稲田七浪物語――とあるモラとの出会いと別れ――⑫
前回はこちら。
12. コース合宿を巡る、モラとの攻防
既にサークル合宿に関する話はだいぶ最初のほうに書いたが、今回書いておくことにしたのは、私が大学二年から四年までの間にあった、コース合宿に関連するあれこれだ。稲田とは主にサークルに関連したトラブルが多かったが、同じ文学コースの先輩後輩でもあったから、コースのイベントはどうしても共有することになってしまう。初めは、それを先輩後輩カップルで何か甘酸っぱいような照れ臭いようなものだと思っていたのだが、実際は色々と有害だった。
・最初の合宿
合宿は六月に軽井沢で行われる。料金の割に沢山食べられるし、二泊三日も飲み会をやっているのだから太るしかない感じで、それなりに楽しかった気もするが、そこまでは楽しくなかった気もする。
さて、先に説明しておかなければいけないのは、私の大学では一年生の時に選んだ第二外国語にある程度左右されるのだが、コースを選ぶのは二年次からだ。だから、二年生でもコース的には新入生のようなものである。コースの人数は年によってばらつきがあり、私の年は、一緒にコースに進む人がとても少なかった。稲田と決裂してしまったYは、多分それが原因ではなく、純粋に興味が違った為だと思うけれども別の文学コースに進んでしまったし、一緒にコースに来た唯一の女の子は合宿は愚か、そもそも滅多に大学に来ないでバイトをしていた。後で友人になった男の子もいたのだが、この時はそんなには仲良くなかった。合宿には来なかった記憶があるが、他には稲田と付き合う前にちょっとだけ付き合ってやっぱり無理と思ってお断りしてしまった人とか、はっきりいうと先輩の稲田以外に特別仲の良い人が同じコースにはいなかった。サークルが同じ同期は、第二外国語は同じでも全員コースが違った。
一方、一つ学年があがると、〇〇女子大という茶化した言い方がある位女性が多いとされているキャンパスの学部にふさわしく、構成員は殆ど女性で人数も多く、なんだかキャッキャしていてとても羨ましかった。そして、女の先輩たち(私は浪人しているので年齢は大体一緒なのだが)は私をのけ者になどせず、話しかけてくれたのだが、ここで、特定の男とベタベタしている弊害が現れた。先輩たちが私に興味を持ったのは、「あの変わり者の稲田さんの彼女」だからであり、いつから付き合ったのかとかどう仲良くなったのかとか、聞かれるのは稲田とのことばかり。私自身のことになど、誰も興味を持たなかった――このことに対する苦々しさが、後々の私の行動に影響したのだと今では思う。「稲田さんと付き合っているソラリスさん」以外の何ものでもなかった私は、当時頑張って勉強はしていたものの、中高生の頃から読書をしっかりしていた学生たちのようには先生たちとも話せなかったし、結局稲田と遊んでいた合宿だったとしか言いようがない。食事はおいしかったが……。まあ、それも人生の体験としては有益だったのかも知れない。教訓を得たという意味では、だ。
・行かなかった合宿
さて、次は三年生の時の話だ。この時の合宿について、私は行かないという選択をした。単純に多忙だったとか、前回がそんなに面白くなかったこととか、色々な理由はあるが、当時こそ無自覚だったものの、今思い出すと、私が周囲からどう見られるのかも考えず稲田がベタベタくっついてくることを恥ずかしく、重く感じ始めていたのだと思う。私は私、稲田の彼女の誰かではない!という独立心がお腹の底でグツグツしていた。何しろ、サークルの同期とちょっとだけ久しぶりに会ったら「稲田さん元気?」と訊かれる始末で、なんで私に稲田のことを訊くの?とイラついたりもしていたのだ。
ところで、「稲田さん元気?」と聞かれるには理由があり、私が二年の時には稲田はサークルを一応満期で引退しており、ちょっとお手伝いをしたりする人(卒業していないのでOBではない)という位置づけで、当人も卑屈になっていて、今やお役御免でチヤホヤされなくなった自分のことを「昔の王」などと中二病丸出しで語っていて、それで長らく見ない人扱いになったから私が挨拶代わりに彼のことを尋ねられたりしただけのことなのだ。だから、そこまで怒ることではないのだが、兎に角彼から少し距離を保って付き合わなければ、外から見れば私はただの付属物に過ぎなくなってしまうのだと焦っていた。それに、この年は、別記事で書いたセクハラNNが演出としてブルガーコフの作品をやることになった年で、NNとはどうせぎくしゃくしていたし、春公演への望みもなく、すっかりやる気を失っていた私は合宿になど行く理由がなかった。そういうわけで、合宿の参加可否を決める際、私は稲田に今年は行くつもりはないとハッキリ告げたのだが、すると稲田は悲しそうにこう言った。
「……俺と行ける最後の合宿だよ?」
だから何だよ。お前、大学六年生様だろ。とっくにいないはずだよな?卒業してどこかで働いているなり、進学して研究しているなりが普通だよな?なんで永遠にホヤホヤの大学生気分なんだよ、バーカ!!
