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3度目の邂逅

昨日外に出て驚いた。

また金木犀が咲いている。
今年3度目だ。

今年は早くに秋が来たと思ったら遅れて残暑がぶり返し、下がった気温にまた咲いて、乱高下した気温に振り回されて再々度咲いたらしい。
いつもあっという間に通り過ぎるその香りの季節を、1ヶ月半で3度も行ったり来たり…樹花も大変な気候だなぁ、と思う。
樹勢が衰えはしないのだろうか。

慌しく過ぎたと思っていた季節がまだ待っていてくれたようで、私個人としては少し嬉しい。
この1ヶ月半、文字通り“駆け抜けた日々“で外の空気も、空の色も、何も感じる余裕が無かったから。

大きな仕事がひと段落して、もう年末と来年が視野に入って来ている。
今年中に終わらせなければならない事はまだ沢山えるし、自分ではまだ満足していないけれど。


先日、上司と話していたら、“もっと自分のやりたい事を前面に出して良い“と言われた。
私はどうも、“考えが読めない人“らしい。
それは、理不尽な事を言われても、キャパ以上の仕事が降って来ても、粛々とことを進めて自分の感情を出さないから、だそうだ。

愚痴も言わない、怒りの感情も極力出さない、となると“本当は何を考えてるのか、全く読めない“。
それは感情的な人に比べたら、逆に怖いのだろうな、とは容易に想像がつく。

意識してやっている訳ではないけれど、ある意味仕事との向き合い方について達観している部分はあるかな、とは思う。
元々が割とドライな性格だし、ままならない事について耐性もついている。(主に育児を経験して)
人に甘えるのも得意ではないこともあって、“あまり人に心を開かない人“だと思われているのだろうな…確かに、人に完全に何かを委ねるということは出来そうにない。

ああ、でも正面きって、“あなたの考えてる事が読めない“と言われると、少し心が痛い。
それは、私が周りを信頼していないように見える、という事に等しいから。
そんな風に見えているのなら、生き方を、スタンスを、変えなければならないかしら。

いつもなら夫にちょっと話を聞いて貰うところだけれど、そんな気分になれなかった。
不意に、気付いてしまったのだ。
私と夫の関係は、対等でないということに。
それを、実は自分が嫌悪していたという事実に。

私が何かを夫と話すとき、いつも彼が不機嫌になる火種を撒かないだろうか、と気にしている。
7つ歳上の夫が何かを言うとき、それが私にとって有り難いアドバイスであったとしても、上からものを言われているようで、ふと心が重くなる。
だからといって、“君は頑張ってるよ“と承認して欲しいとか、柔らかく受け止めて欲しいという訳でもない。

他の世代の人たちのことは分からないけれど、私は所謂ロスジェネ世代で、多分少し他の世代とは違った生き方で世を渡って来た。
今になって、同期たちや同級生や、同い年の仕事関係の人たちと話していると、独特の空気感と価値観が心地良いと感じるようになってきた。
と同時に、“対等でないこと“が居心地良かったはずの関係が、窮屈なものに感じられるようになってしまった。

こんなことを誰かに話したい、というわけでもなく。
ただ、今年3度目の金木犀の香りのことも、話したいと思える人がもう近くには居ない、ということが、無性に寂しい。



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