「生きる」を学び、楽しんだ無人島❶
行きたくて行きたくて悶々としていた日々からやっと解放され、僕の僕による僕のための僕らしい夏は始まった。そう無人島だ。
最低でも年に1回は海外を旅する僕にとって、1年半も旅ができないのは異常事態だった。僕の旅欲は三大欲求に劣らず強い。あまりにも旅ができなさすぎて心を病む手前まで来ていた。人間の欲はある程度満たさないと理性の歯車が狂い始めるのだなと思った。恐ろしい。
無人島が決まった時はあまりの嬉しさに興奮し、noteに書かずにはいられなかった。
当日を迎えるのが待ちきれなくて、毎日カウントダウンをしていた僕はまるで遠足が楽しみすぎて眠れない少年のようだった。
そして迎えた無人島では想像を絶するほどの濃い時間を過ごし、大切なものを手に入れた、そんな滞在だった。1回でまとめるとあまりにも長くなりそうなので数回に分けて書き綴っていく。当時の光景や想いをいつまでも忘れないために可能な限りここに残していきたい。
無人島1日目
体調を万全に整え、リュックを背負って姫路駅へと向かった。楽しみ95%、不安5%。5%の不安は「人見知り」である。僕は初対面の人と接するのが極端に苦手だ。初めての環境や空気に身を置くだけでかなりのエネルギーを使う。無人島プロジェクトには友人2人と一緒に参加したので多少心強かったが、そうはいっても残りのメンバーは誰1人知らない。
姫路駅に到着すると、大きな荷物を背負った人たちがたくさんいた。その光景を目にして、「このメンバーたちとうまくやっていけるのだろうか」と真っ先に思った。
しかし、勇敢な2人の仲間が僕に声をかけてくれたことでさっきまでの不安は一掃され、気持ちがすごく楽になった。出会って数分後には写真を撮るまでに。
とはいっても写真に写っている人全員の名前はまだ知らなかったし、話しもできていなかった。みんなの顔からまだ緊張の色がうかがえる。
また、僕の人見知りは完全に解消されたわけではなかった。覚えていないけど、どうやら僕はある人に話しかけられた時にすごく塩対応だったらしい。そのせいで僕の第一印象はすごく悪かったそうだ。
人見知りの僕は最初に話す時、ガチガチに身を固めてしまう癖があるので、無意識的に返事が素っ気なかったりしてしまう。これは話したくないからではなく(むしろめちゃくちゃ話したい)、緊張のあまり思い通りに話せないだけなのだ。
出航〜無人島に到着するまで
姫路駅でスタッフの紹介と注意事項を聞いた後、港に向かって船に乗る。船は結構な速さで進む。吹き荒れる潮風と時々かかる海水が心地よく、まるで僕の学生最後の夏の始まりを告げているかのようだった。
途中、有人島で物資の積み込みと着替えをした。着替え終わって船に戻り、周りを見回すと、飛び台のようなものがあった。見ると次から次へと飛んでるではないか。高所恐怖症な僕はできれば飛びたくなかったが、ほぼ全員びしょ濡れで自分は全身乾いていたことに違和感があったから僕も飛ぶことに。
高さは3メートルほど。写真からでは伝わりにくいけど、いざ飛び台に立つと思いのほか高い。飛んだ感想は「怖かった。もう2度と飛ばん」だった。
しかしこのときは知らなかった。この飛び台は本番への練習に過ぎないことを...