……とは言わなかったし、ハッキリそう思った訳ではないが、そういう薄ら寒い気持ちをいくらかは抱いたと思う。この人はどうしてこんなに自分のことを客観的に見られないのだろう?と苛立ったが、私は「うーん、まあ……」と曖昧にして説明をせず、ただ行かないという選択をしたのだったと思う。なんというか、結婚の話の時にも書いた通り「世界中つれていってあげたい!」とか大口叩く癖に、実際にはそういうおぜん立てされた機会にいつまでもしがみついていて、自力で世界を広げようとする気配すらない所に、少しずつ少しずつ冷めていっていた気がする。冷め切るまで少々時間がかかったが……。そして、その次の、彼が行かない合宿には、私は当然のように意気揚々と参加したのであった。
・的外れな嫉妬
上述のように、一応彼が卒業し、私が四年生になっていた年の合宿には、私は参加を決めた。実はちょっと記憶が曖昧で、この年の五月辺りに私と彼は結果的に最後となったデート(この記事に書いた出来事は改めて詳細に書くつもり)をしたはずで、距離を置きたいと私から連絡したはずなのだが、合宿は六月のことで、合宿後に彼とゴタゴタがあったから、完全に会わずにいたわけではなかったみたいだ。ひょっとすると、この六月のことの少し後で距離を置きたいといったのかも知れないが、もう正確には思い出せない位記憶が薄れてしまっているのかも知れない。それでも、この稲田抜きの合宿についてはきちんと書いておきたいと思う。
この年の合宿は賑やかだった。四年生で参加を決めたのは、私だけだったかも知れないのだが(記憶が曖昧)、二年生・三年生が兎に角沢山いて、しかも恐ろしくキャラが濃い人たちで、思わず見とれてしまい、百合っぽい関係になりたい……と思わずときめいてしまうくらいの美人な後輩もいたし、下ネタばかり言っていて心底ドン引きした後輩もいたし、別の大学を修了して学士編入したという女性で、なんかいろんな意味でヤバめな人もいて、兎に角賑やかだった。先生たちもなんやかんやで賑やかなのが楽しいようで、普段温厚を極めている教授が、授業に交代制であるかのようにどちらかしか出てこない女の子二人に「シフト制なんです~~笑」と言われるや、手でパーンとツッコミの手刀をぶちかましていたり、なんか思っていたのと色々違ってカオスだった。私が二年生の時と違い過ぎた。私はただ圧倒されている内に、そのヤバめな女性に突然謎の恋愛相談をされて最終的に軽くキレた結果、なぜか物事を率直に言う人認定されたらしく微妙に親しいと思われて困ったり、稲田のことなど忘れてしまう位色々あった。後輩たちとちょっと一緒に遊んでいたら、彼らはなぜか怪僧ラスプーチンのデカブツなアレが博物館に残っているらしい!と画像を見てめちゃめちゃ盛り上がっていた(偽物らしいですけどね……)。会話の八割が下ネタだったのは確かだ。
というわけで、下ネタの陰にすっかり隠れて稲田は存在が消えていたが、確か合宿が終わってすぐの日くらいに私たちは会う事になっていた(ということは、五月のデートですぐに距離を置くことにしたという私の記憶は勘違いで、そこから徐々に距離を置きたいと感じるようになっていたということだろう)。というか、急遽会うことになったのかもしれない。稲田はこの頃には熊谷の実家に帰っており、家庭教師か何かをしながら一応公務員試験の勉強をしていたのだが(無理に決まっているのだが領事館勤め目指して……)、私が合宿に行くことは伝えていたから、不満を抱いて敢えてその直後に会いたいと考えたのかも知れない。どういう風にして、どこで待ち合わせをして、どう話したのかもう殆ど覚えていないのだが、彼が泣きそうになっていたのは覚えている。そして、自分の感情を押し殺すという経験の殆どない稲田は、私が合宿の時に彼を気遣って電話したりしなかったことを非難したりもした。実際、ほぼついていけなかったとはいえ盛り上がっている飲み会の最中にわざわざ稲田に電話する理由はないし、逆に稲田からそこまでの気遣いをされたこともないので当惑した(それに、私は、大切な人が楽しんでいる時にわざわざそれを中断して私の為に連絡してくる必要はないと思っているから、私からもそういうくだらない連絡はしたくない)。けれども、既に自信喪失しているせいだろうか、稲田は今回はただ責める人ではなかった。
「俺、ソラリスが……他の男とキスしたりしているかも知れないって想像しちゃったりして……」
