議論に勝ちたいのか幸せになりたいのか
京大卒元メガバンカーの総一郎です。
実家にいるとどうもダラけてしまう。
つい3か月前まで住んでいたというのに、当時はどうしていたのだろうか。
久々娘のいない実家となると、議論する両親も懐かしいものだ。
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▼議論に勝ちたいのか幸せになりたいのか
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他の家庭の夫婦がどんな話をするのか逆に気になるのだが、我が実家の両親は本当にどうでも良いことで議論を闘わせている。
僕が小さかった時もこんな感じだったかは忘れてしまったが、論理的になったのはこのような家庭に育ったからかもしれない。
TVで地球温暖化の話が有ると、都市伝説や陰謀論的な話が好きな母親が
「実は地球は温暖化してないらしいよ」
「炭素税で儲けたい人の仕業らしい」
等と言い始める。
すると、何でも否定してマウントを取りがちな父は
「そんな訳ない」
「実際に地球は温暖化してるじゃないか」
と議論が始まる。
『○○したいのか?幸せになりたいのか?』という記事でも書いたし、タイトルで結論を言っているのだが、こんな議論に勝ったところで幸せになどならない。
地球が温暖化していようがいまいが、我々一個人の人生には関係がない。
これは別に地球に優しくない行動を無責任にとって良いという意味ではない。
地球が温暖化していようがいまいが、それは関心の輪*の話であって、自分に出来ることは影響の輪*の中のことであるという事実に変わりはないということだ。
*関心の輪と影響の輪を始めてお聞きになった方はこちらの記事をお読みいただきたい
影響の輪の外のことについて是非を議論しても意味が無いのだ。
やるべきことは影響の輪の中のこと。
「無責任だ」
「地球温暖化防止のためにエコを心掛けるべきだ」
と言う感想を持たれる方も多いだろうが、そういった「エコな行動を起こすこと」と「地球が事実として温暖化しているかどうか」は別問題だ。
自分で100年200年生きて温度を測り続けて温暖化を確認したわけでも無し。
「温暖化している」という二次情報三次情報を鵜呑みにしてそう言った行動を起こしているのが事実だ。
「地球が事実として温暖化しているかどうか」の答え合わせなど出来ない。
議論を楽しんでいるのであれば良いが、もし楽しんでないのなら、答え合わせが出来ないことを議論しても仕方がない。
信じるか信じないかはあなた次第。
議論に勝って論破したところで、自分が信じることを相手が信じるとは限らない。
自分が信じることを相手が信じるかどうか?も関心の輪の話で、影響の輪の外だ。
『神よ、
変えることができないものを受け入れる、平静さを
変えることができるものを変える、勇気を
そして この二つを見分けられる、賢明さを
私に与えてください。』
「ニーバーの祈り」と呼ばれるこの願いが叶えば世の中から議論も喧嘩も戦争もきっと無くなるんだと思う。
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