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未来を作るのに「事例」はいらない

2019年10月10日に、及川卓也の著書『ソフトウェア・ファースト あらゆるビジネスを一変させる最強戦略』が発売となりました。このnoteでは、出版の経緯や書籍づくりの裏話、発刊時に削った原稿の公開など、制作にまつわるさまざまな情報を発信していきます。

こんにちは、『ソフトウェア・ファースト』の編集を担当した伊藤健吾と申します。

今週月曜の12月23日、著者の及川卓也さんをゲストとしてお招きして、「5Gでビジネスはどう変わるのか」と題するイベントを開催しました。

これは同名の書籍『5Gでビジネスはどう変わるのか』を執筆したクロサカタツヤさんが代表を務める株式会社 企(くわだて)の主催イベントです。クロサカさんの書籍も伊藤が編集を担当しており、旧知の仲である及川さんとトークイベントができたら面白いんじゃないか?と話が盛り上がったのが開催のきっかけでした。

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クロサカさんの本は、「5Gの普及タイムライン」と「今後勃興しそうな新産業を示す」というのをテーマにご執筆いただきました。このテーマに、及川さんが持つプロダクト開発の豊富な知見を掛け合わせることで、より具体的な未来展望ができるかもしれない、というのが狙いです。

おかげさまで、当日は会場となったYahoo! JAPANのコワーキングスペース「LODGE」に100名近くの人が集まり、師走も師走だったにもかかわらず盛況で終えることができました。ご参加いただいた方々、そしてLODGE関係者の皆さま、誠にありがとうございました!

私はお2人のトークセッションのモデレーターをやらせていただいただき、企画時に考えていた狙い以上の学びがあったので、その一部をご紹介します。

5Gの普及は、プロダクト開発の本質を問い直す好機に

日本では、2020年の春から5Gの商用サービスが始まります。ただ、クロサカさんの本にも書いているように「すぐ」4Gから切り替わるわけではありません。5Gは今後10年、つまり2020年代を通じて段階的に普及していくと予想されています。なので、当日は次の10年を見据えた中長期視点のプロダクト開発を議論するような形になりました。

個人的には、これがとてもよかったです。5Gのように「まだ普及していないが、いずれ各産業にパラダイムシフトを起こすかもしれないテクノロジー」を意識して事業開発をする時こそ、及川さんが『ソフトウェア・ファースト』に記していたプロダクト開発の本質に立ち返ることが必要不可欠だと感じたからです。

その本質とは、未来の動向が分からない状況でこそ、ユーザーが求めていることを考えて考えて考え抜き、そこで見いだしたビジョンを下に仮説検証を重ねていくのが重要だということです。

この話の前提として、クロサカさんは著書の中で、5Gの普及は大きく4つのフェーズに分かれるだろうと予測しています。

 - 2017〜2019年が【黎明期+ピーク期】
 - 2020〜2022年が【幻滅期】
 - 2023〜2025年が【啓蒙活動期】
 - 2026〜2029年が【安定期】

現在の【黎明期+ピーク期】は、5Gがもたらすであろうさまざまな利点に過度な期待が集まっている状態です。その後、サービスが始まる2020年からの2年程度は、多くのユーザーが「思ったより使えない」と幻滅するフェーズになります。

ただしこの【幻滅期】の間にインフラ整備が進み、2023年くらいから徐々に5Gの「超高速、低遅延、多数同時接続」という特徴が本領を発揮し出すというわけです。

【啓蒙活動期】や【安定期】に入ると、5Gを前提とした事業開発には現在のそれとは違った次元の考え方が求められるようになると言われています。その一つは、ユーザー体験(UX)をどうやって良いものにしていくか? です。

クロサカさんの言葉を借りると、現在は多くの事業者がスマホやPCの画面という「窓」を通じてサービスを提供しています。しかし5Gが本格普及するであろう2020年代半ば以降は、建物や都市空間といった「窓の外」を対象にしたサービスも開発・提供できるようになります。

例えばMaaSやスマートシティなどの分野で関連プロダクトを開発・提供する事業者は、非常に広範囲な視点でUXを考える必要に迫られるのです。

加えて、ユーザーが各種センサーを通じて常時ネットワークとつながる「フルコネクテッド」な状態になると、そこから得られるデータのプライバシー保護やセキュリティに対するトラスト(ユーザーとの信頼関係)を担保する技術や方法論も見直さなければなりません。

事業運営に必要な専門家はこれまで以上に多岐にわたるようになり、自社だけで賄えない場合は複数の企業とアライアンスを組む機会も増えるでしょう。

そんな中で新たなプロダクトを開発していくには、これまで以上にビジョン・ドリブンなアプローチが求められるーー。お2人の議論をまとめると、概ねこんな結論になります。

調整するな、成し遂げろ

例えばクロサカさんは、5Gの普及でマーケットが盛り上がるであろうスマートホーム関連の事業開発を例に挙げながら、次のように話していました。

家やマンションを作り直すコストは非常に高く、建て替えのサイクルもだいたい30年単位だと言われています。それゆえ現状のスマートホームは「今ある家」にさまざまなテクノロジーを後付けで追加する形になっていて、UXも部分最適で好ましくないものになりがちです。

