エウニルの修繕者/あご出汁(mizuo)作

ジャンル:ファンタジー、冒険
形式:短編小説
制作期間(任意):1週間

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1.プロローグ

日曜日は教会に行く日だ。
パロマは元気よく家の扉を開けた。妹のオリヴァはまだ眠いだのと駄々をこねて玄関でいじけている。毎週欠かさず通っているパロマはもう教会で聞く説法はほとんど頭に入っていたが、それでも通うのをやめなかった。街の中央に位置する聖域は、子供達が日曜に集まりお祈りをする場所であると同時に、聖職者で多忙な祖父の声を聞ける場所でもあった。神さまがどうやって世界を作り、どうやって私たちを見守ってくださるのか。聖書の逸話は例え話が多くてわかりにくいものが多いが、特に気に入っているものがあった。バベルの塔の話だ。

「——そうして神は塔を破壊し、二度と驕り高ぶらないよう人々の言葉をバラバラにしました」

ゆっくりと祖父が語り終えた。何度聞いても面白い。争いを起こしたり人を殺したりするのではなく、言葉をバラバラにするだけで人間は協力ができなくなってしまったところが特に。どんな感じなんだろう、とパロマは思う。もしいきなり父や母や妹が言っている言葉がわからなくなってしまったら。自分は会話するのを諦めるのだろうか。もしそれでも人々が塔を作るのを諦めなかったら。

もし、バベルの塔が完成していたら。

教会の門をくぐりながら、ふと振り返り高く聳えるそれに目を向けた。
この街で最も大きい建築物である祈りの塔が、ズズンと大きく動いた気がした。


2.天国

少年はいつだって本気だった。嘘なんてついたことがない。
どこまで行っても海ばかりの地平線。ぽつりと浮かんだ丸い島。丸みを帯びた褐色のほおが赤らみ、クリーム色の髪も手足の動きを受けてふわふわと揺れた。
「この塔を完成させて、天国に行くんだ!」
そう高らかに向かいに立つ少女に宣言した時も、心の底からの本心を伝えたつもりだった。
しかし。
「はあ?」
と呆れたような声で返され鼻白む。
「むりだよ、あんな大きな塔。だってここにはニネメとクェネソフしかいないもん」
その通りだった。少年——クェネソフはむぐぐと言い淀む。確かに彼らは物心ついた時からこの島に二人だった。他にあるのは島全体を覆うほどの煉瓦の塊と、木と、草と、後は掘り出せば色々あるかもしれないけど…。少女——ニネメはさらに言い募った。
「それに、その‘’てんごく‘’とか‘’かみさま‘’とかいうのもあるかわからないよ」
その通りだった。
数日前、食料探しのついでに煉瓦をほりかえした時に見つけた粘土板には、神話のような絵が描かれていた。最初はよくわからない記号でしかなかったが、他の粘土板と見比べるうちにニネメが発見した。「この島のれんがは粘土板に出てくる大きな建物で、この塔を使って人間は天国に行ったってことかな。」一見荒唐無稽ともいえるその神話は、まだ外界を知らない少年に大きな夢を抱かせるのには十分だった。
「でも、もし本当だとしたらこの塔を完成させたらクェネソフたちの仲間に沢山会えるかもしれないよ」
「でもニネメたちを置いてっちゃった人たちだよ」
「でも!わすれちゃっただけかもしれないじゃん」
「でも危ないよ」
「でも」
「でも」
議論は紛糾したが、所詮二人とも生まれて数年の子供である。そして、小さな島には収まりきらない好奇心を持っている点では、ニネメもクェネソフも同じだった。
「でも」を12回繰り返した後には二人で
「「この塔を完成させて、二人で天国に行こう!」」
と合唱していたのだった。

その後は寝床に着くまで楽しい空想の時間だ。
「天国には何があるかな」
「きっと広くていっぱい仲間がいる」
くすくす。
「沢山の食べ物もきっとある」
「神さまはいるかな」
「空を飛んだりできるかな」
くすくすくすくす。     
「雲の上だからきっとふわふわだよ」
「じゃあ鳥とおしゃべりできる?」
やがて話声は小さく途切れがちになっていく。
「天国に行ったら、ニネメも、きっとさみしくないね」
クェネソフはモソっと呟いたのを最後に穏やかな寝息を立て始める。
返された言葉を聞かないままに。
「ニネメはさみしくない。さみしいのはクェネソフだよ」


