事実を直視せずにいたことが、研究や留学に対する私の前向きな態度を稲田が敵視したことの原因だと考えられる。仮に、彼が他の学生同様、とっくにモスクワ大学なりサンクトペテルブルク大学なりに留学でもしていれば、彼の言葉にはもうちょっと重みがあったかも知れないが、このお坊ちゃんは兎に角ちょこちょこと国内旅行で散財するのが好きで、お金を貯めてしっかり計画して憧れの土地にいざ旅立つみたいなことが出来ない性分であったし、それが出来るならば、そもそも外に羽ばたこうとしている恋人をネチネチ攻撃したりはしないだろう。(後に、某放送局に努める都合で念願のロシアには居住するのだが、日本語ができるらしいロシア人の嫁さんを見つけて退職して日本に帰ってきちゃったので、心底日本が肌に合っているらしい。ロシアもなかなかのモラDV大国だが、稲田は生粋のジャパニーズモラなのだ)

・旅行を巡る衝突

 誤解されてもいけないので一応断っておくと、国内旅行がいけないとは言わない。私に関しては、ハッキリ言って、東ならアルメニアとかその辺りから先の西側諸国の旅行にしか本当の関心は持っていないし、日本の美を否定するわけでもないが、私の趣味は完全に西洋かぶれである。仏像がすごい並んでいるとかそういうのが嫌な訳ではないし、趣もあるとは思うけれど、やっぱり、サン・スーシ宮殿の優雅さとか、ブダペストの廃墟バーとか、プラハの美しい建造物の数々とか、そういうのに比べると全然趣味じゃない。どっちが良い悪いと言う気はないが、美観は受け取る側の感性に依存するものだから、私にとっては、実に美しいと感じさせてくれるものの多くは海外にある。余談だが、ONE PIECEとか普通にアニメで観ていたりする私だが、ドレスローザ編はバルセロナっぽくて視界が楽しくワクワクしたが、ワの国はさっぱり萌えない。まあ、内容の良し悪しとは関係がない部分だが、少なくとも私にとっては視覚的悦楽があまり得られないのである。

 長々と書いて、何を言いたいのかというと、要は、私は国内旅行にあまり興味がないから、そこに自らお金や時間を注ぐことはないということ。好きなバンドがあるから、CDを買ったりライブに行くのが日本に住んでいる私にとっての楽しみであり、私のお金や時間の配分はもう固定されていた(コロナのせいでそういう感じでもなくなってきたけれど)。

 しかし、稲田は国内旅行が好きな人間で、青春18きっぷで毎年どこかに行く男だった。別にそれは好き好きで、旅に行くのは良いとは思うが、やはりカップルになってしまうと、旅行とは共にするべきだという空気が出来てしまった。私一人なら絶対に行かない類の旅行だが、私も彼のことが好きだったわけだから、彼の趣味に沿った旅行についていくことにやぶさかではなかった。従って、私は、京都、長野、新潟(大地の芸術祭)などを訪れたのだけれど、一つ一つは良い経験になったと思う。正直、彼本位のスケジュールで組まれると体が弱く体力のない私には辛いプランばかりではあったが、それでも、夏の夜の京都は確かに美しかったし、野辺山の民宿のごはんは美味しかったし、新潟の芸術祭はなかなか力の入ったもので、連れて行ってもらったことそのものには感謝していないわけではない。先を歩いて、私の知らない世界を見せてくれたのだから。記憶に残る美しい光景もあり、進んでは行かなかっただろうけれど、連れて行ってもらえたからこそ得たものの価値は否定しない。しかし、旅行に伴い、色々と彼の人格の危うさが露呈したのも事実である。

