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青と白

昔から、グラデーションで沢山の色を並べておくのが好きだった。

子どもの頃は200何十色とかの色鉛筆が欲しかったし、絵の具を少しずつ混ぜ合わせては、好みの色になるまで調整したりして遊んだ。
日本語の独特の響きも好きだから、日本の伝統色一覧を眺めては、好きな色の名前を覚えたりもした。

そんな風に色が好きだったのに、一方で絵を描くのは苦手で、デッサンだけなら人並みに描けるのに彩色した途端出来が悪くなってしまう。
デザイン画やレタリング、造形は得意だったから美術の成績は酷くはなかったけれど、あまりの技巧のアンバランスさにいつの間にか“「絵を描くのが」得意ではない“から“「美術が」好きではない“に変わって行ってしまった。


特技と言えるのか分からないけれど、いつか冷やかしで受けた色彩テストで上位2%に入ったことがある。
もしかしたら中高生の頃、少しだけ視野を広げて少しの“得意“を生かせる道を模索していたら、今いる場所が違ったのかもしれないな、と今でもときどき思う。


同じころ好きで読んでいた作家やエッセイストはコピーライターだった人たちばかりで、彼らの書くものやコピーライターとしての物の捉えかた、表現のしかたは、いまの私にもとても影響を与えてくれている。
自分がものを創る職業に就くイメージもなかったし、真っ白いキャンバスから何かを生み出すというようなクリエイター気質でもないから、いまの職業に就くことは想像だにしていなかった。

デザインとカラーとコピー(や翻訳した文章)を毎日レビューして、ブランド管理とメディアの選定とコンテンツ周りを見る仕事。
横文字の肩書を見ると知らない人は“何だかとってもカッコ良いし、凄いことをやっているヒト“という目で見てくれるけれど、ひとつひとつの仕事はとても地道で地味だ。
当たり前のように広告費だの制作費だのと、100万ドル単位の予算が降りてくる。
ときどき、ふと我に返って自分の生涯年俸よりも遥かに大きな金額をポンと使っていることが恐ろしくなることもある。

ここ数週間は、気付いたら週末というのを繰り返していて、心に全く余裕が無かった。
毎日のように降ってくる新しい案件。
本来ならゆっくり考えたいコピーや今期のメディア・ストラテジーも、右から左へ捌かざるを得ない。

あれ、私こんな状態で良いんでしたっけ?

なのにあれこれ社内の誰かから評価されたり(今の会社には相互評価制度や、表彰制度があるのだ)していると、“地に足をつけて仕事か出来ていない“という自己評価と周囲からの評価のギャップに居心地が悪く、なんだかいつも心の隅に不安と焦りを抱えてグラグラしている。

家にひとりで仕事をしている日のミーティングがない時間帯には、Spotifyで音楽を流している。
以前は好きな曲をプレイリストに入れて聞いていたけれど、このところ飽きてきたのでランダムな選曲に任せることにしてみた。

選曲を任せてみると、怖いくらい私の心情や仕事の緩急にピタッと合わせたような曲を選んでくれる。
私の脳みそ覗いてます?
それとも実はAIにもう管理されてしまっている?

数日前は、このタイトルにある“色“の名前がついた曲ばかりを連続して再生してきて、その歌詞がまた空恐ろしいほどに私の心そのままで、思わず仕事の手を止めてしまうほど。

好きなことを続けることは、容易ではなくて。
向き合うことは、時に嫌な面を見ることにもなるし、覚悟も必要なのだと。

真っさらな自分に戻ることが叶わないとしたら、せめて上から白で塗り潰して、また新しく描き直してみたい。

迷ったらどこかできっと、リセットしなければならないのだろう。
元には戻れないから、新しい光を見出して先へ進む。
梅雨の晴れ間の、抜けるような青空。
あの向こうを目指して。

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