3.揺れる

翌日ニネメが目を覚ますと寝床にはもうクェネソフの姿は無かった。むくりと体を起こし建物の影から出ていくと、やみくもに煉瓦を掘り返しているクェネソフと目が合った。
「何してるの」
「塔を作ってる!」
「こわしてるみたいに見えるけど」
両腕いっぱいに煉瓦を抱えたクェネソフはやってやるぞと鼻息を荒くしている。しかしその作業は乱雑であり、元々散らかっていた煉瓦をさらにかき混ぜているような有様だった。
ニネメはあたりを見渡す。昨日まで建築物と意識したことがなかったため気が付かなかったが、崩れ重なり合っている煉瓦を注意深く観察すると元々これは大きな円柱をかたどるように壁が作られていたこと、その壁の内側には沢山の石段が螺旋を描いて上へ積み重ねられる構造をしていたことがわかる。
「だめだダメダメ!そんなんじゃいつまでも進まないよ!」
「えー!」
指摘されて口を尖らせるクェネソフにニネメは元々の構造と、どうやって直すべきかを伝える。
「まずここにある煉瓦を一度別のところに移して、元々どうやって組み合わされていたのかをみなきゃ」
そう言って煉瓦を5つ持って立ち上がろうとした。しかし。
「………重い……」
ニネメは頭が良いが力が弱かった。そして諦めも早かった。
「これ、外に持ってけばいいの?」
そう言ってクェネソフは10個ほどのレンガを抱えて歩いていく。こちらは頭は悪くても体力がある。ニネメも負けてはいられない。すぐに蔦を摘んできて、それを熱心に編み込み始めた。
太陽が真上にくる頃、汗だくになったクェネソフにニネメは縄で作った背負い網を渡した。
「すごい!ニネメ、たくさん運べるようになった!」
キャッキャとはしゃいで猪もかくやという勢いで煉瓦を運び始めるクェネソフに向かい、ニネメは言った。
「‘’やくわりぶんたん‘’だ。」
「へ?」
「ニネメが考える。クェネソフが動く。そうすれば天国にも届く!」
ぽかんと聞いていたクェネソフは「やくわりぶんたん」の意味はよくわかっていなかったがなんだか嬉しくなってデタラメに飛んだり跳ねたりした。ニネメも楽しくなったので一緒に飛んだり跳ねたりした。これが二人の間で後々まで語られる「やくわりぶんたん踊り」の誕生であった。

それから30回夜と昼を数えた頃になると、もうすっかり煉瓦は塔の外側に移された。
それからさらに3回夜と昼を数えた頃になると、ニネメの監修の元、本格的な塔の建築が再開された。
「これは結局なんなんだろう…」
ニネメは一人塔の中央部で調査を続けていた。そこには、明らかに粘土板や煉瓦と違う材質の物体が埋まっていた。それは鈍く青みがかった灰色をしており、表面にはびっしり蔦が絡まっている。大きい円柱の一方の先端は尖り、もう一方は未だ地中に埋まっている。また、円柱の表面にある窓の中には人が何人か入れそうな空間があり、何を隠そうクェネソフとニネメが長年使っている寝床はここだった。
「粘土よりも薄くて硬い」
コンコンと表面を軽くノックしながらニネメは呟いた。こんなものはあの神話にも描かれていなかったし、粘土や縄のようにこの島の土や植物からつくられたとは考えられなかった。こんなに綺麗な曲面や均整の取れた角度も、この島の技術では説明がつかないものだった。
「一体どうしてこんなところに…?誰が…」
悶々としながら考え込んでいると前につんのめりすぎていたのか、バランスを崩した。
その灰色の物質が水を弾くと気付いてから、結露を利用し生活水にするための盆を置いていたので、結果的にそれを派手にひっくり返し頭から水を被ってしまった。脳内のクェネソフが「ニネメって頭いいけど、ぶきっちょだよね」と言ってニシシと笑う。うるさい。
「もう!!!!!なんなの!!!」
叫び声が塔の中に反響した。クェネソフは上で三周目の螺旋階段を作っているため静かだ。
離れるほどの広さがないこの島において、珍しくニネメは一人きりだった。
もしこの塔が完成したら。足の速いクェネソフはずっと先に駆けて行ってしまうだろうか。たくさんの仲間と一緒に何かに熱中するのだろうか。その時自分はどんな顔をしているのだろうか。ふと日常ではおよそ感じることのない不安が顔を覗かせた。
「まあきっと天国には沢山の粘土板があるだろうし」
新しいことを学ぶのは好きだしきっと自分も楽しく生きていける。あいつが速く駆けるなら私はそれ以上に速い進み方を考えればいい。そうすれば。
「ずっと二人でいてくれるかな」
ぽつりとこぼした一言は、誰にも聞き取られず湿った土の上に積もった。

