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一元観的リアリティ心をとらえて離さないワンス・アポン・ア・タイム

 4年ぶりの体調不良。金曜日の退勤後から1日半寝続け、ようやく、日曜の朝から復活。

 そんな復活の朝はリハビリも兼ねて、ゆっくりと、noteやTwitterのコメント周りをしたり、わんこ達のお散歩に行ったりと過ごした後、妻が見ていたディズニープラスの映画ワンス・アポン・ア・タイムのシーズン2から3を午後8:00まで一気に鑑賞。

 実は、シーズン1を見た時にすでに記事にまとめています。

 黒い女王が白雪姫をやっつけるためにおとぎの世界(魔法の王国)に呪いをかけて、現代の時空に国ごと移動してきたいう奇想天外なシーズン1。(王国の住人たちは、記憶を消され、過去のことは覚えていない。この街をストーリーブルックという)

 各話ごとに、ディズニーお馴染みの物語が白雪姫と巧みにリンク。
 現在を生きながらも、過去の世界のしがらみに影響を受けている登場人物達。
 鑑賞している私は、俯瞰している立場だからそれがよくわかる。

 しかし、これって
我々が、前世の記憶や今世のプランの記憶を全て消した上で人生をチャレンジしているの同じではないか?

そんなことを思いながら鑑賞していると、

ビシビシと魂の本当の願いを刺激されるような思いが湧いてくる

まるで、自分もかつておとぎの国の住人であったかのような錯覚すら覚えてしまう。

それがシーズン1でした。

では、この後シーズン2では何が起こるのか?


おとぎ話の中に感じるリアリティ

全ては中庸

 シーズン2では、『ストーリーブルック』へ侵入者がやって来ます。
 シーズン3では、仲間を助けにある場所にあるものたちが向かいます。
 (ネタバレしたくないので、説明はぎりここまで。)

「次どうなるの?」
と続きが見たくなる絶妙な終わり方に惹かれるのもこのドラマの魅力ですが、さらに引き込まれるのは、ディズニーのこの世界観の随所に、バリバリのリアリィティを感じるからです。

 そのリアリティとは、
人生に置いて『絶対』なんてない。全ては中庸に帰する。
という一元観のメッセージだと私は感じ取りました。

 一元観とは『善』と『悪』とかの対立的に物事を見るのではなく、その全てが表裏一体であるという考え方。
 中庸というものの見方、考え方のことです。

 人生の中で起こっている出来事は、自分と他者という分離の視点で物事を見ると、
「苦手なあの人は自分にとってネガティブな存在」とか
「あの人さえこうなら、もっと上手くいくのに」など
自分の都合に合わせて物事を見たりしがちです。

 しかも、その視点は『自分だけの正義の色眼鏡』からの視点であったりしますす。
『これは良い』『あれはだめ』と正義と悪を自分の色眼鏡でジャッジしている訳です。しかも、当人はジャッジしていることにすら気づいていない。

 このドラマでも、
正義と愛を貫く代名詞だと思われる『白雪姫』も『己の正義』を貫くために、闇に手を染めてしまったり、逆に『闇の帝王』がいつも本当の愛を求めていたり。

 どの人物にも根底には「愛」がありながら、己のエゴのために愛を歪めてしまいます。

 その結果間違った選択をしてしましい、そして激しい後悔の念に苛まれるのです。

後悔しない人生などない


 ドラマで繰り返される失敗と後悔のエピソードに自然人生を重ねて見ている自分がいることに気づきました。

 自分も後悔してたなと。

 しかし、どうやって立ち直ってきたか。

 そこには、偶然の出会いがあった。
 出会いとは人に限らず。それは。本だったり、テレビのコメントだったり。

 その時は偶然だと思っていました。
 でも、このドラマを鑑賞していて、自分に起こっていたことも必然だなと。
起こるべくして起きたんだと今は思います。

 その背景には、今世に限らない人の繋がり縁も関係しているのではないか。
そんな思いをビシバシと刺激されるところも、リアリティを感じるところなのです。

正しいことをするのに遅すぎることはない

 この物語の中で登場人物たちが何度も口にするセリフが

正しいことをするのに遅すぎることなない

『ワンス・アポン・ア・タイム』より

です。

 後悔をして、「あの時やっていれば・・・」そう悔やむ者に対して、
「正しいことをするのに遅すぎることはない」
と言って、再度行動を促すのです。

悔やむ者、励ます者、その時々で立場を入れ替えながら、最後は行動していく。

 つまり、ウダウダいう暇があったら行動しろ!

