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子供たちのために

坂道のある街で、沢山のひとに出逢った。

その街で暮らす年上の友人に連れられて行った、とある中学校の公開授業。
地方都市の教育のあり方や、都会との歴然としたリソース・教員の意識の差、ICT化の遅れを危惧している校長先生たち。
都会の子供たちにはない、純粋でスレていない目をした中学生たち。
子供たちをどんな風にこの先の道へ送り出すか、悩み迷う保護者の方たち。

私自身の子供たちへの教育への迷いに、道すじが欲しくて訪ねた街で、とても大きな課題として、子どものことを考える前に大人が変わらなければ、という事を改めて感じた。
それはほんの少しだけれど今の仕事にも繋がることで、この先の日本の教育を考えた時に、今のままではきっと子供たちの未来を先細りさせてしまうのだと、とてつもない危機感を覚えるほどの現実だった。

こんな私の拙い話にも真剣に耳を傾けてくれ、本気で子供たちの未来を憂えている人たちとの沢山の会話を通じて、ひとりの親としてだけでなく、社会の一角を担うものとして何が出来るだろうか、と夜ひとりになってから暫く考えたりもした。

年上の友人が教育の道へ進んだのは、自身の子供たちへの教育を通して、今の私と同じように未来を憂えたからだと、初めて聞いた。
彼はいま塾を経営しているけれども、その塾では勉強ではなく、ひととしての生き方を教えている、という。

塾へ来る子供たちは彼のことを心から信頼し、親に言えないような相談も沢山降ってくる。
学校との軋轢、ささいなトラブルも彼は真摯に受け止め、時には親に代わって学校と対峙している。
親でも先生でもない、避難場所のような大人の存在は、多感な時期の子供たちの拠り所となっている。

二晚に渡って、教育論や社会論をこれでもか、というくらい話した。
地元の美味しいものを食べながら、時々食べるのを忘れるほど真剣に。
かつては大手メディアにいて、まだ若かった私にメディア論やマーケティング論を優しく教えてくれた彼と、いまひとりの親同士として対等に話せているということが、とても嬉しかった。

昨夜、彼の塾で出逢った素敵な先輩女性(彼女は4人のお子さんをお持ち)から、とても嬉しいメールが届いた。
“色白で静かな方という第一印象から一転して、バイタリティー溢れる方でした“ と。

このところ、少し色んなことに疲れて自分らしくないと思っていたし、リフレッシュしたくて旅に出たので、そんな風に見えていたのだと単純に嬉しかった。
彼女の聡明そうな目と、人懐っこい笑顔。
また、あの坂道のある街へ遊びに行きたいと思う。
教育分野で私に何が出来るのか、今は答えが出ないけれど、これから少しずつやるべき事を進めて、次に彼らに会う時にはもっと前向きな話が出来れば良いなと思っている。


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