「ニネメ——————!!」
上方から聞こえてくる声にハッと我に帰る。弱気になっている場合ではない。もっと効率の良い煉瓦の運び方や積み上げ方を考えなければ。
「みてみて!!変な虫捕まえた!!!!!」
見るとクェネソフが階段の端で両腕をあげ、こちらに向かって振っている。
「そんなところで手を振り回したらあぶないよ!」
「ニネメじゃないもん、おっこちたりしないよ」
作業がうまく行っているからか随分気が大きくなっているようだ。ムッとしてニネメが言い返そうとしたその時だった。カタカタと重ねてあった陶器が音を立て、ついで中途半端に置いてある煉瓦がボコッという音とともに崩れた。
「地面が、揺れてる…!?」
冷静に分析している場合ではなかった。
上から聞こえた焦ったような叫び声に振り返ったニネメが見たのは、地面に真っ逆さまに落ちていくクェネソフの姿だった。


4.二人ぼっち

夢の中でクェネソフは一心不乱に前に進んでいた。
周囲は黄色く光り、体は驚くほど軽い。誰かが呼んでいる。横を見るととうに見慣れた顔と出くわした。彼女は水辺に立ち、足を遊ばせていた。「なんだ、こんなところにいたのか。ニネメも来なよ、案内してあげる!」しかしニネメは黙って首を振った。なんだ。仕方ないな。先に目的地に行って後で連れて行ってあげよう。
気を取り直したクェネソフはもう一度先に進もうとする。しかし先ほどまでのように上手く進めない。下を見ると右手に黒い紐が絡まりついていた。後ろからニネメの声が聞こえた。今度は叫んでいる。「え?何、聞こえないよ。」そういって立ち止まろうとすると、目指していたレンガのアーチがひび割れていることに気づいた。「——!—ネソフ!!」今度こそはっきり聞こえた。ミシミシと周りの樹木がちぎれた。