ということです😆

 物語だと、鑑賞している自分はノーリスクだから焦れったい思いでその様子を見守っているけど、もしかして、自分の人生になると、急に怖気付いている自分に気づきました。

「いや、失敗したら大変なことになる!」
そう言って、行動をためらうことって実際にありますね。

でもそれは
「そうなるかもしれない」という予想であって事実ではありません。
実際に予想した通りになるかもしれないし、ならないかもしれない。

それにも関わらず、私たちは、実際に起こってもいないことを『事実』のように認識して、『恐れを生み出し』行動を躊躇していないだろうか。

この物語を見ていると、知らず知らずに、そんな自問自答している自分がいることに気づきました。

魔法には対価が必要

 この物語に何度も出てくるセリフが

魔法には対価が必要

ワンス・アポン・ア・タイム


 このセリフはとても意味深いと思いませんか。

私には

 バレないズルはないぞ

という天からの教訓に聞こえました。

 私が真っ先に思いついたのは、
『裏口入学』や『産地偽装』などのような不正行為全般です。

 本来行うべき必要な努力をせずに、安易に結果だけを得ようとする。

 そして、信頼を失う。
 対価としては、実にリスクが高い。

というか、不正行為は『バレなければ』という全体があって初めて成立しますが、この世にバレないことなんて果たして本当にあるのでしょうか。

 例えば、時効が成立したような事件は、世間的にはバレなかったという見方ができるかもしれません。

 しかし、逃げ延びた、誤魔化し通した『犯人の心』が果たして『晴れ晴れとしているのか』は疑問が残ります。

 もしかすると、『ずっと心に罪を抱えたまま』でいることだって考えられます。
 それならば、罪を認め、刑期を全うした方が、気持ちの整理がついているのではないかと私は考えてしまうのです。

愛こそ万能であり全ての土台

 この物語でも、魔法が決して万能であるとは描かれていません。

 魔法を使って、人々を傅かせても、『愛』だけはどうすることもできないのです。

 結局のところ人は『愛』に基づいた行動に向かうときに、より強力な力を発揮できるようにできているのではないか。

 そんなことを感じながらシーズン2〜3の一気鑑賞をしておりました。

 ただ、私たちはいくら心の根っこには『愛』を標準装備しているとはいえ、表層の部分では、損得も考えるし、自分も可愛い訳です。
 そして、よく愛を見失います。いつも心の奥底にはあるにもかかわらず。

 そんな自分が、特別な事態に陥った時に、果たして、無償の『愛』を発動できるのだろうか?
 
 エゴに取り込まれた『見せかけの愛』に判断を誤ったりすることもあるだろうし、『自分の愛こそ正義』と他者を否定するようなこともありがちだろうな。

 それでも、いろいろあるのが人生。なるようになるさ!(ならないことはならない。でもそれでいいのだ。バカボンのパパなのだ!の境地です😆)

 ドラマのエピソードを見ていると、そんなことも考えさせられる、実にリアリティーのある『ワンス・アポン・ア・タイム』でした。

 ハマって観る価値のあるドラマだと思いますよ。(時間もかかりますが😅)


終わりに

 今回の『一元観』と言葉。
noteを賑わせたこちらのららみぃたんさんの企画で学ばせていただきました。

 ららみぃたんさんが企画し、全応募者の記事の全感想を書いてくださったこの企画。
 こちらの記事を読むと、さまざまな場面における一元観的な物の見方、考え方について触れ、人生を生きるヒントがたくさん見つかりました。
 また、私自身もこの企画に投稿し、一元観の考えを深めることができました。

一元観のさまざまなエピソードに興味を持たれたかは、ぜひ、ららみぃたんさんの記事へGOです😆


☘️最後まで読んでいただきありがとうございました。
☘️素敵なご縁に感謝です。
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