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#19 自分の居場所を見つけるということ


『秘密のケンミンSHOW』を観ていて気づいたこと

私は、『秘密のケンミンSHOW』の「秘密のOSAKA」コーナーが大好きで、毎回欠かさず観ている。

「秘密のOSAKA」は、愛すべき大阪人の生態をどこよりもわかりやすく解説してくれる、とっても面白くてタメになるコーナーだ。

福岡から大阪に出てきて約25年。
「あー、あるあるー!」と思いっきり頷けることもあれば、「へぇー、そうやったんやー!」とまだまだ私の知らないこともたくさん。
知れば知るほど、もっと大阪が好きになる。


同じ関西でも、大阪人と相性が悪いといわれる京都人。
ある日の『秘密のケンミンSHOW』で、京都人独特の、あの遠回しな表現について、京都先生が解説をしてくれていた。

たとえば、近所のピアノの音について注意したい場合には、京都ではこう言うそうだ。
「上手にならはったねぇ」「良い音ですねえ」
これは「うるさい!」の意味なのだという。

私は「曖昧な表現や遠回しな表現が理解しづらい」という発達障害の特性があるので、京都の人が得意とする遠回しなコミュニケーションは苦手だ。
明らかな作り話や冗談でも、真に受けてしまうことがたびたびある。そして私自身は、嘘をつくのが大の苦手。バカがつくほどの正直者だ。

まだ大阪に出てきたばかりのころ、いわゆる京都の「ぶぶ漬け文化」について初めて聞かされたとき、「こわっ!」と思ったことを思い出す。
京都の方、ごめんなさいね。これはあくまで私の率直な意見なので。

この日の番組を観ていて、私は思った。

あんな遠回しな表現があたりまえのところに住んでたら、おそらく私みたいな発達の特性をもった人からすると、わけわかんなくなって、さぞかししんどいだろうな。きっと、人と話すのが嫌になるだろうな。

「空気読めよ!」と言わんばかりの発言を連発されたって、受け取る側が理解できなければ、コミュニケーションは成立しないよね?
京都の人は、発達特性を持った人にはどんなふうに接するのだろう?
発達特性を持った京都の人は、いったいどんなコミュニケーションをとっているのだろう?

……私には無理だな。

そうか!!!
だから、大阪は私に合ってたんだ!!!

大阪って、とってもフレンドリーで距離が近くて、裏表がなくて、なんでもハッキリとストレートに言ってくれる人たちばかりだからだ!!!

そういえば、私の出生地である福岡は、家族をはじめとして、なんかイヤ〜な感じの人が多かった。
意味もなくケンカ腰だったり、イヤミったらしかったり、どうにも腹黒〜い雰囲気が否めないんだよね。

あ、これはあくまで、私のまわりがそんな人たちばかりだったというだけで、福岡県民すべてがこうだというわけでは決してないので、誤解されないよう!

だから、大阪に来たときは感動だった。
ほんまに、みんなめっちゃやさしいし、とても親切丁寧に接してくれる。

特に、男の人は女の人にやさしい!!!
これは、男尊女卑がいまだ根強く残る九州ではまったく感じられなかったことだ。

たとえば、ちょっと何かを落としただけで、周辺にいる人たちが一斉に振り向き、「落としましたよ」と、わざわざ手に取って歩み寄り渡してくれる。
しかも、朝の通勤ラッシュ時とか、みんな慌ただしくしているときであっても、決してそれは変わらないのだ。

こんなこと、あたりまえのことなのかもしれないけれど、それでも私にはめちゃくちゃうれしかった。
こんなちいさなふれあいでも、心があたたかくなって、しあわせな気分になれる。

大阪は、そんな街だ。
こんな気持ちになれる街を、大阪のほかに私は知らない。

ここには、「仲間はずれ」にされない世界がある。
どんな人でも受け入れてくれる、懐の深さがある。

それまで、私には「仲間はずれ体質」がすっかり染み付いていた。どこに行っても仲間はずれにされることを前提で生きてきたせいだ。そんな生きかたが癖になっていた。

しかし、ここには、私がそれまでに生きてきた世界とは明らかに違う世界があったのだ。

しゃべっていいんだ。
みんなの輪の中に入っていいんだ。
みんなと仲良くしていいんだ。

……そんなふうに思えるようになって、私の目の前の世界が変わった。
こんな世界があるのか、と思った。

というか、この世界では、しゃべらないことは「悪」であり「罪」なのだ。
長い間、「しゃべらないこと」でしか自己主張を通すことができなかった私は、「しゃべらないといけない」ことに非常にプレッシャーを感じ、とてもしんどい思いをした。

しかし、そのしんどさも最初のうちだけだった。

「しゃべらないと損だ」

そのことにようやく気づいた私は、徐々に自分の思いを素直に言葉にするようになっていった。
「大阪」というまったくの異世界に飛び込んできた私は、新しいその世界に慣れるまで相当の時間を要したが、いつしかこの世界での暮らしが楽しくなっていた。

これで私はずいぶんと生きやすくなった。
大阪に来て、本当に正解だったと思う。
ほんとに大阪に出てきてよかったと、心からそう思える。

いつのまにか、生まれ育った場所よりも、私にとってずっとずっと大切な場所になっていた。
そして、「私はここで生きていく!」と決めたのだ。


重度のコミュ障だった私が学んだこと

人と人とは、話さなければ通じ合えないし、わかりあえない。
自分の思っていること、感じたことを言葉にしなければ、一生、誰にも伝わらないままだ。

しゃべらないけど察してほしいなんて、そんな勝手わがままは通用しない。
子どもならまだしも、大人なんだから、ちゃんとしゃべろう。
しゃべれるんだったらちゃんと自分の口でしゃべらないと、もったいないよ。

なんでもいいから、とにかく言葉にすること。
上手く話そうなんて思わなくていい。
たとえ下手でも「話したい」という姿勢を見せれば、相手はちゃんと聞いてくれるし、内容がめちゃくちゃだったとしても不思議と伝わるものだから。

言葉にするのが難しければ、何らかのリアクションをするだけでもいい。
相槌を打つ、頷く、相手の目を見る、相手のほうに体を向ける、とか。話す以外にもできることって、たくさんある。
それだけで、「あなたに興味関心を持っていますよ」「あなたと話をしたいと思っていますよ」とアピールできるのだ。興味を向けられて悪い気のする人なんてまずいないので、相手と仲良くなるには有効な手段だ。


「自分の居場所」を見つけることで、ぐっと生きやすくなる!

私が見つけた居場所が大阪だったからこそ、発達障害もちで重度のコミュ障だった私も、別人のように生まれ変われたんだと思う。
あのまま実家にいたら、いったいどんな人生を歩んでたんだろうと思うと、マジでゾッとする。

環境を変えることで、人生はかなり変わる。
これを読んでいるあなたが、もし何か上手くいかないことがあって悩んでいるのであれば、思い切って環境を変えてみるのもひとつの手としておすすめしたい。


私は大阪が大好きだ。
自分が住んでる街を好きだと言えるってことは、
自分の生きかたが好きだってことなんだよね。

いまの自分が好き。
ハッキリと胸を張ってそう言える。
大阪が好き。大阪で暮らしてる自分が好き。
いまの自分の生きかたが好き。

こんなこと、福岡にいるころには感じたこともなかったな。

福岡から大阪に出てきて約25年。
私も少しは大阪人っぽくなったかなぁ?

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