「そっちはだめだ!!!止まれ!!!」

「——————!!!!!」
持ち前の大きな瞼をガバリと開き、クェネソフは汗だらけで目を覚ました。いつも寝床にしている場所だった。
「夢か…」
そう呟いて体を起こそうとした時、右手と左足を今まで感じたことのない激痛が襲った。怪我という怪我をしたことがなかったクェネソフは混乱しアアアと情けない悲鳴を漏らした。それもそのはずである。かかっていた毛布で見えなかったが右手首には何十にも細長く切った布が巻かれ、その表面には鮮やかな赤色が滲んでいた。足にも全く力が入らないことを考えると同じ様な状況なのだろう。なんだこれは。いたい。とても痛い!
「起きたのか。」
「ニネメ…」
小さい足跡が聞こえた後、見慣れたシルエットが朝日に照らされて浮かび上がった。
「地震だ。大地はああやって時々揺れるらしい。」
説明を聞いているどころではなかった。体はあちこち痛いし動かない。不安で仕方がなかったところに友人が現れ安心したのか、クェネソフの目にはすぐに涙の膜が張った。いたいようとぐずぐず泣き始めるクェネソフに、淡々とニネメは説明した。
「酷かったのは右手と左足だ。他もたくさん打ち身になってるが、その二つは骨が折れてる。」
「ほねがおれるとどうなるの?」
「しばらくは動かせない。」
「じゃあ痛いのもずっとこのまま?」
「…ずっとじゃない。しばらくだ。」
ニネメはいつか治ると伝えたかったのだが、1秒でも我慢するのが大変な痛みにもっと耐えなければいけないという残酷な事実に、またしてもクェネソフは泣き喚いた。だがクェネソフが泣き喚くのはいつものことなので、ニネメは構わず今しがたとってきた魚を尖らせた石で刻み始めた。普段二人で分業している食料調達を一人でやらなければいけないので忙しいのだ。慰めてもらえなかったクェネソフはまた一段と泣き声を大きくした。
「痛いよお!」
「そうだな。」
ザリザリ。石が魚の鱗を削っていく。
「このまんまじゃ煉瓦を運べない」
「そうだな。」
ドン。今度は腹を捌く作業だ。
「塔を直せなくなっちゃう」
ドン!
「…」
魚の頭を切り落とした音がやたらと響いた。
「ねえ、ニネメ、なんで怒ってるの」
「怒ってない」
肩まで伸びた髪に隠れて表情が良く見えない。
「怒ってるよ!」
「違う。」
「…君も怪我してるの?」
よく見るとニネメの頭にも同じように布が巻かれていた。
「だから怒ってるんだ!」
「話を聞け。頭は少し打っただけで動けないほどじゃない。」
ニネメはゆっくり顔を上げた。そこには何の感情も浮かんでいなかった。
「もう、あの塔を直すのを諦めよう」
クェネソフは何か大きな粘土板を思い切り頭に打ち付けられたような気持ちになった。
「なんで!!ニネメだって一緒にやるっていったのに!!」
落ち着いてきた心がまた騒ぎ出した。パニックである。
「クェネソフは自分がどんな状態だったか見てないが、私は見た。血がたくさん出ていた。」
ザリザリ。魚の解体作業は二匹目に入った。まだ生きていたらしい本日の食事はビチビチと手の中で暴れ回っている。
「魚を切ると血が出る。もっと切るともっと出る。」
ドン。はらわたを裂いた。ビチビチと飛沫が尚も飛ぶ。
「その後動かなくなる。」
ドン!魚の首が落ちた。魚はついに事切れた。
「お前も三日動かなかった。」
クェネソフはじっと息を詰めて話を聞いていた。
「もしもっと悪い落ち方をしていたら。もう少し階段が高いところにあったら。」
そんなことが起こったら。もし自分が地面に落ちてぺしゃんこになって、動かなくなってしまったら。
「一人になってしまう。ニネメは怖かった。」
そう言った少女は普段の勝気な表情ではなく、感情を押し殺したような悲しげな表情だった。クェネソフはもうなんだかわからなくなってまた泣き出した。自分が死んでしまうというなんてことはそれまで考えたことがなかった。今感じている痛みよりももっと痛い怪我をして、だんだん体が冷たくなっていくのを想像した。もしそうなったらこの少女は、この誰もいない島でポツンと一人取り残される。一人で魚を取って一人で捌く。大物が取れても伝える相手は居なくて、やがて喋ることもなくなる。悲しげな顔をして途方に暮れるニネメを想像すると無性に泣きたくなった。
その後は良く覚えていない。ただ、延々泣きじゃくり疲れて眠る直前に彼はこういった。
「ごめんね、ごめんね、でもやめたくない。」

次に目覚めた時は気分が幾分か落ち着いていて、ニネメの作ってくれた干し魚を食べた。動き回ることができなくなった分、考える時間が増えた。
6回寝て目覚めた。体の痛みが少しずつマシになってきている。
60回寝て目覚めた。明日になればまた動き回れそうだ。
また夕飯を作ってくれたニネメに、クェネソフは静かに語りかけた。
「ニネメは嫌かもしれないけど、やっぱり塔を直して天国に行きたい。」
ニネメは分かりきっていたというふうに「そうか。」と呟いただけだった。
「たくさん考えた。で、思い出したんだ。血が出たのも痛いのも今回だけじゃない。」
すっかり動くようになった手で、木の実を掴んで頬張った。
「転んで大きな石に頭をぶつけた時も、魚を取ろうとして溺れた時もあった。ニネメが病気になった時もだんだん冷たくなってたし、あぶなかったと思う」
干した海藻を口に含む。これはクェネソフが作った。
「塔を作っても作らなくても、痛い思いをずっとしないなんてことはないんじゃないかな。」
これがクェネソフが動かしたことのない頭を捻りに捻って出した答えだった。
ニネメはただ一言「そうか。」と言った。


