二つ。この世界はゲームだ

いま私たちが生きてる、存在していると思うように設定されている世界は、例えていうならばゲームだ。RPGなどのゲームは製作者、管理者がいてその者がゲームの歴史、言語、言葉、生き方、、動きなどをプログラムしている。
ゲームの中の歴史は実際にあったかは重要ではない。あったと思わせるようなものを存在させとけばいいのだ。ゲームには主人公や、村人など沢山の登場人物が存在する。まだ私たちの技術では登場人物のすべての人生を表すことはできない、
だからすべての登場人物の人生の内容をほのめかすものを置くことしかできないのだ。さて、最初にこの世界はゲームといった。私の仮説が正しければ世間一般のいう歴史、人物。織田信長、卑弥呼などがのことだ。
それは私たちを作った製作者の作った設定なのだ。みんなは一度は疑問に思ったことはないか?学校で学ぶ歴史の教科書は実際に存在したと思わせるような物が載っているが、実際に存在したと思わせるだけで、確かなことを言える人物は存在しない。
だが世間は歴史は存在したと言う、その理由は、歴史はあったと教えることを繰り返してきたからだ。まあ、洗脳というわけだ。だがみんなはそれを普通のことのように接するだろう?それはなぜか。
もう一度ゲームんお話に戻ってみよう。ゲームの中の人物たちは歴史を一切疑わずに生活している、理由はゲームの製作者が疑わないことを通常プログラムしているからだ。これはゲームであるこの世界にも言えることだ。
結論はこの世界の歴史は製作者の作った設定の一部であり、基本的には疑わず、信じることをプログラムされている。ということ。
第三章では私のように疑う者について書こうと思う。

補足

この世界はゲームといったが、プレイヤーは存在しない。理由は簡単、開発段階のゲームだからだ。だからこの世界の今の技術は愚かで脆いものしかない。

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