一瞬が永遠になるものが恋 永遠が一瞬になるものが愛②

①からの続き。

上野先生の”一瞬と永遠”という言葉から、このタイトルの『一瞬が永遠になるものが恋  永遠が一瞬になるものが愛』というコピーを思い出した。
どこで見たのかと記憶の引き出しを開けつつ、こんな逆説的な書き方をするのは、辻仁成さんだろうな、と考えていたらやはりその通りだった。
『目下の恋人』という短編集のエピグラフ。
中の”好青年”という作品は後の『サヨナライツカ』のモチーフになったものだ。

恋と愛は全くの別物で、逆説的なものだと私も思う。
”恋”と”愛”が逆ではないかというひともいるけれど、”愛はいつか色褪せる”という辻氏の持論を持ってすると、「この一瞬の輝きを、永遠に記憶に留めたいと願うこと」が”恋”であり、「永遠に続く想いの中で、今を大切に思うこと」が”愛”だ。
恋はいつまでも鮮烈に記憶に残り、愛は不変の中に見出す刹那的な一瞬の輝き。

ただ、『恋はしたくなるものだけれど、愛はやってくるもの』については、私は逆だと感じている。
”恋”こそ不意にやってくるものであって、したいと願ったからといって”恋”したい相手がいきなり目の前に現れたりしないし、まして捜しあてるものでもない。
往々にしてそれは、突然始まる。

では婚活パーティーはどうなのだ?と訊かれそうだけれども、あの場で出逢った誰かを選んで"愛してゆこう”と心に決めることはあっても、その場で”恋に落ちる”ようなことは滅多に起きないのではないだろうか?

”愛”は育むもの。
能動的に自らが決めるもの。
気づいたら愛していたということもあるかもしれないけれど、結婚するときに永遠の愛を誓う行為は”覚悟を決める”という意味で、能動的に自らが決断することだ。

恋愛経験が豊富なわけではないし、"恋"についても"愛"についても、深く理解しているとは言い難いけれど。
上野先生の“一瞬が永遠に続くと言うのは、妄想だ”という発言を「結婚しても“恋”を継続させられる訳では無い」と言い換えると、確かにその通りだと思う。
“結婚式”は“恋”のピーク、あとは関係性を“愛”に徐々に置き換えつつ、いずれかたちを変えてゆく“愛”を信じたいと願いながら、世の中の「ルール」と「モラル」に縛られて生活してゆく。

自分の心に素直に従いたいのなら、みんなの乗ったレールから外れなければならない。
それはとても、勇気がいる。

"一瞬"と"永遠"のどちらを大事にしたいのか。
分人主義と共に、確かな答えや正解なんて存在しない問いなのだけれど、人生の後半生に差し掛かった今だからこそ、考えるべきテーマとして私に与えられているのかもしれない。



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