翌日、クェネソフが目を覚ますと隣にニネメの姿はなく、代わりに蔦が何十にも編み込まれた頑丈な命綱が置いてあった。

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5.届かない

それから何百何千と昼と夜を繰り返した頃。
高く高く重なったレンガの塔の一番上で、クェネソフは一人休憩をしていた。今日持ち上げた分の煉瓦はもう組み終わり、後は下に降りて寝るだけだ。ホウ、と吐いた息は白く色づいて空中に広がった。高いところは寒いと気付いたのも、塔がいよいよ完成に近づいたここ数年だった。

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幾重にも重なった螺旋階段は、一段目の時は一生懸命に走ってもたっぷり60秒はかかっていたのに今はすぐ手を伸ばせば向かい側の壁に手が届きそうだ。それは塔の先端と呼ばれる部分に達しつつあるという証拠でもあった。
もう一つ気づいたことがある。クェネソフは光を取り入れる目的で設置されている覗き窓から眼下に広がる海を眺めた。泳ぐように飛ぶ鳥は、下にいるときは白い色をしていると思ったが上から見ると青い色をしている。雲は思った以上に早く進み、地平線はどこまでも、どこまでも青い。小さい時にもこの島の周りに人が住むところはないとわかっていたが、ここまで大きな塔の上から探しても何も人が住みそうな場所が見当たらない。「天国に行って、仲間を見つける」それしか他の人間を探す方法はないのだなと教えられたようだった。
地平線が黄色く染まりつつある。早く帰らないと。
クェネソフは肩にかけていた命綱をまき直した。数年前の地震で大怪我を負った日から欠かさず持ち歩き作業場所の近くに固定している命綱は、あの後も何度も彼の命を救い、その度に頑丈になっていた。
ニネメはあれからクェネソフと一緒になってはしゃぐことをやめ、ただクェネソフを見守り知恵を貸すことにしたようだった。煉瓦の移動に時間がかかるとぼやけば滑車を使った運搬を教えてくれたし、材料がなくなってしまったときは周りの海底に沈んでいる遺跡(これが昔の建物だとクェネソフは気づかなかった)から取り出せばいいと助言をくれた。しかし。
「さみしいな」
前のように笑顔を見せて目を輝かせてはくれないんだろうか。海にかこまれたこぢんまりとした孤島。そして天国への梯子の上。年々高く積もる螺旋階段はまるきり二人の間に開いてしまった距離を表しているようだった。薄暗く寒い塔を下りながらクェネソフは以前ニネメが感じていたような孤独感と戦っていた。
自分を待つ小さい後ろ姿を思う。肩まであった髪は腰に届くくらいに伸びて切り揃えられ、わずかばかりクェネソフより高かった身長はとうの昔に追い越してしまった。クェネソフは背丈が煉瓦10個分も伸び、もっと多くの荷物をいっぺんに運べるようになっていた。
「もうそろそろ完成しそうなんだ」
「そうか。」
「ニネメも登ってみなよ!上からの景色、綺麗だよ」
「私は完成してからでいい。」
「ええーー!」
「今日は怪我しなかったのか?」
たわいも無い会話をしながらニネメの作った夕飯を囲んだ。無傷だよ、と手を広げて見せながらやっぱり心配してるのかな、とクェネソフは思う。大きくなった両手は沢山マメの痕があり、良く使う部分には布が巻かれていた。
「ニネメは天国行ったら何したい?」
「…特に何も考えてない。大抵の知識はあの動く粘土板で手に入ってしまったから」
「もっとなんかないの?美味しいご飯食べたりさ、友達作ったり」
「欲張りだな」
「えーいいじゃんこれくらい!」
相方が無口になってしまったのを誤魔化すように、クェネソフは沢山喋った。今日見た朝焼けの色、お昼に持っていった魚と果物の干物の味、煉瓦を重ねる時のコツ、あとは肩こりの治し方などなど。それが終わると「これ、この前海で見つけた」と言って可愛らしい模様のついた円筒形の小物を懐から取り出して渡し、まもなく一日の疲れからぐっすり寝入ってしまう。
警戒心のかけらもない寝顔を見ながら、ニネメはじっと考えるそぶりをみせ、やがて目を閉じた。