 お金に関する彼の独特のケチ臭さ(お金に全然拘らない時もあり、アンバランスなところがあった)はまた別稿にて書きたいと思うが、今の段階で説明する上で必要なので軽く触れておこう。どの旅行を計画した時だったが、芸術祭の前か何かもう忘れてしまったけれど、私はその頃大好きなバンドのDVDボックスを購入してしまい、バイト代が結構飛んだので資金繰りが厳しかった。とはいえ、それだけならば別に問題なく過ごせたのだが、彼が提案した旅行の内容が、移動を続けて転々とするようなもので、お金も時間もかかるし、体力的にも不安を呼ぶプランだったため、私は正直に、①大きな買い物直後の自分には今そんなにお金がなく、大きい負担になる ②体力的にもしんどいのは困るので、できれば一週間以内くらいに収めたい。 という点を伝えたが、彼としては、折角二人で旅行をするのに妥協したくないという想いが極めて強く、特に私が男性バンドにお金をかけて旅行にはケチるというのがちょっと許せないという気持ちを抑えられないらしかった。こう書いてみると、稲田は稲田で拘りが強すぎるものの、愛情が大きいからこそなるべく長く思い切った旅行をしたいと考えていて、一方の私は男のバンドにキャーキャー言って彼氏の想いを無碍にしているという図式にも見えて、すると、私の方に非があるといえなくもないのかも知れない。しかし、ここで頷いた方がいるのなら、ちょっと待って欲しい。そもそも、稲田にとっては、定期的な国内旅行は彼自身の趣味であり、それにあたるのが、私にとってのバンド愛なのだ。無趣味な人を否定する気はないが、やはり自分自身の趣味というものは、一個の独立した人間である自分の足場を固めてくれるものだと思う。だから、私がそこで、彼のために無理に、病体に鞭打って日雇いバイトでも増やしてお金を貯めたり、次に行きたいライブをあきらめる等してお金を工面することで彼が喜ぶのだとしたら、それはおかしい(実際、色々考えていくことをやめにしたライブの話を口にしたら、「よかったー」と言われたことがある)。自分の趣味を、自分の大切な人と共有したいと思うのは多分自然なことで、私自身、ずいぶん稲田を私の趣味に付き合わせた。ライブこそ連れていっていないが、付き合う前にPV(今は、MVっていうんだよね……)を見せたり、ライブに行く前のバンギャ丸出しの恰好で会ったり、我がカリスマへの敬愛を語ったりもしていた。まあ、彼が実は嫌だったとして(多分、有言実行・ウダウダ言わないでやる時はやる!ところが魅力の我がカリスマと彼は正反対だったのでコンプレックスを刺激したところもあったかも知れない)、それなら別に私に合わせて無理をする必要はないし、私がどうしても彼に趣味を分かち合って欲しくて一緒にライヴに行って欲しいなどと思ったとしたら(ちなみに、ライヴに一見さんの彼氏同伴はイヤ)、少なくとも彼の分のチケットは私が買う。当然だ。しかし、彼の価値観は違ったようで、それが元でぎくしゃくし、喧嘩するようなこともあった。

 旅行に行くか行かないか、行くならどこに行くのか、その時、2009年のことだったが、大地の芸術祭に行く案を出したのは彼だった。ところで、その頃は、また演劇のことで私の精神は難しいことになっていて(その時期のこともやがて書くつもりだ)、彼との関係はかなり緊張していた。結局旅行は行ったのだが、色々とストレスが溜まってしまったせいか私の持病も悪化してしまったのだが、それはそれ、兎に角夏休みの旅行をどうするかというのに、彼にとっては前述の不満が影響しており、私には自分の体調面を気遣って貰えないことへの不満、更にいうと、その演劇のことで、「彼は、本当は熱意がないのに私に捨てられない為のアリバイ作りで春公演をやると言っているだけなのでは?」という激しい疑懼に襲われていた。一応、その年の本公演を手掛けるにあたり、彼は私に、「これを引き受けることによって春公演を堂々とやれる」ということを言っていたので、暗々裏に約束していたようなものではあったが、不思議と喜びはなかった。そりゃそうだ、だって、最初の、最も純粋な「一緒に芝居をやろう!」という衝動を潰されたのだから、それを贖える次の機会などあるはずはない。全くの別物である。細かくなるので、その年の芝居については改めて別稿に記すが、気を張っていたら持病が悪化するとか、彼の振る舞いに自尊心を傷つけられることが続いて、私は私で、彼が、私に対する罪悪感を感じているように見えないことに腹を立てていたし(この辺り、私もモラ化していたといえる)、彼に自由でいてほしくないような、言葉にできないが、もはや愛情ではない、別の執着を持つようになっていた。私をあれだけ傷つけたんだから、好き勝手に振る舞うなんてしないよね?できないよね?自分の罪から逃げないでしょうね?とでもいうような――言葉にはしなかったが、そういう感情だった。正直、何をしてもらっても不満だったから、事実上手遅れだったのだと思う。私が一番関心を持っていたのは、彼がどれだけ真剣に、自分を犠牲にして私への贖罪に心を砕いてくれるのかという点だったのだから、これを愛とはとても呼べないだろう。

