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はるとボク

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行動分析学を取り入れた「犬との暮らし方」にまつわる連載。犬と生きていくこととは、犬を飼うとはいかなることか。保護犬はると行動分析学者ボクの生活から、そのヒントをお届けします。 …
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第21回|名前を呼ぶよ

 学者というのは珍妙な生き物である。「学問はともかく、それ以外は手本にならないよ。大学は動物園や博物館と同じだからね」と学生には日頃から説明している。説明というより釈明かもしれない。Tシャツ、半ズボン、サンダルで教室にやってきても驚かれないように。  犬や猫は自分の名前を認識しているだろうか? 飼い主にとっては自明の理に思えるそんなことまで、極めて真面目に、時に莫大なお金と時間をかけて調べるのが学者の生態だ。エリノールという名前の猫に「コカコーラ」と呼んで反応を観察したり、

第20回|家庭犬も歯が命

 「芸能人は歯が命」というCMは衝撃的だった。日焼けした笑顔に浮かぶ嘘みたいに白い歯を何度も見せつけられることで、ボクにとっては寝癖のようなものだった歯の黄ばみが、他人には見せられない恥部と化し、人前で口を大きく開けて笑えなくなってしまった。そして、歯を白くすると謳う歯磨き粉を雑誌広告で見つけては購入してひっそり試し、効果のなさにがっかりするというサイクルを繰り返すようになった。ホワイトニングや歯科矯正の巨大市場はあのCMがきっかけで急成長したのではないだろうか。  歯のケ

第19回|山小屋を買う

 車酔いを克服し、クレート訓練には失敗したが、クレートに入れなくても泊まれる宿を見つけることで、はるとボクの最初の旅行は千葉は館山に決定した。タナカも同行してくれることになった。  大学3年生の春休み、ボクはパッソーラという原付きバイクで房総半島を一周した。いざとなったら野宿しようとザックに寝袋を入れ、西千葉の下宿を出発した。館山の手前で視界がなくなるほどのどしゃ降りにみまわれた。雨宿りしようかと迷っていると急に晴れ上がり、目の前には黄色い花畑が広がっていた。幻かと思った。

第18回|クレート訓練を再開する

 はるとの旅行を計画し始めたボクはたちまち大きな壁にぶつかった。最近はそうでもないようだが、当時ペットと泊まれるホテルや旅館のほとんどが、客室内ではペットをクレートに入れておくことを条件としていた。ベッドや布団に上げることも禁止していた。はるはクレートには入りたがらないし、入れっぱなしにしたらがん吠えする。クッションで寝床を用意したとしても、夜中にポイッとベッドに上がってくるに違いない。このままだとレギュレーション失格だ。  そこでまずは正攻法として、クレート訓練を再開する

第17回|車酔いとプルースト効果

 小学校の遠足や林間学校でバスに乗る時に、ボクはいつも先頭の席に座らされていた。学級委員でもないのに。  左隣の窓際席にはたいてい女子が座っていた。乗車前、校庭で整列して並んでいるときから喋らなくなり、顔面が少しずつ青白くなっていく。車酔いを恐れているのだ。ボクの役目は、その子に話し続けて気を引いて、最悪の事態を回避すること、そして最悪の事態が起こってしまっても、少しでも気晴らしになるように、やはり話しかけることだった。  母が園長を勤めていた幼稚園に幼い頃から出入りしてい

第16回|犬を飼っている人はみな変人?

 はるが来てから朝夕の散歩がボクの日課になった。近くの公園を一周して、できるだけ排泄を終えてから、近所を40-50分間歩く。屋外で排泄するように教えたこともあって、室内ではおしっこをしてくれない。だから雨の日も雪の日も、台風のど真ん中でも、山登りに使っていた雨合羽を着て散歩に出る。ずぶ濡れになるからはるにも着せようとしたが、ウェアに脚を通した途端、微動だにしなくなってしまう。大きさや素材、軽さ、まとったときのしめつけ具合などが違うウェアを十種類くらい試したが、どれもだめ。ここ

第15回|噛んでいいもの、噛んではいけないもの

 犬は人が大切にしているものほど、噛んだり、隠したり、おしっこをかけたりする。そう信じている飼い主も少なくないようだ。  子供の頃に飼っていたマルチーズのルナも、玄関に並べた靴の中にウンチをしては父や母に叱られていた。母は「叱られた腹いせね」とか「あてつけにあんなことするのよ」とか言っていた。反抗期の中学生らしく、自分で叱っておきながら何言ってんだろうと内心思いながらも、当時のボクにはそれ以上、ルナの排泄について考察する術がなかった。  今考えれば、そもそもルナのトイレシーツ