翌朝もまだ朝の霧が晴れないうちからクェネソフは塔を登っていった。ニネメも同様に作業を開始する。クェネソフが塔を作っている間、食料確保や建築方法の見直し、島の探索は彼女の仕事だった。塔を直し始め地震に見舞われたあの頃、寝っ転がっていることしかできなかったクェネソフはある大きな発見をした。自分たちの寝床には‘’魔法の粘土板‘’のようなものがついていたのだ。
「———Vital detection has been detected. We are starting restoring the system default settings———感知到了活体反应。进行初始设定——生体反応を感知しました。初期設定を開始します。———」
寝床の天井にあったいろんなボタンを押していたところ、急に暗かった板が光って無機質な声で話し始めたのだ。クェネソフの驚きようはまるで化け物か何かに襲われた時のようで、落ち着かせるのが大変だった。彼は恐れて近づきたがらなかったが、ニネメは興味津々だった。‘’それ‘’は人間のような声で受け答えするくせに人間らしさがなかった。それに「魚の美味しい食べ方を教えてくれ」とか、「この文字はどう読むんだ」とかいう質問には答えるが、「お前は誰だ」という質問には「お答えすることができません」という。でも悪いやつではないらしいとわかり、クェネソフはこの粘土板と時折イマイチ通じあわない会話を楽しむようになっていた。
知識欲に飢えるニネメにとって、この粘土板は怪しかろうが何だろうがとびきりのお宝だった。あれから長い年月をかけて質問の答えを分析し、沢山のことを学んだ。中でも特に興味を示したのは数学の分野である。一見役に立ちそうにないものでも、この塔建設に重要な規則が隠れていると気づいたからだ。しかし学びを深めるにつれ気づいてしまった。それこそがここ数年クェネソフに伝えることができていない残酷な真実だった。
地学と図形の知識を活用し割り出した太陽の高度と、塔の外周と角度から割り出した完成時の高さ。何度計算しても、後者の方が低かった。


「この塔は、天国に届かない」



6.飛ぶ


そろそろ頂上に着く頃だろうか。数日経ってもニネメはクェネソフに伝えることができなかった。きっと今日こそ彼は気づいてしまうだろう。そう思うと、普段は淡々とこなす食料探しにも身が入らなかった。手慰みに昨日渡された円筒形の小物をいじる。これはどのように使うのだろう。円形のそれぞれの底面には穴が開き、そこに何かを通すようだった。糸を通して装身具にでもしていたのだろうか。
「あっ」
手が滑って足元に落としてしまった。少しそそっかしいところは昔と変わっていない。割れてしまったかと思ったが意外に丈夫らしかった。そこでニネメは、拾ったあとの湿った地面に模様が転写されていることに気づいた。ひょっとして。
すぐにニネメはそばにあった葦の茎をちぎり、穴に通した。
「やっぱり…」
葦の茎を起点とし地面に押し付けて回すと、円柱の側面を覆っていた模様が地面に転写され、一枚の絵のようになった。謎解きを一つ終えた達成感に酔っていたニネメは、今度はその絵が何を意味しているのか読み解こうとした。すでに沢山の粘土板から、どの記号がなんという意味なのかは大体解読していた。
「これ、は確か被り物をしているから太陽の神で、これは山と塔だ。あれ、でも…」
絵では、山のような盛り上がりの上に塔が経っており、これは今クェネソフが直している塔だと思われる。その上に神を表すマークがある。しかし気になる点が一つ。左側に立つ泉の神はともかく、塔の右側に立っている太陽の神が、屈んで山に手を伸ばしているのである。山の上からは風のようなものが吹いているし、内側には太陽のマークがついている。
「山…太陽…風……」

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山の内側から太陽が出てくる…?そう首を捻ったが、ある可能性に思い当たる。そこからは速かった。島の一番高いところに建てられた塔、だんだんと頻度が増している地震。次々に辻褄が合っていく。そして今確実に言えるのは、

クェネソフが危ない。

「この塔は、天国に届かない」

そんなんことはクェネソフが一番身に染みてわかっていた。日々塔は細く先端に近づくが、天国に到達する気配は見えない。前と比べれば近づいた頭上の、人が沢山住めそうなほど大きく分厚い雲に手をかざす。中心部から差す太陽の光が眩しく、遠かった。
煉瓦はあと12段も積めばそれ以上は積めなくなる。