 そんなこじれた状態で、旅行計画について話し合ってもうまくいくはずはない。しかも、話し合いに設定した日は私の生理日に当たり、体調も最悪で、いまいち気遣いの出来ない稲田からすると私が単に腐っているように見えたらしく、結局話は決まらなかった。

 さて、実はここから、時系列での説明をしたかったのがそれは不可能だ。私自身の記憶がこんがらがっていて、行った場所と順序を纏められない。ただ、大まかにいうと、①私がお金を出し渋る②予定よりやや縮小版の旅行に行くが、取り敢えず楽しむものの、③稲田に不満が残っていて、そのまま芸術祭に行くかどうかを話し合うが決まらず、④稲田が一人で「俺、逃げるね」宣言をして現実逃避の旅に出るが、私がその勝手を許せず呪詛を吐き、⑤稲田が慌てて戻ってきて、なんやかんやで芸術祭に行く……という流れだった気がするのだが、芸術祭に自分一人でいく切符を稲田が買っていて、片道行ってしまうが、私のドロドロ呪詛に恐れをなして急いで帰ってきたので片道をパーにしたということがあった気もする。正直、記憶がごっちゃでうまくまとめられないので、その中で覚えている場面場面について書いていくしかないが、とにかくこの頃の私の精神状態はずっとおかしく、ただただ、稲田が全身全霊で贖罪をしてくれることだけを願っていたのだと思う。贖罪もしないで、自由に自分の好きなように振る舞うなんて、絶対に許さん!という気持ちが確かにあった。これは正しくないことだと思うが、それまで顔色を伺い、振り回され続けた反動だろう。この記事を偶々目にする人がいて、自分のパートナーがあまりにも良い子で、あなたがのびのびと行動しても不平の一つも言わず、自分が振り回されてもニコニコしている……なんてことがあれば、あなたのパートナーもその内闇落ちする可能性ありますよ。優しくてなんでも許してくれる彼女サイコ~なんて胡坐をかいていると、その内刺されるかも知れないので自分の言動をよくよく見なおしておくことをお勧めする。この口汚い私が、昔はなんでも笑って許すほんわか彼女だったのだから。

 話がどんどんずれていくので軌道修正すると、兎に角稲田との旅行ではトラブルがつきものだった。今回は、留学と旅行と両方に関連する一つだけを紹介し、残りは次回に書こうと思う(既に長い記事になってしまったから)。

 「俺、逃げるね」宣言は、彼が何から逃げたかったのか判然としないが、まず、こじれた私との関係にぶつかることや、就活も進学準備もしていないまま学生時代を終えようとしている現実とか、色々な目の前の課題から逃げるということだったのだろう。実際に逃げて行った彼は、私に手紙を送ってきた。そこには、夜の暗い明りもない道を歩き続けた話だの、詩人気取りの「理解されない孤高の俺(チラッチラッ)」感がむせ返る程溢れていたが、中にはこんな文面があった。

本当は、ラスコーリニコフのピーチェル※に行きたかった。でも、病気のあなたを置いて、そんなに遠くには行けない

※ピーチェルとは、サンクト・ペテルブルクを玄人っぽくというか通ぶって呼ぶ気取った言い回しで、要はロシア語ではСанкт-Петербургと書いて、敢えてカタカナを振るのであれば「サンクトゥ・ピーチェルブルク」といったような発音になるため、ちょっとロシア語が出来る奴っぽくなるのである。しかし、まじめに何か伝えようとしているのに、こういうことをやると寒さしか残らないので良い大人の皆さまはやめましょう。

