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第16回|犬を飼っている人はみな変人?

行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。*マガジンページはこちら

 はるが来てから朝夕の散歩がボクの日課になった。近くの公園を一周して、できるだけ排泄を終えてから、近所を40-50分間歩く。屋外で排泄するように教えたこともあって、室内ではおしっこをしてくれない。だから雨の日も雪の日も、台風のど真ん中でも、山登りに使っていた雨合羽を着て散歩に出る。ずぶ濡れになるからはるにも着せようとしたが、ウェアに脚を通した途端、微動だにしなくなってしまう。大きさや素材、軽さ、まとったときのしめつけ具合などが違うウェアを十種類くらい試したが、どれもだめ。ここぞというときに使う茹でたささみのチーズ和えで誘っても脚が前に出ない。ハンカチを背中にふわっと乗せても動かなくなることがわかった時点ではるに服を着せるのは諦めた。

 いつもは散歩が大好きで自分からどんどん歩くのに、豪雨の日はおしっこを一度に済ませ、ダッシュで帰ろうとする。うんちをしてくれないと留守中ずっと不安になるので公園の草むらへ誘ってみるが、しないときはしない。逆に、してくれたときは心底ほっとする。犬の排泄に一喜一憂するようになるとは思ってもいなかった。

 散歩するようになってから気づいたことも多い。まずは他の犬の排泄物。犬のうんちを拾うのはもはや常識だと思うのだが、それでも道に放置されたうんちは目立つ。いったい誰の仕業か。はるが来てから10年以上になるが、現行犯を目撃したことは2回しかない。2回とも「うんち忘れてますよ」と声をかけた。

 事件は早朝や深夜に起きてるというのがボクの推理だ。朝の散歩はだいたい8時前後。通勤通学の時間帯で人通りは途切れない。誰かが見ているときに放置するのはさすがに気が引けるのだろう。ボクみたいなうるさい爺に注意されたくはないのだ。人通りが少ない時間帯に散歩している人の方が相対的に放置しやすいに違いない。

 ボクが住んでいる中野には犬を連れて入れる公園が2つしかない。「生類憐みの令」で知られた徳川家第五代将軍綱吉は、犬を保護して飼うための施設をここ中野に作った。東京ドーム20個以上の広さだったらしい(中野区, 2023)。そんな歴史があるにも関わらず、今では犬と愛犬家に冷たい自治体だ。区の職員に事情をきくと、排泄物の処理にかかるコストと犬が怖い、吠えているのがうるさいという住民からの苦情が主な理由だという。一部の飼い主によるマナーの悪さや不十分な躾で他の多くの飼い主と飼い犬が迷惑を被っているという構図になるが、これは犬のうんちに限ったことではない。タバコのポイ捨てやハロウィーンの町飲みも同じことだ。ちなみに選挙のときにはドッグラン設置を公約に掲げる候補者に投票しているが、区議会の議事録を読む限り、おざなりの質問しかしておらず、整備は進んでいない。

 道路に落ちているタバコの吸い殻やゴミ、特に残飯にも敏感になった。スナック菓子、コンビニ弁当の残り、唐揚げや焼き鳥、カップ麺など、こちらも誰の仕業だ!と思わず辺りを見回してしまうような状況に出くわす。過敏になるのは、はるが拾い喰いをしてしまうからだ。前方をよく見て、はるより先に残飯を見つけ、近づかないように誘導する。散歩のときにもおやつは持参しているので、「こっち、こっち」と言いながら、ついて来たらきたらおやつをあげているのだが、ボクが気づくより先にはるが見つけてパクっといってしまうこともある。唐揚げの骨は喉につまらせでもしたら大事に至る。そんなときは口に手を突っ込んで無理やり骨を取り出す。

