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桜餅よりも甘い自己評価もひな祭りに免じて良しとしよう(笑)

3月。
毎年この時期になると、校区の小学校へ行って、『中学校教室』なる出前授業を行なっています。

小学校から中学校への接続をスムーズに行い、『中1ギャップ』を少しでも解消するのが狙いです。

というわけで、本日、5年生、6年生、それぞれに向けてお話をしてきました。


つかみのところで、

「昨年のこの講演覚えている人?」
と6年生に尋ねたら、
ほぼ全員の手が上がりました。

なかなかの好感触。いいぞ!うん!

そこで、私は彼らにこう問うたのです。

「今日ここにきている私と、昨年話をした人は同じだと思いますか?」

私はてっきり
「同じ!」
という声が多数でると思っていました。

そこで、

「そう!確かに私は去年も話をしました。しかし、今の私と去年の私はこの一年で何かが違っています。さて、何が変わっているでしょうか?」

そう問いかけるつもりでした。

ところが、子供達の反応は最初から
「去年と違う!」
というもの。

「えーっ?去年もお話したんだけどな。忘れちゃった?」
私は苦笑いしつつ、
「去年も話をしたんだけど、忘れられているみたいだから、改めて自己紹介しますね!」
と自己紹介をしました。

そこで改めて、

「去年も話をしたのは私です。でもね、去年の私と今の私はこの一年で何かが変わってます。それは何だと思いますか?」

「髪型!」

えっ?髪型?そんなに変わってるかな・・・。

他にある?

「メガネ!」

メガネも去年と同じなんですけどね(笑)

他には?

「年齢!」

そうだね。1歳歳をとってるよね。

っていうか、君たちも去年とずいぶん変わったでしょ?

身長とか体重とか、体の成長が著しいでしょ。

実は、私たちって、「自分」っていつも同じだと認識しているけど、それって思い込みなのね。

36兆に及ぶ体内の細胞は、一定の周期で入れ替わります。
つまり、以前の自分とは別人になっているというわけです。

それから、本題に入っていくわけですが、今日お話ししたいことは、その本題ではありません。


講演をしながら、改めて思ったのが、

『自分』ってそもそも思い込みの産物だな
ということです。

過去の記憶を繋ぎ合わせて、『自分像』を作り上げている。
しかし、本当は固定されて『自分』なんてどこにもいない。
体細胞はミクロに見れば、常に生まれ、老いて、死んで入れ替わっている。
しかしマクロに見れば、あまり変わらないという『動的平衡』を保っている。

さらに、「自分」と思っている意識も、観察してみれば、次から次へ湧いては消えていく。

常に『自分』は流れている。


講演しながら、こんなことを同時進行で俯瞰して考えている自分もいる。

どれが自分なの?って話です(笑)

あえて、いうなら、予定された話を時間内に終える。

というタスクをきっちり推し進めようとしている意識が今日の『自分』のリーダーだったのかも知れません。

でも、今日の講演。

小学生の反応がよくて、対話を楽しんでいたら

キーンコーンカーンコーン

タイムオーバーです(汗)

予定していた質問への回答が3分の2で終わってしまうという大失態。

その場を取り仕切っている『自分』は焦ってました。
でもね、心地良い満足感に浸っている『自分』もそこにはいたのを『別の自分』が認識していました。

小学生はどう受け止めてくれたのかな。

帰りがけに、何人もの子供達が、しっかりと私の目を見て
「今日はありがとうございました」
と挨拶をしてくれました。

目と口元が笑っている。

その笑顔を好意的に受け止めるようにしよう。

という思いがふと湧いて出ました。

帰りがけに校長先生から
「これどうぞ」
とお土産のサプライズ。

私の大好きな桜餅でした。

桜餅を頬張りながら、

いい講演になったなあ

とあくまでも手前味噌で甘々な自分。

でも、ひな祭りという今日の日に免じて良しということにします(笑)




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