アントニオ猪木は、徳川家康である。|杉本竜
季節外れの厳しい暑さのあと、急に冬のような季節がおとずれた10月のある日のことである。京都の街は修学旅行とおぼしき学生グループを受け入れつつ、ぼちぼち紅葉の支度をはじめたようだった。
私は京阪出町柳駅をおり、東へ向かって歩いていた。しばらく行くと開放的な百万遍の交差点に出る。ズラリとならんだ立て看板も今は昔、すっかり綺麗に片付けられている。ただそれを綺麗と感じるかどうかは人それぞれなのだろうな、とぼんやりと考えながら百万遍K大学の構内に入る。
そこかしこに停められている自転車の波をかき分け、目当ての研究室に向かう。
エレベーターを3階でおり、古い書籍のにおいがほのかに香る薄暗い廊下を抜けていく。左右にドアが並んでいる。それぞれ在室中、講義中といった在籍表とともに教員の研究にまつわるシンポジウムのポスターなどが貼られていた。
お目当ての部屋は左の一番奥である。その研究室のドアには何も貼られていなかった。
ただ、「在室」というスライド式の在籍表の赤文字がひどく目立っていた。
ドアの上の曇りガラスに目をやる。明るい。電気がついている、ということは確実に在室だ。
ノックをする。
「杉木です」
「・・・どうぞ」
一拍おいて声がひびく。聞きなれたトーンの声だ。
「そろそろ来ると思ってました」
尾嶋響子教授はそういって出迎えてくれた。日本中世史の研究者で、私が大学院生の頃、同じ京都にある衣笠R大学に非常勤で教えに来られていた際にお世話になった先生である。
京都は大学と学生の街だけあって、こうして他大学の学生でもその気があるならば―その気になるのが大変なのだが―受け入れてくれる、そういう土壌があった。
「・・・アントニオ猪木について、ですね。おっとそこ、またぐなよ!」(★1)
尾嶋先生は私をちらりと見ながらいたずらっぽく言って少し笑った。尾嶋先生は実は大変なプロレスファンで、ポカンとする学生、何も気付かない学生をしり目に、
「やれんのか」(★2)
「キレてないですよ」(★3)などプロレスタームを駆使して講義をされていた。
先ほどの「またぐなよ!」も決して怒っているわけではなく、いわゆる「プロレス文法」のひとつである。そこに気付いた私が授業後のコメントペーパーに小まめに感想を書いていたところ、目にとまり親しくしていただいたというわけなのである。
「お見通しですね」
「いえ、私もそろそろ猪木について振り返る時間が欲しかったのです。ちょうどよかったです、仕事もひと段落したところだし。コーヒーでも飲まれますか?」
「ええ、すみません」
手慣れた手つきで先生はティファールのスイッチを入れた。
「お湯が沸くまで、少し話しましょう。猪木は歴史上の人物にたとえると誰だと思いますか?」
研究指導においても尾嶋先生は鋭い質問で評判だったが、猪木のベストバウトは、とか馬場と猪木とは、といったクラシカルなスタイルの質問を想定していた私は面くらった。まるで渡されるであろう花束をリングに投げ捨てられたように。
「歴史上の人物・・・ですか・・・。そうですね、やはり織田信長、ですかねぇ・・・いや単なるイメージなんですけど・・・」と考えがまとまらないままおずおずと私が答えると、
「私はそうは思いません」と先生はぴしゃりといった。
「では、先生は誰だとお思いなんでしょうか?」
「私は――」
そう言いかけたとき、ティファールのメロディが流れ出した。お湯が沸いたのだ。
「ちょっと待ってください」
尾嶋先生はコーヒーを淹れるために立ち上がり、ドリップ式のコーヒーでイノダコーヒーを注いでくれた。コーヒーの香りが研究室に漂う。
「私はね」
一呼吸おいて先生は続けた。
「猪木は、徳川家康だと思っているの」
「家康、ですか・・・」
意外な回答だった。戸惑う私の様子を見て先生は、
「意外と思いましたか?」と続けた。
「はい、あまりその・・・猪木と家康が結びつかなかったものですから、すみません」
「先入観はよくありません。私が猪木を家康と考えたのには理由があります」
「その理由をお聞かせ願えますか?」
「もちろんです。まずその前に日本を代表するプロレスラーが力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木であることは杉木さんも異論はないでしょう?」
「それは・・・まぁそうですね」
天龍、と言いかけたがまぁ三人を選べ、といわれると知名度にしてもその三人に収まるだろう。
「それが三英傑に対応するんです。したがって一番年下の猪木は家康というわけ。証明終わり」
「・・・いや先生、ちょっと待ってください。さすがにそれだけでは論拠が弱いんじゃないですか? 何かけむに巻かれたような・・・」
「説明が足りなかったようですね」
そういって白いコーヒーカップに少し口をつけ、話を続けた。