無人島到着
初の無人島の大地に足をつけ、あたりを見渡すと本当に自然と漂流物しかない。「これだ、これがずっといきたかった無人島だ!」と思うと一人で気分が高揚した。
まず自己紹介が行われた。僕はこの自己紹介がとにかく苦手だ。人の目を見て話せないし、自分をアピールすることができない。そもそも自分の何を紹介すればいいのかいつもわからない。それは無人島でもやはり同じだった。とりあえずインパクトのない平凡は紹介で済ませた。
自己紹介が終わると、まず寝床の確保のためにテントを設置した。このテント設置が侮れない。というのも疎かにすると、夜は蚊の餌食になるからだ。次に夕食の食糧調達合戦に向けての準備が行われた。雲一つなく灼熱の太陽に晒されていたにもかかわらず、みんなが主体性を発揮しており、チームワークの素晴らしさがあった。
漁獲量対決と夕食
1日目のメインイベント。夕食は自分たちが取った食料のみ。マジで。魚や食糧を捕まえないと食べるものが一切ない、まさにガチンコサバイバルなのだ。優勝チームにはご褒美が。負けるわけにはいかない。
血眼になって魚を探し追いかけるもあっさり逃げられる。目の前に魚がいるのに餌だけ食われて逃げられる。
「よっしゃ釣れた!」と思ったら釣れたのはまさかのフグ。「いや、お前は食べられんわ」と悔しさを滲ませながらそっと海へ返した。
その横で同じグループの仲間が次々と魚をゲット。あれこれと試行錯誤をしたが結局僕は1匹も釣ることができなかった。漁獲量対決では優勝こそ逃したけど、仲間のおかげで十分すぎるほどの食料を調達できた。あの時は今でも感謝で頭が上がらない。大物を取ったスタッフがいたり、珍しい魚をゲットしたメンバーがいたりと、上には上がいた。生きることの大変さを早々に痛感した瞬間だった。
食料を調達した後は無人島初の夕食だ。もうみんな腹ペコ。普段なら作るのが面倒ならレストランに行くか、ウーバーを頼めば簡単に食べられるのに、無人島では当然それがない。
グループのみんなで協力しながら、それぞれができることを全うした。空き缶を使ってご飯を炊く人。火の番をする人。魚を捌く人。誰一人ネガティブなことを発さず美味しい夕食だけを希望に作り続けた。
そして待ちに待った夕食。あちこちから「美味〜い」という声が聞こえてきた。みんなで作ったことと、新鮮な魚であることが混ざれば美味しくないわけがない。僕もひたすら「美味い」を連呼しながら箸を進めていた。
夕食中も楽しい会話が絶え間なく続いた。僕のグループは恋愛話や下品な話、すべらない話など常に笑いが起こっていた。いい大人になっても、くだらない話や些細な話で腹筋が痛くなるほど爆笑できるってとても幸せなことなんだと思いながら楽しんでいた。
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余談だが、「なにか話してよ」と言われると結構難しい。一から話を組み立てるのは得意ではないし、そもそも話がうまいとはまったく思っていない。
そういう人には質疑応答形式がいいことがわかった。僕は初めから「なんか質問ない?聞かれたらなんでも話すから」というスタンスで行くと、相手の聞きたいことが明確になるし、答える側も答えやすい。
この戦法でいくと、僕もとても話しやすくなり、いろんなことを暴露した。そのおかげで僕に対する印象が変わった人もいたようで、いいことの方が多かった。だから話のネタに困ったときはこの方法でいくことをオススメする。
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夜のゲームと語り
大自然の恵みを存分に堪能した夕食の後、まずは名前覚えゲームをした。僕は記憶力が悪いので、人の顔と名前を一致させるのが苦手で案の定苦戦した。致命的だったのは、漁獲量対決で仲間として一緒に行動したメンバーの名前をド忘れして言えなかったことだ。今回の無人島で唯一やらかしたことである。
その後みんなで円になってスタッフをはじめ全員で1日目の感想をシェアした。1日目を終えてどうだったかをみんなで話した。
「最初はすごく緊張したけど、今ではすごく楽しく過ごせている。」
「時間の経過が早過ぎてもう1日目が終わったっていう実感がない。それほど楽しかった」
みんなの口から共通して出た言葉は、「無人島に参加してよかった」「ありがとう」だった。
みんなの話を聞いていてふと思った。今日の朝に出会ったとは思えないほどの絆とみんなの暖かさが無人島全体を包み込んでいたことを。みんなが本音で話し、真剣に話を聞いている。信じられなかった。たった1日で、いや正確には出会って半日でこんなにもみんなが仲良くなっていたことに。
と同時にこの光景は必然的だとも思った。というのも姫路駅に集合した時、全体の説明会で「敬語禁止令」が発せられていた。普段の生活では相手と話すときに年上か年下か、仕事歴は長いかどうか、同期かどうかなどを気にかけ、そこから敬語を使ったり言葉使いに気をつけたりする。
今回の参加者の多くは20代前半だったが僕は28歳。みんなとの出会いが違う場所だったら、みんなは僕に敬語を使い、僕も年上の方には敬語を使っていただろうし、変な気遣いもしていただろう。
しかし、無人島では性別も学歴も年齢も国籍も関係ない。誰1人色眼鏡をかけず、「1人の人間」として全員がフラットに接したからこそ、こんなにも早く深い絆が生まれたのだ。対等な立場で接したからこそ、お互いのいい面に気づくことができた。人間関係とは本来こうあるべきではないかということを無人島が気づかせてくれた。
久々になにも思い残すことなく充実しすぎた1日を過ごした。「明日はもっと楽しくなるのかな」そうワクワクしながら誰よりも先に熟睡した。
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