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シーン28「悪い大人」3、2、1…Action!―5月27日に、私はbloodthirsty butchersの「JACK NICOLSON」を聴く【音楽文移植その1】

5月27日。
毎年この日は日付が変わったくらいのタイミングで、我が家には必ずbloodthirsty butchersが流れているような気がする。
忙しい毎日の中で時にはすっぽりその存在が抜けていても、SNSを開くと私たちと同じように、今日は吉村秀樹の声を聴いている人が必ずいるのだ。
共通の友人の呟きを見て、大体は私より先に夫のスマホから彼らの音楽が流れ出す。その音を聴いて私は思い出したかのように、YouTubeの検索窓に「JACK NICOLSON」の文字を打ち込む。これもきっと毎年のルーティンになっているのだろう、正直去年のことをそんなに正確には覚えていないのだけれど。
この曲を聴くと、いつも昔抱えていた胸を掻き毟りたくなるような気持ちが、チリチリと熱を帯びて私の中に甦ってくる。
「悪い大人」になりたかった、昔の自分。
つまらない大人になることを恐れて、苦しんでもがいていた頃の私の姿が。

大学3年の秋に、バンドサークルの友人たちと学園祭でbloodthirsty butchersのコピーバンドを組んだ。その時のメンバーとは、紆余曲折ありながらも10年近く経った今でもオリジナルバンドを続けている。
彼らの影響で、私はその時初めてbloodthirsty butchersに出会った。いくつかの曲をコピーしたけれど、その中でも特に「JACK NICOLSON」はその後の私の人生に大きな影響を与えた1曲と言っても過言ではないだろう。

大学生という今この瞬間を謳歌するしかない身分を経験したことのある人にはきっと共感してもらえると思うのだけれど、当時の私はとかく大人になりたくなかった。
当時21、22やそこらの自分の人生が、これからあと50年、60年続く。このままでは私はきっと、何の面白みもないつまらない大人になってしまう。そのことが堪らなく恐ろしかったのだ。
私の唯一の手札だと思っていたずっと好きだった音楽は、ピアノや吹奏楽、バンドとプレイするスタイルを変えながらも、それで飯を食うという選択肢には至らなかった。私にそんな才能がないことぐらい、小学校の頃には気づいていたから。
将来就きたい仕事もなかったし、そもそも自分に向いていることもわからなかったし、ろくすっぽ恋愛経験もないから誰かと一緒に生きる未来も想像できなかったし。
それでも大学3年の冬には、周囲の友人たちは目をぎらつかせて大学を出た後の就職先を探し始めていた。ちょうどそのタイミングで、私の親は初めて私に実家に帰ってこい、と連絡を寄越すようになった。実家に帰って、お母さんやお父さんみたいに公務員になりなさい。そうすれば向こう50年、60年の生活はお金に困ることもないから、と。

思えば、親が進めるままに中高一貫の中学校を受験してそこに6年通い、親が進めるままに地方の大学に進学した娘だった。もちろん多少学びたいことや興味のある分野ももちろんあったけれど、一番は「親が言うなら間違いない」という気持ちが当時の私は大きかったように思う。昔と同じように私は親の言葉を受けて、ひとまず私は公務員講座にも通い始めてみた。
けれど当時私はオリジナルバンドを始めたばかりで、本格的に活動することがあれば公務員というカタい職業は間違いなく自分の呪縛になるだろうと思っていた。
公務員のような真面目な仕事をする人間が、バンドなんてあまりいいイメージのない趣味なんてきっと持ってはいけない。何より、公務員なんてカタい仕事は私が最も恐れていた「つまらない大人」へまっしぐらじゃないか。そんな自分への強迫観念だけは人一倍強かったのだ。今となってみれば全くそんなことはないと思うけれど。
そして何より親の住む地元で、中学高校と過ごした6年間には正直いい思い出があまりない。その土地に戻れば、また昔みたいな好きなものを好きだと大声で言えない自分に戻るかもしれない。
そんないくつかの思いが膨れていくにつれ、私は親が20万も出して通わせてくれていた公務員講座にも、少しずつ出席しなくなっていった。遅れてきた反抗期のような、この後就職してからも数年続く、私と親の実家に戻る戻らないの戦争が始まった瞬間だった。

公務員講座に出席しなくなったけれど、特段別に向かいたい方向もない。所属する同じ学科の友人の9割5分が公務員講座を受けたり、教員採用試験に向けて勉強をしている中、私にはフツーの就職活動をするという選択肢しか残されていなかった。その状況もまた、より一層私を心細くさせた。マジョリティの中にいるマイノリティは、いつだって自分が間違っているのだろうか、という疑念と戦うしかないのだ。
そんな中で始めた就活でも、私はただひたすたに戸惑うばかりだった。なぜ周りの就活生たちは、半年か1年そこらの就職活動で向こう50年60年の人生をそんなにやすやすと決めることができるのだろう。何も考えてないみたいな顔をしていた癖に、立派に志望動機や自己アピールをつらつらと並べていく。まるで私1人が、将来何も考えていない阿呆みたいじゃないか。
そんなことを考えている間にも刻一刻と時間は過ぎていく。気になった企業のエントリー期間は気づけば締め切られ、興味の湧いた説明会の日程は先月分まで。その間にも親は定期的に公務員になれと連絡を寄越す、筆記試験を受けてみるだけでいいから、と。