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生まれてほとんどの期間を費やしていた計画が失敗に終わろうとする事実から、彼は必死で目を背け続けていた。手を下ろし、段差に座り込んでうずくまる。
「どうしよう」
まさしくその通りである。何度も傷つき死力を尽くして完成に近づけたのに、また1から作り直す気にはとてもなれなかった。短い人生で初の挫折は、薄く冷えた空気の味をしていた。
「ニネメは、喜ぶかな」
この数年ずっと心配させていた。もう無茶をしなくなった自分を見たら、少しは前のように元気を取り戻してくれるだろうか。
———「「この塔を完成させて、二人で天国に行こう!!!」」
幼い日の約束がふと脳裏に浮かんだ。
あの時。埃まみれの粘土板が、この世界から抜け出す可能性を示した時。小さい体を満たしたのは収まりきらないほどの希望とエネルギーだった。代わり映えのなかった景色は明るく色を変え、頭の中は都合の良い空想でいっぱいだった。日々泥まみれになって煉瓦を拾っては積み、疲れてヘロヘロになるまで動き続ける。そんな行動をしたところで腹が膨れるわけでも暮らしが楽になるわけでもない。一緒に夢を語った幼馴染もやがては傍観者となった。それでも続けてきたのはひとえに、あの日夢見た景色をいつか本物にできたらという淡い期待が、体を動かす力をくれていたためだった。ふわふわの雲に寝転がること。鳥と話すこと。広い土地。美味しい果物。沢山の仲間。ここで、諦めてしまうのか。こんなところで。
すっかり意気消沈していたクェネソフは、すっかり忘れていた。
何か他のことに気を取られている時に限って、予想外の事態に見舞われることを。

次の瞬間、今までで一番強い揺れがクェネソフを襲った。

「あっっっっっっっっっっぶな!!!!!」
しかし間一髪、道につけた命綱になんとか捕まる。しかし綱を残して体は塔の外に投げ出され、足はとっかかりが見つからず宙ぶらりんだ。地震は治る気配を見せず、流石のクェネソフも動悸が止まらない。さらに出来心で下を覗いてしまったのが間違いだった。
「ヒッ…!」
自分自身で作った塔はもはや下の島の様子がわからないほど地上から遠く離れ、途中には雲が巻き付いている。三段の螺旋階段から落ちた時とは比べ物にならない。確実に、死ぬ。
本能的な恐怖から手汗が止まらずツルツルと滑る。息が上がり、判断力が鈍っていく。成長したかと思ったが、どうしようもない困難にあうと情けない悲鳴をあげるところは変わっていないらしい。
「あああああああああああああ!!!!!!!!!」


その頃塔内部では螺旋階段をなぞるように暴風が吹き上げていた。その風に巻き上げられ、目も眩むような速さで上昇する物体があった。それはニネメとクェネソフが長年寝床として使っていた灰色の円柱だった。その中に、ニネメはいた。
活火山。それがニネメの推測であり、そしてそれは正しかった。この塔は山を覆うように作られた街の、何十にも封鎖された噴火口の真上に建てられていた。「山にはプレート同士の衝突により生まれるものと、地中にある高音のマグマを噴き出すことにより生まれたものがあり」魔法の粘土板の話を思い出す。「後者のうち活火山と呼ばれるものは未だにマグマを噴き出すことがあり注意が必要です。」「マグマは地中で高音に熱せられているため、常温のものをマグマに投げ込まれると」「大爆発を引き起こします。」
この塔が高度を抑えた設計になっていたのは、火山の噴火の推進力を利用し、塔を滑走路として‘’天国‘’へ行くためだったのだ。寝床にしていたものが「乗り物」であるのだと気づいたのは偶然であり、その乗り物が火山の暴風と熱に耐えられるかは正直なところ賭けだった。
しかし、だからこそ覚悟が決まったのである。
あの小さい島が火山の噴火で失われてしまったら、それこそ自分たちに生きていく術はない。それ以前に上空高く塔の上にいるクェネソフはまず助からないだろう。
———「塔を作っても作らなくても、痛い思いをずっとしないなんてことはないんじゃないかな。」
懐かしい言葉だ。口喧嘩で勝てたことのないクェネソフが考え抜いて出した、ニネメが唯一言い返せなかった答え。
「今がまさにその時だ」
ずっと死なないなんてことはない。それなら夢に賭けてみてもいいんじゃないかという一見刹那的とも言える考え方は、命の危機を前に確かな質量を持ってニネメの背中を押したのだった。
未だ乗り物のコースは定まらず、内部にいるニネメは振り回されあちこちに青あざが増えていく。それでもその吊り目がちの目は真っ直ぐ前を見据えていた。
あっという間に頂上の光が近づき、その乗り物はニネメが乗っている部分だけ突き出す形で一時停止した。渾身の力で扉を開けると、その先には命綱に捕まりぶら下りながら涙目でぽかんとこちらを見上げているクェネソフの姿があった。不意に胸の奥がむず痒くなる。その痒さは喉を通り、笑いになって口から飛び出た。
「乗れ!クェネソフ、一緒に天国に行こう!」


