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(小説)なんじゃろうにい①

 あにきが亡うなってから、もう七年になるんじゃなあ。信じられん。ついこの間のような、十年以上昔のように感じることもある。
 去年は七回忌じゃったのに、コロナ禍で集まったら感染するかもしれんいうて、法要は中止になったんじゃ。せーでえんかのう? えーとは思わんけど、コロナじゃけえしょうがねんか。わしゃあ、ワクチンを二回打っとるけど、安心できりゃあせん。
 うかうかおろおろ生きとるうちに、あにきの亡うなった年を五年も超えて、いつの間にか八十半ばになっとる。高齢者はワクチン接種で優遇されるんじゃ。ワクチンの予約受付が急に停止されて、五十代の息子がまだ受けとらんけえ、心配じゃけど、コロナもワクチンもわしらの力じゃあどうにもならん。
 それにしても、こがーな有り様になるとはなあ。どげん賢え人も、ぼっけえ科学技術が進歩しても、AIとかいうやつでも、予想できんかったんかのう……。
 去年から一年以上こがーな状況が続いとんじゃ。ワクチン接種が進んだらようなるんか思うたら、悪うなるばあじゃ。おえりゃあせん。
 あにきが生きとったら、こがん有り様を見てどう言うじゃろうか、とわしゃあ時々考えるんじゃ。
 不幸や想定外の厄災を見ずに亡うなったあにきの方が、幸せかもしれんなあ。熊本地震で熊本城が崩れたのも、災害が少ねえと言われとったこの地で真備町がつかった(浸水した)のも、あにきは見ずにすんどんじゃからなあ。
 こがーな有り様になっても、こがーな有り様の中を、わしらは生きていかにゃあおえんのじゃ。よぼよぼふらふらと衰えていくばあの頭と身体を抱えてなあ。どうすりゃあえんじゃ。どうしょうもねえなあ。
 なんじゃろうにいーー。
 どこからかやや掠れた低い声が聞こえた。七年経とーが覚えとる。子どもの頃から側で聞いとったあにきの声を忘れるわけがねえ。
 口癖とはちょっと違うて、苦しいとき、辛いとき、悔しいとき、身も心も身動きとれんようなとき、あにきの口からその一言が飛び出した。自分自身に言い聞かせるようなその言葉は、周囲の人間にも強う響いた。わしゃあ、あにきのその言葉を聞くと、地獄の底からでも這い上がれるような気がしたもんじゃ。大げさじゃあねえで。
 もうすぐあにきの命日がくるなあ。墓参りに行くつもりじゃ。この年になると、墓地に上る坂がしんどうてきつうてかなわんけど、わしゃあ行くで。まだあの坂を上れる体力があるのを、あにきに見せてえけえなあ。待っとってな、あにき。晴れるとええなあ。

 もうすぐ二回目の東京オリンピックいうけえど、盛り上がらんなあ。コロナの中でどうして強行するんじゃと反対意見も多いらしい。
 一回目の東京オリンピックは、こがんもんじゃあなかったで。高揚感も華々しさも晴れがましさも誇らしさも、比べものにならんぐれえとてつもなかった。
 あにきの長女は三歳で、義姉さんのお腹の中には次の子どもがいて、わしは結婚したばあじゃった。わしらの未来も日本の未来も、果てしのうどこまでも広がり、大きゅうなっていくような気分にすっぽり包まれとった。日本が衰退していくとは、いっこも考えとらんかった。いっときの幻想じゃったんかのう……。
 せえでも、幻想の恩恵はあったんじゃろう。そのおかげで今、日々の暮らしの心配をせんでも生きていけとんじゃけえ。そりゃあぶげんしゃとは言えんけど、まあ御の字じゃろう。
 あにきとわしは、大工と左官として二人で組んで、長い間建築の仕事をした。高度経済成長の波に乗り、仕事は山ほどあって途切れることはなく、収入は良かった。じゃけえ、リストラに怯える安月給のサラリーマンの息子が可哀想になるんじゃ。
 子どもの頃から賢え人間じゃと思うとったけど、あにきは腕のええ優秀な大工じゃった。期日は必ず守り、仕事は早うて正確じゃった。大工は賢うねえとできん仕事じゃと、わしは身を持ってわかっとった。わしにゃあできんと。
 わしはあにきの後をついて回っとっただけじゃ。あにきが取ってきた仕事を、あにきと一緒にして、あにきから報酬をもらう。不器用なわしでも左官の仕事は性に合っとったけえ、あにきのやり方には不服はなかった。わし一人じゃあ仕事も取ってこれんし、左官の仕事すらまともにできんかったかもしれんから。
 じゃけえ、あにきには感謝しとるんじゃ。あにきのおかげで、わしの今の生活は成り立っとると思うとる。あにきは早う死んでしもうたけど、わしはもうちょっと、いやまだまだ生きるつもりで。見たくもねえ、ろくでもねえ出来事でも、あにきが見られんかったもんを見て、あにきが経験できんかったことを経験して、あの世に行くのはせえからでええわ。
 せえにしても、あちーなあ。七月の終わりはこがん暑かったかなあ? こがん暑うて、オリンピックのマラソンはできるんじゃろうか?
 熱中症になったらおえんけえ、わしはエアコンのスイッチを入れて、ソファに寝転がった。飼い猫のミミとシロが、すぐさまわしの身体に纏わりつく。老いたわしに愛想をしてくれるんは、もうこいつらぐれえになってしもうた。別にせえが寂しいとか、つまらんとかは思わん。
 ばあさんは、昼間は離れの部屋に引っこんどる。何をしょうるんか知らん。顔を合わせるのは、朝昼晩の食事のときぐれえじゃ。何十年も顔を突き合わせて暮らしてきた老夫婦なんじゃけえ、今はもうせえぐれえがちょうどえんじゃろう。
 わしの腹に乗っとるミミの背中を撫でとると、どろりとした睡魔が押し寄せてくる。シロがわしの頭に尻を擦りつけてきたところまでは覚えとるが、力を増した睡魔には勝てん。
                            (続く)


 暑〜い夏から四カ月近く間があいてしまいました。今朝、ワールドカップで日本代表がスペインに勝ち、一次リーグを突破したので、その歓喜の勢いを借りて、やっと再開となりました。
 方言にルビを振っていないので、読みにくいかもしれませんが、藤井風の「燃えよ」の歌詞を思い浮かべてイメージすると、読めるかも? しれません。
                          みちくさ創人

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