「まず力道山は信長でしょう。いわゆる『天下人』の系譜を作ったところと、日本におけるプロレス界の草分け的存在というところに共通性があります。それに一世一代の大勝負で鮮やかに勝利して名を売ったところも似ています」
「力道山―木村政彦戦が桶狭間ですか・・・」
「そう。謎が多いところも。そして晩年ですが、力道山がニューラテンクォーターで、織田信長が本能寺でともに不慮の事態に巻き込まれています」
「あぁ、確かに・・・」
「そして秀吉がジャイアント馬場」
「いや、先生、体格が違いすぎますが・・・」
「確かにそうね。でも秀吉は信長の息子・信雄を味方につけて家康と戦っていますよね?」
「なるほど、百田光雄・・・」
「そう。百田が全日にいることで、日本プロレスから全日本プロレスへと続く系譜が正当性を担保されたように思えませんか? ですから、その後に続く家康が猪木なんです」
「しかし先生、家康といえば『鳴くまで待とうホトトギス』のイメージがあります。猪木にありますか? あまりこう、待つようなイメージがありませんが・・・」
「ホトトギスの逸話も創作ですが、そうした印象を持たれていたことは重要です。猪木にもありますよ。わかりませんか?」
そういって先生は姿勢を正し、低いトーンでこう言いだした。
「待て待て待て・・・」 (★4)
少し、猪木に似ている。
「・・・飛龍革命ですか! でもあれって・・・」
「些末ばかりに目がいっていては大意をつかめません。実証も重要ですが同様に大局観も大事なんです」
強い眼力ではっきりとこちらを見すえて言い切られては首肯せざるを得ない。
「あ、はい・・・」
「また、猪木が推し進めた異種格闘技路線に代表される『プロレス最強論』ですね。これは武家政権を発足させるにあたり、その正当性を『武威』に求めた徳川政権に通じます」
「まぁ、全日と違って確かに新日、特に猪木の異種格闘技路線にはそうした印象がありますね」
「だから、その『武威』が失われる時が問題なんです。猪木のDNAを引き継いだ高田延彦がヒクソン・グレイシーに敗れた時、プロレスラー最強神話、いわば新日のプロレス最強論に終止符がうたれたわけですが、あの時のヒクソンやグレイシー一族はなんて呼ばれていましたか?」
「あぁ・・・“黒船”襲来・・・です。確かにそう考えると新日のストロングスタイル、というものが徳川政権における『武威』にあたり、それが失われた時が“開国”になるわけですね」
「その通りです。新日本プロレスは、いわば日本のプロレスにおける“江戸幕府”なんです。
「最後に、猪木の詩の朗読はご存じですよね?」
「はい。この道を行けば・・・、ですよね」
「家康も道を歩んでいるでしょう」
「あ! 東照宮御遺訓!『人の一生は重荷を負て遠き道をゆくか如し』ですね」
「東照宮御遺訓には後世の偽作という説もありますが、19世紀半ばにおいてはそのように家康が言いそうだったという風にみなされていたわけです。二人を象徴する言葉のひとつが『道』であることは興味深いところです」
「なるほど」
「また、この喪失感、空虚感でしょうか。杉木さんは猪木どっぷりの世代ではないでしょうけど、感覚は伝わるのではないでしょうか」
「はい、確かに猪木が亡くなった、というのを聞いて昭和からのプロレスがすべて何か去っていったような、そうした一抹の寂しさは感じました。同時にそれほど大きな存在だったのだな、というのも改めて思いました」
「おそらくね、元和2年、1616年4月17日、家康が死んだときもきっとそうだったと思います。『戦国の死』、『時代の死』とでもいうのかしら。大なる空虚を同時代の人にもたらせたと思います」
「お話をうかがって力道山、馬場、猪木・・・確かにこの流れは織豊期に通じるような印象を受けました」
「そうでしょう。歴史学的手法ではありませんけれど、これぐらいの妄想は許されると思います。偉大なる燃える闘魂への追悼を込めて、です。それに・・・」
そこで言葉を切って、先生は残りのコーヒーを飲み干したあと、続けた。
「猪木の追悼VTRで、北朝鮮でのプロレス興行を紹介しているのですが、猪木vsリック・フレアーが地上波で流れているの。最高よ」
先生は微笑みながら言った。そうだ、先生はアメリカンプロレスが好きだった。
「狂乱の貴公子、ネイチャーボーイ、リック・フレアーですか! 確かにプロレスを観たことのない人たちをあれだけ熱狂させるんだから本当にプロレスは肉体言語ですね。また猪木とフレアーは手が合いますね。特にフレアーの・・・」
ここまで話して来て本来の目的を思い出した。プロレスの話をしている場合ではない。
「おっと。それでですね尾嶋先生、今日うかがったのは実は猪木の件ではないんです」
「あらそうなの」
「実は、ミュージアム業界全般のことで色々悩んでいるのですが、なかなか自分の明るい未来が見えなくってですね」
私の言葉を遮るように尾嶋先生がぴしゃりと言い放った。
「見つけろテメエでー!」(★5)
燃える闘魂よ永遠に。アントニオ猪木さんのご冥福をお祈りいたします。
※この物語はフィクションです。