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読書感想文よりも、読書の収集記録はどうかな?

学生さんは夏休みの時期ですね。夏休みの宿題といえば、読書感想文なんてあったっけ、とふと思い出しました。

読書好きのみなさんは、読書感想文は好きでしたか? 私は実はあまり好きでないほうでした。

学校の先生がいつも教えてくれるような「正しい」価値観を肯定する方向性で物語の感想を書くことが必要なのかなという気がしていたからです。

たとえば、「主人公の誰々くんみたいに他人に優しくしようと思いました」とか、「オオカミ少年の話を読んで嘘をついてはいけないと学びました」とか…。

そうした立派な教訓を探すために本を読まないといけない気がして、つまらなく思ってしまっていたのかなと思います。


そこで、もし今の自分が一人の大人として子どもたちに本を読んでもらう宿題を出すとしたら、どんなやり方がいいかなと考えてみました。

どんなふうに本を読むことと関わってもらえたら嬉しいかな? …読書感想文よりも読書の「収集記録」みたいなものを作ったらおもしろいかも。


話は変わって、何かの本で読んだのですが、イギリスでは元々児童文学は子どもたちへの教訓を含むべきものだったそうです。

それを変えたのが、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』だったそう。たしかに純粋に子どもが楽しめる作品ですよね。冒頭でアリスは絵のない本なんて面白くない!というようなこと言っている。人間のマナーはへんてこな動物たちで戯画化される。公爵夫人の垂れる教訓は意味をなさず、くすくす笑えるユーモアに変わる。私もこのアリスの世界がとても好きでした。

お姉さんが読んでいる本を一、二度のぞいてみたけれど、さし絵もなければ会話もありません。「さし絵も会話もない本なんて、なんの役に立つのかしら?」とアリスは思いました。

ルイス・キャロル(河合祥一郎訳)『不思議の国のアリス』角川文庫、2010年、p11

「そして、その教訓は、『人からこう見られたいと思うものになれ』ーーあるいは、もっとかんたんに言うとーー『かつての自分あるいはかつてそうであったかもしれない自分が、人の目にはちがって見えているそれ以前の自分以外のものではない自分がひとの目に映ったかもしれない姿と別のものと考えてはならない』。」

同上、p122


そう考えるとやっぱり、せっかく物語を読んだのに教訓めいたものを抜き出して「共感しました」で終わらせるのはもったいない。アリスより前に回帰する必要はないと思うんです。

できれば子どもたちに読書を好きに楽しんでもらいたいなと思ったときに出てきたアイデアが、先ほどの読書の収集記録でした。



私の考える収集記録はこうです。何か心に残ったシーンを書き留めておく。箇条書きでもかまわないし、書くのがめんどくさければ覚えておくだけでもかまわない。

めずらしい模様の石、きれいな色の鳥の羽根、ふしぎなかたちをした葉っぱ、そんなものを好奇心のままに公園で集めるように。

めずらしい単語、きれいだと思った比喩、ふしぎな場面をノートに書きとめて集めるのです。なぜそう思ったのかの理由は別に書かなくてもいい。

なぜかわからないけどずっと心に引っかかって残っている小説のディテールってありませんか?

そういうものを心の中で温めつづけて、ある日新しい角度で理解できるようになったりする…というのが文学の楽しみの一つだと思うんです。あれ、なんだったんだろう…って何年もかけて時々頭の中で考えて、長く楽しめる。

たとえば私は宮沢賢治の短編『貝の火』の終わりのところを妙に覚えていて、今でもたまにふとした拍子に思い出します。つりがねそうが「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と鳴る音を。

集めるのも楽しいし、そのあともずっと温めていけて楽しい。ひと夏でその楽しみが終わらないような読書をしてもらえたら嬉しいなと思いました。

もちろん学校ではそれでは困ってしまうでしょうが。この収集記録はもはや作文ではないので…。

そもそも読書感想文は文学に触れる・楽しむというよりも別の力の訓練を目的にしていそうですよね。課題図書が小説ではない場合も多いと思います。

でも個人的には、子どもたちが集めてきたすてきな石や羽根や葉っぱやらを受け取って、ぱらぱらとめくってみたい気持ちがあります。


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