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原宿 1980 夏

 

それは遠い記憶の想い出


 若者は皆、自分の未来を想像する。 いいほうにも悪いほうにも想像する。ああなりたいこうなりたいとイメージする。それを具体的に人生のタイムスケジュールを立てて目的に向って努力するヤツ、周りに流されてただぼんやりと、酔っぱらったときだけ熱く夢を語るヤツ。オレは後者だったね。人生には思いがけない事が何かと起こる。良い方にも悪いほうにも予期せぬ出来事が待っている。それをツイてるとかツイてないとか思いを巡らせる。そうあのときもそうだった。うちのチームに横浜連合、通称ハマレン、めぐみに千秋スージーの女の子三人組が入ってきた。なかなか気合の入った子達でスージーがマッポにつかまったとかイージーな三人組だった。そんなある日、横浜にフライデーというオールディーズのライブハウスができて最高だから是非来てほしいと誘われた。へ〜あっそう。行く行く〜。早速軽いノリでマブダチのアンベと連れだってお店へと向かった。横浜の関内駅で降りてしばし大通りを歩き右に入って伊勢佐木町の手前の長者町の怪しい裏通りに暗闇にひときわ目立つ黄色看板のフライデーを発見。おっ、すでに良い感じ!長いコの字型をのぼり重いドアを開ける。ハマレンの三人組がすでに来て待っていた。ステージの壁には巨大なリトルリチャードがピアノを彈く白黒の写真、壁には数々のオールディーズのレコードジャケットが並ぶ。


オーナーの磯原さんを紹介してもらう。そして当時のハウスバンドのBBSの演奏が始まる。さすがプロは上手いなあ。バッチリの歌と演奏でロックアランドザクロックに始まりツイストナンバーからスローナンバーまでソツなくこなすウイスキーをガブ飲みしツイストを踊りまくった。ヘロヘロの脳みそがだだ漏れ状態になった時、オーナーの磯原さんから階段に絵を描いてくれないかと言われ、あっイイッすよ〜、おやすい御用だ〜ハハハ!やっちまった、、、。相変わらずの安請け合い。しーらないっと!

フライデーは老舗のオールディーズライブハウス、ケントスのデザイナーが次に手掛けたライブハウスらしい。そういえばまだ六本木のケントスがちっちゃなビルの地下でお店を始めた頃バッチリきめて螺旋階段を降りていったらいきなり店員に止められて入店拒否されたことがあったその後のケントスが全国的に店舗を増やせていけたのはそういうオレ達のようなリーゼントでガンガン踊るようなヤツらを入店させないことで一般のお客様を大切にしてきたからだと思う。お店を経営するというのはそういうことなんですね。そうだ壁に絵を描きにいかなくちゃ。 それ〜!アクリル絵の具を調達してフライデーへと向かった。磯原さんと待ち合わせしてお店を開けてもらいスタンバイオッケー。お店のヤスエちゃんがお手伝いしてくれる。さてと、と壁に近づき手で触れて、え〜!と絶句した。なんじゃーこれは、、、。壁がボッコボコじゃないですかあ〜。ぜんぜん気づかなかった。下描きどころか絵の具で線がまったく引くことができない超想定外!あせって振り向くとヤスエちゃんが笑ってる。ついでにオレも苦笑い、ハハもうこれはイッバツ書きで絵の具を壁に埋め込んでいくしかない。あとはハートと勢いと気合いしかない。成るように成れだハハハ。とりあえず描くのは50年代のハリウッドの女優さんとロックンロールのパイオニア、ビル・ヘイリーと決めた。ひたすら絵の具を壁に埋め込んでいく。とにかく少しでも全体のディテールが見えてこないと不安に押し潰されそうだ。オレにもう少し計画性があったらこんなことにはなってないんだけれど、トホホホ……勢いだけは誰にも負けないんだけどそそっかし過ぎだね。まあオレの個性ということで見逃してくれよ〜。椅子も脚立もないからオレが背伸びした所が絵の頭の部分に必然的になる。これは当たり前ハハハ。後ろで見ているヤスエちゃんにこの状況を気づかれないように余裕を装い描いてゆく。あいや埋め込んでゆく。だいじょぶかオレ。


ヤスエちゃんが昼メシに行こうと横浜中華街に連れていってくれた。お店の人とかバンドのメンバーの行きつけらしく慶華飯店のチャーシュー飯に海老ワンタンがオススメらしい。ほんとだ、こりゃ上手い!後々に横山剣さんが自伝の本でこの店とこのメニューのことを書いてました。よしこれで午後も頑張るぞ。夕方頃になるとお客さんが作業するオレの後ろの階段をのぼりお店へ入ってゆく。そして程良くしてBBSの演奏がはじまった。う〜んさすがブロ、ソツがなく普通に上手い。羨ましいなあ。オレも早くバンドやりたいな今思えばロックンロールをききながら壁に絵を描くなんて特上寿司と特上ウナギを一緒に食ってるようなものだった休憩がてら軽くツイストを踊ったりして。ヤスエちゃんが笑ってた。余談ですがBBSのリードギターの子とハマレンのチアキちゃんはその後付き合って結婚したらしい。バンドもやめてチアキちゃんのお父さんがやってる電気屋さんを継いだらしい。わからないもんだね人生は。それから何度か通いなんとかサマになってきた。


そしてある日のこといつものように絵を描いていると後ろで見ていたヤスエちゃんが小声で、 あのさぁ、下のスミのほうでいいからちっちゃくヤスエって書いてくれない。えっ、と振り返ると思い詰めた顔を無理に笑い顔に変え 冗談、冗談よ。と力無く笑った。なんかすごく気になった。その日帰るときヤスエちゃんにまた来週来るから水変えとか手伝ってね、と言うといつも明るくオッケーと言うのに笑ったまま返事をしなかったなんかやな予感がした。それから数日後、夜仕事帰りにウォークマンを聞こうと、スイッチを入れようとしたら何度やっても動かない、変だな壊れたかなと思いながらアパートへ帰った。部屋で横になっていると、12時近くに電話がなった。電話を取るとマブダチのアンベからだった。興奮しながら たったいへんだよ、落ち着いて聞いてくれ。あのさ、あのさあヤスエちゃんが死んじゃったんだ。家で自殺して死んじゃったんだとハマレンのメグミちゃんから電話があって、、、。えっ何?何を言ってんの、何を言ってんのかわからない。変に冷静で現実逃避しようとしているオレだった。電話を切ってしばし放心状態のオレだった。やっちまった時間を聞きなんとなく冷蔵庫の上のウォークマンを取りスイッチを入れてみた。普通に動きだしライチャス・ブラザーズのアンチェインド・メロディが流れてきた。そして突然涙が溢れ流れた。こんなに涙って出るんだと思うぐらい溢れ流れた。




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