 さて、どこから突っ込んだら良かったのか――そもそも、ラスコーリニコフの足跡めぐりなんて最早完全に観光客向けのイベントで、「地球に歩き方」にすらルートが載っている。とっくに留学を終えていても良い年齢の延長大学生が今更行きたがるにはちょっと恥ずかしいというか、うん、内心の自由はあるが声に出して言うのは恥ずかしいことだと思う。エッフェル塔に上りたい!とさして変わらない位、もう手垢がついていて俗っぽい行為だと思う。勿論、やるのは自由だが、長年ペテルブルクに憧れていた、なぜなら……に続けるにはあまりにも陳腐。笑止。貧弱!貧弱ゥ!(使ってみたかた……)更に、病気の私を置いて……というのにも疑問が残る。そもそも、私の持病は十代の時に発症しており、結構毒要素が強いとはいえ愛情は深い母親が心身を削って私のために病院に付き添い続け、健康のために出来ることをあれこれと工夫し、彼女なりに気遣ってくれていて、いざというときの看病は母がやってくれていた。稲田が看病してくれたことなど一度もないのだが、なぜ急に保護者然といった言動が出てくるのかわからないし、何なら、我が家にしょっちゅう来て世話をされていたのは稲田のほうなのだが、どうも理解しかねる。彼の中では、自分が近くにいる程謎の癒しエネルギーが出て私の健康が改善されるという設定でも出来ていたのだろうか?実際は、私が入院したときも、稲田は甲斐甲斐しく通ってくれて、本を届けてくれたりと確かに助力は惜しまなかったのだが(この時に、沢山本を読めたし、その点ではとても感謝している)、着替えを持ってきた荷物沢山の母に席を譲ることを思いつかないレベルで気が利かなかったし、そういう「着替えを持ってくる・洗濯物を持ち帰る」といった地味だが本当に必要なことをしてくれたわけではなく、子供が「元気になってね!」とお花をくれるような、有難いけれど必要不可欠ではないことを色々してくれるという感じだった。だから、別に彼がどれだけ遠くにいっても、南米に行こうが月に行ってこようが、私の健康には何の影響もない。寧ろ、貯金もせず計画も立てずグダグダだったから行けず終いになっているペテルブルクをあきらめた理由を私のせいにするのは卑怯ではないだろうか?

 「君の傍にいてあげたい」という感情を嘲笑するのは醜いことだという人もいるだろう。実際、稲田の中に、「自分が一緒にいてあげること」を崇高な義務と心得る傾向があったのは恐らく確かで、私だって、他人の価値観を頭ごなしに否定はしたくない。だが、大切な相手と一緒にいるだけ、寄り添っているだけでは何にもならない時というのが確かにあるはずだ。それこそ、「自分にとっては辛い、地味なこと」をして、本当の自己犠牲を払わなければ意味がない時はある。稲田にとって、私の「傍にいてあげる」のは、ハッキリ言ってしまえば楽なことだったはずだ。吐露させてもらうと、私は、彼が楽なほうへ、楽なほうへと逃げることを恥ずかしく思っていた。私は、彼が「ペテルブルクに行きたい」という明確な自らの夢を持って、そのためにコツコツと準備をして旅立つのであれば、喜んで背中を押したと断言できる。私が嫌だったのは、目の前の課題から逃げてばかりで、簡単に手が届く所にばかり逃避の旅をして、大きな目標のための準備をしないその姿勢だった。この言葉をはっきりと伝えたことはないが、そのことを直球に言わなかったことは彼との関係において、私が反省するべき点かも知れない。それで彼が私を徹底的に嫌えば、それはそれで現状よりはマシな終わり方だったと思う。

 まあ、後に彼は短期間とはいえロシアでの勤務を経験するのだから、それで海外コンプレックスは消えたかも知れないのだが、それが根本的な、彼の自分にものすごく甘い性格を叩き直したかというと、そんなことはどうやらなさそうである。


★次回、京都旅行や長野旅行であったことをちょちょっと書いていきます。

 今回は纏めるのがすごく難しくて、どこで分けよう、どうつなげようとすごく悩みました…。分かりづらい部分があれば、ご指摘いただきたいと思っています。文章の練習も兼ねていないこともありません。


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