と、涙ぐみながら震え声で言われて、私は色々な意味で戸惑った。だってそうだろう。私は浪人しているのもあり、私の大学では浪人生だった人など珍しくもないとはいえ、一般的には男女の付き合いでは男が年下の女を好む場合が多く(稲田だって、そうだ)、合宿に来ている男は先生たちを除けば皆私より年下である。別に、女は年下でなんぼ=女の価値は若さで決まる!という歪んだ価値観を正当化する気はなく、馬鹿げていると思うけれども、実際に、大学生の男で先輩にあたる女性を恋愛対象にする人は多くはないのだし、そもそもそんな、ウェーイ!!と下ネタで騒げる元気いっぱいの、ちょっと前まで高校生だった男の子に、修士課程に進む気でいて若干物事の見方が屈折している此方としても興味が持てない。お互いに完全に恋愛対象外だった。後に大学院に進む男の子の後輩もいて、彼とは後にも時々喋る機会があったが、割と女好きで、彼女とうまくいっていない話をするついでに「いやー、勃たないとかじゃないんですけど」と、性的な話題を平気で私に喋ってくる有様だったので、私が女だと知らなかったのかも知れない(これは嘘)。因みに、私は「そうなんだー」と超どうでもいい反応をした。
戸惑った理由はそれだけではない。そもそも、なんでそんな嫉妬をされなければいけないのか、さっぱり分からない。確かに、私は元々不倫だ浮気だと騒ぐ人たちと相容れない。貞操概念が欠落している。基本的に、人と人の関係は代替不可であって、配偶者がいれば他の人間はいらないということはないし、いつでも恋に落ちる可能性はあって、惹かれ合った相手がいるのならば配偶者がいるからといって、恋愛してはいけない理由が私にはいまいち分からない。「契約違反」以上の、根本的な禁忌の理由が私には見えない。(経済DVとか、家のことを奥さんに任せて自分は下半身ヒャッハー!とかはクズですよ勿論。下半身焙られたらいいと思うよ!)とはいえ、私はこんな考えを持ってはいても所謂肉食系ではなく、何なら死ぬまでセックスしなくてもそれが理由で死ぬこともないだろうし、恋愛はまあしたいといえばしたいが、しなくても構わない。読みたい本もいっぱいあるし、ゲームも面白い。自分のことをしているのが好きだから、複数人と付き合うなどというバイタリティーを要求される技術は持たない。付き合った人数も多くはないし、30を過ぎても結婚願望の欠片もないのだから、結婚したくない相手限定で新たな出会いを探すというのもなんだか面倒だし、必要ない。長くなったが、要は、私はそんなに積極的に男漁りをすることもなく、パトスの赴くままに初対面の男と視線を結びかわし、そのままベッドイン……みたいなこともなく、内向的で淡白なので、稲田の妄想は完全な杞憂であり、私というものを理解していないとしか思えない。まあ、所詮他人なのだから理解できなくて当然だが、稲田と違って、そこまで世界を性的な色眼鏡で見ていないのだ。しかし、悲しいことに、稲田にとって私は性愛の対象以上でも以下でもなかったらしいのだ。そのことは、次の発言からも伺える。
「でも、俺、ソラリスも……春公演の時、こういう気持ちだったのかなって(エグッエグッ)」
ほんの一瞬だけ。胸の中に光がさして、「わかってくれたんだ!」という気持ちがしたのだが、すぐに、それはモヤモヤに変わった。本当に稲田が私の気持ちを分かったのではないことは、自明だった。だって、そうだろう?彼が芝居の約束を反故にした上に、私が見に行ってあげた時に私を放置したりしたその時に私が覚えた恨みの気持ちは、男としての稲田を誰かにとられたからじゃない。何なら、芝居の約束を守ったり、私の人格を尊重してくれてさえいれば、浮気ぐらいされていたって構わなかった。ところが、彼は、ここに至ってまで、性の文脈でしか私が傍らにいないことを惜しむことが出来ないのだ!最初から最後まで、私はどこにいっても女以外の機能を持たず、普通に人脈を広げたいと考えていること、色々と知的な刺激を受けて交流をしたいと思っていることなど、この男には想像すらできないんだ!よくも、自分のくだらない性欲と、私の怒りを同列に並べてくれたものだ。稲田の気持ちが分かる人もいるだろうが、稲田のこの甚だしい勘違い、思い上がりを私は決して許せないだろう。
稲田の嫉妬は、無理のないものだったのかも知れない。とはいえ、そもそも原因をたどれば、チヤホヤされたい欲求の大きさに比して努力を怠ってきたために自分があまりにも情けない顛末を歩んでいるせいなのだし、私の気持ちを汲み取ろうとしたことがないから、ひどい勘違いを起こしたりもするのである。
三つにわたる合宿を並べてみると、実に、着実に稲田への気持ちが冷めて行った軌跡が浮かび上がってくるが、最後のこれは決定打だったのだろう。
★また演劇の話へと移ります。
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