第14回|原因は羊でした

 従兄弟のタナカがうちに来てくれたおかげで、はるのお腹の調子が悪そうなときでも心配することなく大学に出勤できるようになった。深夜に起こされることはまだあったが、それでも心身ともにボクはずっと楽になった。  気持ちに余裕ができたので、下痢の原因を本格的に調べ始めた。まずは山本央子先生に相談して、察子さんもお世話になっている獣医さんを紹介していただいた。ボクのうちから車で30分くらいのところにある人気の動物病院だ。院長先生が診察し、丁寧に説明してくださった。  まず、検査結果か

第13回|はる Meets タナカ

 時は戻って2012年4月。はるがうちに来てからそろそろ2か月。春休みが終わり、新学期が始まって、ボクはほぼ毎日、大学へ出勤するようになっていた。  留守番の練習は完了している。7-8時間なら問題ない。webカメラで録画した動画から、留守番中はほぼずっと、お昼寝していることが確認できている。  朝、散歩に行き、昼間は大学へ行って仕事をして、夕方までに帰宅して散歩に行く。これが平日の生活パターンとして安定し、これで安心と思いきや、事件が起こった。  その日、帰宅して居間の扉を

第12回|あの頃、そして今

「最近、耳が遠くなって」 「うちもです。段差でつまずいたり、よろけたりするようになっちゃって」  歳をとるにつれて友達との会話には体調や病気の話題が増えるものだが、飼い主同士でもそれは同じだ。 「散歩中、同じ道を行ったり来たりするんですよ」 「ぼーっと遠くを見つめて動かなくなることが増えました」 「電柱に頭ぶつけるんです。もう心配で」などなど。  はるも今年で13歳。犬年齢を人年齢に換算する方法はいくつかあるようだが、だいたい68歳くらいだろうか。いつの間にかボクを追い越し

第11回|はるホエーヌを卒業する③

 犬と暮らそうとボクが思ったきっかけは、山本央子先生の愛犬、察子さんとの出会いだった。犬は吠える。当時のボクはそう信じていた。というか、吠えない犬がいるなんて、想像すらしていなかった。犬は人懐っこく、四六時中かまってもらいたがる。ボクはそう信じてもいた。人と距離を置いて静かに佇む察子さんは、これもボクの思い込みだったことを教えてくれた。  吠えなくてもいいときに吠えることを、犬業界では「無駄吠え」という。ご飯が欲しいと吠えるのは「無駄」である。なぜなら吠えなくてもご飯はもら

第10回|はるホエーヌを卒業する②

 はるがうちに来てから、ボクが外食や会食に出かける回数はめっきり減った。仕事が終われば寄り道せず、すぐに帰宅する。行きに比べて帰りの歩く速度は1.5倍。かつて人並みに恋愛し、同棲していたときにも帰途は足早になったが、2週間と続かなかった。1か月もしたら我が家なのに足が遠のいて、飲み屋に寄り道していた。はるとの生活は今年で12年になるが、今でも帰りは早歩きだ。ボクにとっては人との暮らしより、犬との暮らしの方があっていたということなのだろう。  そんなわけでほぼ毎晩、ボクは自宅

第9回|はるホエーヌを卒業する①

 ボクが部屋からいなくなっても、家を数時間留守にしても、吠えずに一人で寝て過ごせるようになったはるだったが、それでもまだ吠えることがあった。はるの食事のとき、ボクが食事をしているとき、家に誰かがやって来たとき、クレートに入れられたときである。  食事は朝夕の散歩から帰ってから与えることに決めていた。そうすれば散歩中が一日で最もお腹が空いている時間帯になり、リードを引っ張らずに歩く練習や見知らぬ人に近寄る練習におやつを効果的に使えるからだ。  散歩から帰り、お風呂で脚を洗い、

第8回|散歩と犬友

 「はるちゃん、はるちゃん!」散歩していると近所の犬友さんが声をかけてくれる。はるも尻尾を振って近寄っていく。「はるちゃん、ほんとにかわいいですね」なんて言われると嬉しくてたまらないのだが、表情に出すのは恥ずかしく、あえて平静を保とうとしたりする。定年退職したオジサンの地域デビューは難しいというが、きっとこういうところなんだろうな。  犬同士の相性と人との相性は別らしく、犬には近づいていって匂いをかぐのに飼い主さんには無関心なこともあれば、飼い主さんに近づいていってわんちゃ