音楽の泉と皆川達夫さんと…追悼として
今日、皆川達夫さんの訃報をニュースで知った。
皆川さんは、西洋音楽史が専門の学者であり1927年生まれ92才。
ついこの間の3月までの31年、NHKラジオ第一の「音楽の泉」でお話(つまり解説)をつとめ、引退されたばかり。
3月末の放送当日、引退と知った時のショックと安堵感(御年を考えると…)とをこの3週間度々思い出してきた。
そもそも、なぜ私はこんなに1つの番組、1人の人に数週間も寂しさを感じるほど思い入れがあるのか、考察してみた。
完全に自己満足の世界だが、なんだか書かなきゃいけない気がして。
音楽の泉との出会い
実家はダイニングにテレビがなかった。
毎朝、ご飯を食べる時にはいつもラジオがついている。日曜の朝ももちろんラジオ。
8時過ぎ、ご飯を食べていると流れ出すオープニングのピアノ曲。そして始まるお話とクラシック音楽。
聴いていた最初の記憶があるのは小学生の頃。
当時毎朝歌う今月の歌も音楽の授業も大好きだった私は、「ピアノを習いたい」と家族にお願いしてみた。
でも古い考えの祖父に「ピアノの先生になるんじゃなければ無駄だ」と猛反対され断念した。
それでも音楽好きは続いていて、小4から部活動に希望すれば参加できる学校だったので「合奏部」に入部した。その後も大学、社会人最初の数年までアマチュア演奏生活は続いた。今は子育てしながら隙間に聴いている。
進学で実家を出てから日曜朝のラジオを聴く機会はほとんどなくなっていた。
再び不定期に聴くようになったのはほんの数年前。
音楽の泉が続いていて、変わらず皆川さんの声だったことにほっとした。
クラシックに縁のない家庭で育ったけれど、クラシックっていいなぁと思い続け音楽との縁が切れないでいるのは、毎週なんとなく聴いていた音楽の泉のおかげだったと今は思う。
皆川達夫さんの最後の放送日
皆川さんの年齢を知ったのは2年前。
びっくりした。
90歳を越えてなお現役で、しかも私が子どもの頃とほとんど変わらない声でラジオでお話をしてるとは…
御年を知ってからはいつか近いうちに引退の日が来るだろうと常々思っていた。
そして先月末の放送日。
ここ最近は8時半になると娘のためにテレビをつけるのでラジオはそこまでなのだが、その日はなんとなく別室で聴きたいと移動したら引退の挨拶。
直接オンエアを聴けたことに感謝した。
そして慌てて翌日早朝の再放送を録音する方法を探した。
(▲最後の放送日のホームページから拝借)
なぜこんなに寂しいのか?
1つ目は慣れ親しんだ声が聴けなくなるから。
そして御年を考えると、引退=表舞台へ再び出ることはないだろうから。
亡くなられて本当にもう聴くことはできなくなってしまった。
2つ目は、自分の子ども時代に瞬時にタイムスリップできるいわば鍵が失われたから。
皆川さんのお話される音楽の泉を聴くと、さっと自然と子ども時代の実家のダイニングへ飛べた感覚だった。
祖父母とともに実家で暮らした、自分の子ども時が本当に古い思い出に変わった、終わりを迎えたとでも言おうか。
それは祖父母が皆川さんと同世代で、2人ともすでに亡くなって15年以上経っていることも絡んでいると思う。
祖父母はいないが、まだ皆川さんの声を聴けることが、同じ時代が続いている感覚にさせていたような気がする。
そして、ひとくくりにすべきではないかもしれないが、戦前戦中戦後を生き抜いてきた苦労した世代の独特な安定感や良識、そういったものの終わりも感じて寂しさは一層つのるのかもしれない。
これからも番組は続く
4月からは奥田佳道さんが4代目としてお話を担当され、番組は続いている。
奥田さんが57歳の新人、とSNSで書かれていたのが素敵だなと思った。
もう、あの穏やかで淡々とした皆川さんの語りは最終日の録音でしか聴けないが、音楽の泉はまた日曜の朝に始まる。
このまだ消えない大きな寂しさは、音楽を聴いて昇華していこうと思う。
皆川達夫さん、本当にありがとうございました。
最後は番組のエンディングの言葉で。
「ごきげんよう、さようなら。」