クェネソフは驚きが止まらなかった。地震の後急に塔の中からたくさん熱風が出て必死に避けていたら、次は寝床にしていた灰色の物体が顔を出し、さらにその中には満面の笑みを浮かべた相棒がいたのだ。なんだかわからないが、嬉しいなんてもんじゃない。
「うん!!」
素早くニネメの横に乗り込んだ。大きくなってしまった体には少し窮屈だったが、なんとか隙間を見つけて手足を押し込む。
「機体下部に熱と衝撃波を感知。機体下部に——」魔法の粘土板が無機質に繰り返した。そういや君もいたっけ。塔の入り口で引っかかっていた乗り物は下部に沢山の熱風を受け、塔の先端部が圧力に耐えきれず膨らんでいく。「速く速く」「わかってる」おさまった状態から目一杯体を捻り、やっとのことで扉を閉めた。次の瞬間、塔の先端が破裂し勢いよく飛び出した爆風が、彼らを上空に投げ上げた。乗り物は見事に衝撃に耐え、次々と雲の割れ目を縫い太陽の方へと進んでいく。

機体内部でしっかりニネメの手を握りながら、クェネソフは扉に阻まれて見ることのできない生まれ育った場所に想いを馳せる。
——「この塔の横に書かれてる文字は何て読むの」
——「わからない、でもきっと名前があると思う。沢山の人が望んだ特別な場所だったから」

——「クェネソフ、文字の読み方がわかったぞ。この塔の名前は——」


——エウニル、神のために建てられた驚きの家。沢山の絶望と希望をくれた、2人ぼっちの完結した世界。
もし神がこれを見ていたなら、自分の家を足蹴にし天国へ行かんとする二人の傲慢さと強かさに目を見張ったことだろう。

「さようなら、僕らの故郷」

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7.エピローグ

「何、オリヴァ、私今から課題をやろうとしていたのに」
パロマは構っていられないというふうに語気を強めた。安息日である日曜日に学校で課された義務をこなすのは少し納得がいかないが、いかんせん明日の朝イチの授業で口頭チェックが行われるのだ。下手を打つと大恥をかいてしまう。でもでもと食い下がる妹をベリっと自分のスカートから引き剥がし机に向かおうとするが。
「さっき教会の泉で変なことが起こったんだって!」
という妹の言葉にもう一度向き直った。神父の孫としてその事件は見過ごせない。
「どうゆうこと?あそこは普段誰も入れないんじゃ」
「それが、バーン!!って大きな音がしてロケットみたいなのが泉から出てきたんだって!誰かが乗ってるかもしれないよ!ねえ、行ってみようよ!!」
何だそのトンチンカンな話は。
パロマはバカにしようと口を開いたが、今朝塔の方から聞こえた地響きを思い出し黙った。
「…ちょっと見るだけだよ。おじいちゃんが困ってるかもしれないから」
「うん!!!!」
こうして姉妹はこっそり教会を見に行き、その後聖域に通じる隠し通路で出会うことになる。

バベルの塔を完成させ、この世界を天国と呼ぶ、奇想天外な二人組に。

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作者の感想・あとがき
文字書くのって大変なんだなあとしみじみ思いました。結構前から膨らませている創作の一番最初の部分です。

※追記:この物語をアニメとして描きました、30秒程度ですがよろしければぜひご覧ください→ https://twitter.com/agodashi_sosaku/status/1464113832830275584?s=21

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