 人がわざと置いていく食べ物もある。公園に住む野良猫に餌をあげる人たちがいて、キャットフードが紙皿に山盛りにしてあったり、ひどいときには地面にばらばらと撒いてあったりする。最近ではそうやって地域猫を保護する団体もあるようなのだが、ボクの近所では組織だった活動はなく、個人がそれぞれ餌を置いていく。猫の数はそれほど多くなく、供給過剰状態になっていて、猫ではなくカラスが食べているし、カラスさえ食べ切れずに残って腐っていたりする。これもはるが間違ってパクっといかないように神経を使う対象だ。

 散歩コースには、車通りが少ない裏道を、往復せずに済むように一筆書きを書くように選んでいる。そんな狭い道路で一番出くわす車がデイサービスの送迎車だ。散歩の時間帯と送迎時間帯がちょうど重なっているからだろうが、業者や車両の数に、我が国が超高齢化社会に突入していることを実感するし、両親を介護した体験からも、ドア・ツー・ドアで送迎サービスが受けられる恵まれた社会に暮らしていることをありがたく思う。

 その反対に怒り心頭に達するのは歩道を暴走する自転車だ。デリバリーサービスはほぼ車道を走っていてボクの近所では問題にはなっていない。危ないのは一般人。幼子を乗せた母親から、通勤通学のおじさん、高校生までプロフィールは様々。散歩コースは車通りが少ないところを選んでいるので、行き交う自転車の半数くらいは車道を走っているのに、残り半数は人が歩いている歩道をスピード緩めずに走行している。明らかな交通違反だ。ぶつかるぎりぎりで追い越していったり、すれ違ったりすることもあるので「危ないですよ!」と声を出すこともある。聞こえてはいるのだろうが、振り向かれることはない。だからボクがすごい形相で睨んでいても、たぶん見られていないと思う。


 散歩ですれ違う犬と飼い主さんの中には挨拶を交わす人もいれば交わさない人もいる。犬同士が挨拶し合うかどうかがまず第一関門。向こうが寄ってきてもはるが興味を示さないこともあれば、その逆もある。はるはホエーヌ(吠える犬)にはおおよそ近づかないが、近づけば吠えるのにわざわざ近づいていく相手もいて、何が決定打になっているのかはボクにはわからない。

 吠えたり、飛びついてきたりするからだろう。犬の前脚が浮いてしまい、後ろ脚で立つくらいリードを短くピンと張って持つ飼い主さんもいる。ボクは自分の首が締め付けられているような感覚に陥るので、そういう飼い主さんには近づかないようにしている。カミーユ(噛む犬)なのにリードを緩めて近づけてくる飼い主もたまにいるので油断はできない。

 路上で犬に説教をしている飼い主さんも時々見かける。「だめじゃない、あんなことしたら。なんど言ったらわかるの。いい、こんど会ったら静かにご挨拶するのよ...」と延々と諭している。そういう飼い主さんにも近づかないようにしている。

 初対面でいきなり「なんという犬種ですか?」と尋ねてくる人もいる。そういうときは島本和彦作『炎の転校生』に登場する犬をイメージして「ザッシュです」と答える。「オスですか、メスですか?」と尋ねてくる人もいる。繰り返すが、初対面で「こんにちは」の挨拶もなくいきなりである。「メスです」と答えると、「うちの子はオスが苦手で」とおっしゃるので「そうですか」と作り笑顔をして早々に立ち去る。類似のパターンが「何歳ですか?」だが、変法として「10歳くらいですか」(まだ3歳のとき)や「1歳くらいですか?」(もう10歳です)もある。こうやって書くと、犬を飼っているのは変人ばかりかと思われるかもしれないが、きっとそうなんだと思う。読者の皆様にはもうお分かりだろうが、ボクはその代表格だ。

to be continued…

〈参考文献〉「中野区 (2023). なかの物語 其の五 徳川将軍家と中野

★プロフィール
島宗理(しまむね・さとる)[文]
法政大学文学部教授。専門は行動分析学。趣味は卓球。生まれはなぜか埼玉。Twitter: @simamune

たにあいこ [絵]
あってもなくても困らないものを作ったり、絵を描いたりしています。大阪生まれ、京都在住。instagram: taniaiko.doodle