自分の人生がこれからどうなるのか、まったく想像も付かなかった。
それでも、自分に敷かれた大学を卒業して新卒で就職するというレールから外れる勇気はなかった。
自分の将来や明日への焦燥と不安だけで生きていた、それでも歩みを止めるわけにはいかなかったから。
大学2年の時に患っていた鬱が再発した。大学を卒業するタイミングで死のうかな、なんて昔ぼんやりと考えていたことを思い出した。仮に死んだらまじで1週間ぐらい誰にも気づかれないようなシャレにならない生活だったので、さすがにそれは思い直したけど。
叶う事ならば人間という人間には誰にも会わずに生きたいと思った。都会の説明会や面接に行き来するための高速バスに揺られながら、どんどん自分が摩耗して憔悴しているような気がしていた。

それでもそんな中で、学園祭のコピーバンドをきっかけに出会った「JACK NICOLSON」は未来の見えない私の指針の1つとなった。歌の中にあったのは、前述のように元来自己への強迫観念が強く、「つまらない大人」にだけはなりたくないと思っていた私が、唯一持っていたなりたい自分の姿だったから。

“僕はどんどんと年をとっていく訳で
作るものはどんどんと色褪せる
君がその先大人になっても
悪い大人の手本でいたいんだ”
―JACK NICOLSON/bloodthirsty butchersより

何をどうしても、自分が一番心の支えとしている音楽は、ライブハウスに出入りするようなバンド活動は捨てたくなかった。それがなくなれば、私はきっと「つまらない大人」になってしまう気がしたから。
けれど、仕事をしながらバンド活動をしています、なんて大人は清廉潔白を良しとする社会から見れば立派な「悪い大人」だ。事実、バンド活動を続けるとは夢にも思っていなかった私の親には当時まあまあ渋い顔をされていたし。新型コロナウイルスに纏わるライブハウスを取り巻く社会の現状も、それを十二分に証明しているだろう。でもそれでいいと思った。具体的な職業も職種も生活スタイルも、何一つ当時の私は思いついていなかったけれど。
私は「悪い大人」になりたい。ちゃんとした仕事をしながらも、埃っぽいライブハウスで気の置けない男ばかりの中で酒を飲み煙草を吸い、バカみたいな話で腹を抱えて笑うような、楽しい時間が生活の中にあるような大人になりたい。
真っ暗なトンネルの中で藻掻いていた私が、ようやく見つけた遠くに輝く小さな出口の光。
そんなぼんやりとした「憧れの大人の姿」を、この曲を聴くといつも思い出す。

就職活動の真っ只中で、そんなJACK NICOLSONを歌うbloodthirsty butchersのボーカル、吉村秀樹が亡くなった。
今でも鮮明に覚えている、私は大阪で面接を終えた後その一報を知り、ショックのあまり慌ててバンドのメンバーに泣きそうな声で電話をかけたのだ。吉村さん、死んじゃったって、と。
就活の疲弊も溜まり心細くなっていた私にとって、久しぶりにコンタクトを取った気心の知れた友人との会話は、確かに救いとなっていた。就活がんばれ、とりあえず早く帰ってこいよ、そう言ってくれた友人との電話を切り、私は高速バスに乗り込み帰路についた。車内ではもちろん、ずっとbloodthirsty butchersを聴きながら。

そうしてなんとか就活を終え、新卒社員として入社した会社は結局2年で辞めた。その後入った会社も昨年辞め、今の私はその中でやっと出来た自分のやりたいことを叶える生活を送っている。
親は2社目に就職したあたりから、私に実家に帰ってこい、とは言わなくなった。今やっていることも不安定なことながら、半ば呆れて笑いながら応援してくれている。あんたは昔から、やりたい事に対して我慢ができない子だったから、と。
あの頃描いていた「悪い大人」に、私は念願叶いなることができた。
今日聴いた「JACK NICOLSON」からは、これまでこの曲を聴いたどのタイミングよりも、あの時の胸の中が焼け爛れるような焦燥感が鮮明に甦ってくる。
大丈夫、私はちゃんとあなたが憧れた「悪い大人」になれているよ。
これからも私はこの曲を聴くたびに、この胸の奥が捩じ切れるような焦燥感の名残をふと思い出すんだろう。

とは言え正直、大人はまだまだ先が長い。まだ人生の折り返し地点にも立っていないはずだ。あと40、50年これが続くんですってよ、奥さん。ご存知でした?
なので私は、これからもまだまだ「悪い大人」でいなきゃいけない。
なんならそろそろ誰かの「悪い大人の手本」になれたらいいのかもしれない。
昔の私みたいに、大人になることに苦しんでいる誰かの、光になれるように。
そして何より、この曲を聴くたびにそう思うことのできる感性を、これからも失いたくない。
今年の5月27日に聴いた「JACK NICOLSON」は、ふと私にそんなことを思わせてくれたのだった。