居場所

約20年振りに、故郷の空港に降り立った。
先日の地震で新幹線が運休となり、代替手段の飛行機。
普段は羽田から飛んでいない路線で、新幹線よりも空港からのアクセスなど考えると1時間ほど多くかかるけれど、それでも特急や高速バスに乗るよりずっと早い。

こんな情勢なのに移動しなければならなかったのは父の手術に伴い人手が必要だったからで、子供たちを夫に託し、PCと最低限の着替えを抱えて少し重い気持ちで青い翼に乗った。

地元の空港は海沿いにあり、10年前は津波で滑走路が水没した。
実家を出てから空港を使う機会は無かったから、海から滑走路へアプローチしてゆく光景を見るのも久し振り。
空から眺める海は穏やかだったけれど、雪のちらつく中に波が押し寄せるニュース映像を思い出して、心が締め付けられる思いがした。

独りで帰郷するのは息子の妊娠中以来のことで、父不在の実家で母と過ごすのも、いつ以来か分からないほど。
祖父母の仏壇に手を合わせ、“帰って来ました“と報告をする。
母と向かい合って夕食を食べながら、電話では話せない少し込み入った話をして、ゆっくりと大人だけの静かな時間を過ごしていると、自然と凝り固まった心が解けてゆく気がした。


翌日、父の手術中に院内待機する母を見送り、PCを開いて仕事する傍ら、家事と要介護の老犬の世話をする。
2月とは思えない暖かな一日、束の間庭に出て空を仰いだ。
東京ではもう春の気配を感じていたというのに、ここではまだ、庭の木も花も眠りについたままだ。
自分ひとりの時間は、一体どれくらい振りだろう?

父の手術は無事に終わり、帰宅した母とひと息つきながら、この先の話を少しだけ。
いずれ老いていくと頭では分かっていても、あまり実感の無かった両親の老いと、人生に残された時間のこと。

ふと話の流れで叔母(母の妹)の話になり、叔父がリタイア後のここ数年の間に随分と変わったという話になった。
“ともちゃん(叔母)より1日だけ長く生きる“と、叔父は会う度に言うのだという。
叔父は無愛想でとっつき難く、決してフレンドリーな人では無いと感じていた。
頭の切れる人だったし、いつも世の中のことを正論で斬っていくような。
叔母のことを“ちゃん“付けで呼ぶなんて想像も出来なかったし、いつも飄々としていて感情が読めない人だった。

“男の人って、寂しがりな人が多いじゃない?先に自分が逝きたいって言う話は良く聞くけれど、置いて行くのは嫌だから自分は後が良いって“
“何だかね、可愛いひとだなと思ってねー。こんな人だったんだって、40年も経って分かったのよ“
母は嬉しそうに言った。

“それは意外だねぇ“と言いながら、不意に込み上げて来るものがあった。
叔父と叔母にしか分からない、夫婦としての呼吸…それが何だかとても素敵で愛おしかった。
「good times & bad times」の歌詞の一節を、ふと思い出した。

今日は一転して、とても寒い日だった。
来る時は春を一緒に運んで来たように思えたけれど、今度はまるで冬を連れて帰るようだ、と思った。
私は一昨日、“ただいま“と故郷に挨拶したけれど、家族の待つ東京もまた“帰る場所“。
“居場所“はもちろん一つでなくとも良いのだけれど、私の“在るべき場所“は一体どこなのだろう?


空港から電車を乗り継ぎ、最寄り駅に近付いた時、“帰って来た“と思った。
叔父と叔母のように、お互いが揺るぎなく“帰る場所“になるには、きっと膨大な時間が必要なのだと思う。
いつか、私の居場所もただ一つになるのだろうか。
それは特定の土地の名前などではなく、“誰かの隣“や“心の置き場所“としての“在るべき場所“。

ひとは、孤独だ。
私も誰かの“帰る場所“に、なれるのだろうか。

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