この状況を変えるには、住宅メーカーでも家電メーカーでも、どこかが家を作る前の段階から「今後30年間を通じてこういう価値を提供したい」という大きなビジョンを描き、サービス開発にかかわるステークホルダーを巻き込んでいかなければなりません。

その過程では利害が一致しない場面も出てくるでしょうが、そこでひるんではダメです。掲げたビジョンの下、ユーザーにとって本当に必要なこと以外はやらないと押し切るタフな交渉が必要になります。

これに呼応して、及川さんもこう話します。

多くの技術レイヤーが絡み合い、場合によって複雑なアライアンスが必要になる時代のプロダクト開発に求められるのは、ユーザー中心の視点とビジョンであり、成し遂げようとする意思です。

精神論のように感じるかもしれませんが、MITのマイケル・A・クスマノ教授やハーバード・ビジネス・スクールのクレイトン・クリステンセン教授など、イノベーション研究の大家が書いた書籍を読んでも、最も必要なのは「成し遂げる意思」だと異口同音に書いてあります。

これなくして調整に奔走しても、どこかで必ず妥協が生まれ、良いプロダクト、良いUXを作れなくなるのです。

すごく耳の痛い話でした。私自身、社内外に関係者がたくさんいるプロジェクトで、みんなの顔色を伺いながら進めた結果、本来作るべきだったもの(つまり「これなら読者≒ユーザーに刺さりまくるかもしれない!」という状態)から離れていった......というケースには身に覚えがあります。

さらに悪いことに、当事者たちはこうして生まれた妥協の産物をリリースして、仕事をやり切った気になってしまいます。大きなトラブルもなく、うまく調整できたなぁ、なんて。

しかしお2人が言うように、心のどこかでは「ビジョンの下で成し遂げる意思を貫き」「タフな交渉も厭わずやり切る」ことでしか、本当にユーザーの役に立つプロダクトは作れないと分かっているのです。そんな真理に、改めて気付かされました。

5Gとインターネット黎明期の共通点

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もう一つ、お2人の話を聞いて気付いたのは、未開拓のマーケットに向けてプロダクトを開発する時こそ、安易に「事例」を求めてはいけないということです。

トークセッションの後に行った質問会で、参加者の方々から「すでに5Gを展開している地域の先行事例を教えてほしい」「5G時代のキラーアプリは何になると思うか」といった質問が寄せられました。

メディアの人間の悪い癖で、私もこうした「見出しになりそうなキーワード」を引き出せそうな質問は大好物です。なので、あえてこれらの質問をピックアップしてお2人にぶつけてみました。

しかし、(こういったイベントでは質問が出てこないこともよくあるので、積極的に質問をしてくださった方々には深く感謝をしつつ)私の浅はかな目論見はすぐに破られてしまいます。

自ら考える前に事例、前例を知ろうとする癖を直さないと、イノベーティブなプロダクトを生み出すことはできない。お2人の答えはこうでした。

クロサカさんは、その理由をこう述べています。

事例というのは「ある事業者が示した課題解決策の一例」でしかありません。それが自社ユーザーの課題を解決する策になることはほとんどないと思います。

それでもあえて事例を集めるならば、それらのサービスが誰にとって、どんな課題解決をしているのか? という部分から考える材料にするべき、というのがクロサカさんのご意見でした。ユーザー目線でプロダクト開発をするための視座を広げるために「事例」を見てみる、ということです。

一方の及川さんは、TCP/IPプロトコルの生みの親で、Googleのチーフ・インターネット・エバンジェリストを務める「インターネットの父」ことヴィントン・サーフ氏の言葉を引用して、こんな話をしてくれました。

「インターネットを開発している時はユースケースなど考えていなかったし、考える意味もなかった」

サーフ氏は2012年の来日講演でこう述懐していました。それまでの私は、ユースケースをイメージしながらプロダクト開発をするのが常識だと考えていたので、意外なコメントだったんですね。

ただしその後、インターネットという新たなテクノロジーに触れ、何かすごいことができそうだと熱狂したイノベーターたちは、人々が潜在的に抱えていた課題を解消するさまざまなプロダクトを開発して世に広めていきます。結果、今では多くの人がインターネットのない生活なんて考えられない状態になったのです。

これが示すのは、「事例は調べるものではなく作り出すもの」という教訓です。

そのためにも、新しいテクノロジーが出てきたら自分自身がユーザーとなってとにかく触れてみることが大切だとお2人は強調していました。そうすることで初めて、これまでになかった可能性に気付き、他のユーザーにとって新たな課題解決法となるプロダクトのアイデアが生まれるのだと。

これから始まる5Gの時代も、インターネットの黎明期と同じことが言えるのではないでしょうか。

年の瀬にこうした原理原則を学び直すことができて、私にとっては非常に良い機会となりました。最後まで読んでくださった方々の中から1人でも、こうした考え方を参考にして、2020年代の人々を今より幸せにするような事業を生み出す突破者が出てきてくれたならうれしいです。

そして、次の10年の突破者になるかもしれない方々の思考の補助線として、『ソフトウェア・ファースト』や『5Gでビジネスはどう変わるのか』がお役に立てれば幸いです。


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