和解

実は20年以上も黙っていたこと。
それは、“村上春樹氏の作品が苦手“だということ。

初めて読んだのは、「ねじまき鳥クロニクル」だった。
ストーリーが咀嚼できなくて、挫折しそうになった。
選んだ本が間違っていたかしら...とその時は思って、数年経って満を持して「ノルウェイの森」を読んでみた。
前回よりは大丈夫...でも深く理解できない。

世の中で称賛される作品が理解できない。
その事実は、一応色んな本に触れてきた(と思っていた)私にとって、とてつもない焦燥感を生む結果となった。

”これを理解できないなんて、レベルが低いと言われるのではないか”

世界中にファンを持ち、ノーベル賞の発表近くなるといつも話題に上る作家の世界が、読み込めない。
怖くなった私は、好きな作家に”村上春樹”を挙げる人の前では、極力好きな本の話を避けるようになった。

その後、春樹チルドレンと呼ばれる作家たちの作品をいくつも読んだけれど(伊坂幸太郎氏もその一人だし、私は彼の作品の大ファンだ)、その作家たちの世界は理解できるのに、本丸だけはどうしても切り崩せない。

そうして20年余りが過ぎ、ある人から「ハナレイベイ」について教えて貰った。
私の好きなハワイの、カウアイ島の物語。
映画を観ながら、主人公と自分を重ね合わせた。
身近でいて、無自覚に愛情を注いでいた存在を喪ったことを実感した主人公が初めて泣いた時、私も一緒に涙を流していた。

冷たい、ドライだと言われるかもしれないけれど、私も自分の子どもたちに目に見えて愛情を注いでいるとは言えないと思う。
上手く言えないけれど、私は子どものことを産んだけれど、それは子孫を繋ぐためとか、自分の血を継ぐものとかいう思いはない。
ただ単に彼らがこの世に産まれてくる手助けをしただけ、ひとりの人間として生きていくための前段階のサポーター・伴走者としての役割を担っているだけだと思っている。
その自分の立ち位置というか、子どもに対するスタンスに、「ハナレイベイ」のサチは似ている気がした。

それから暫くして、「ハナレイベイ」が載っている短編集『東京奇譚集』を貰った。
冒頭の「偶然の旅人」はNYのJazz Clubで筆者自身に起きた出来事から始まる。
それは私自身が良く経験していて、でもそれを人に話してもあまり共感を得られない(時にはフィクションだと思われる)ような不思議な偶然の話。
”この人も同じような経験をしているのだ”という深い共感を持ったとき、ようやく”村上春樹氏を理解できない(と思っていた)自分”と和解できた気がした。

20年かかってやっと少しだけ理解できた世界は、まだ少し怖くて、先へ進めない(次の作品に手を出せない)状態なのだけれど...少しずつまた歩を進められればいいな、と思っている。

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