作詞はパズルか謎解きか
こんにちは!すっかりブログの週一更新が板についてしまったシンガーソングライターのソーダ・ヒロです。(ホントは週2って決めてたのに、、)
前回の記事で、現在製作中の楽曲の作詞に悪戦苦闘している、という内容を書かせていただいたのですが、
今回作詞について、今の作詞方法とこれまでの作詞方法の遍歴を振り返り、現時点の自分の考えを炙り出し、記録としてとどめておこう、という主旨の元、書き進めてみたいと思います。
過去の記事で『歌詞がある理由と役割』というタイトルで歌詞について自分なりの考えをまとめてみたのですが、
その内容とは、『メロディーが感情を表現し、歌詞はそのメロディーを聴き手の記憶とリンクさせるための案内役』というものでした。
その考えは今も変わらず、音楽において、言葉では表現し得ない細部の感情をメロディーなら具現化できること。
ただ、メロディーのみで存在した場合の聴き手が受け取るイメージは様々であり膨大であり、メロディーに対して聴き手が積極的に自身の感情とリンクさせようとはたらきかける動きが必要となるため、そこに歌詞が案内役として矢印のように聴き手に
「苦しい時こういう感覚ってあるよね」
「楽しい時にはこうした躍動感ってあるよね」
といったヒントを作者の体験やワードを散りばめて聴き手自身が自らの記憶と結びつけやすくする効果があるように感じています。
そのワードチョイスが作者によって様々で、
歌詞で状況を説明しすぎるとイメージを限定し過ぎて想像の域を狭めますが、聴き手がほぼ受け身で音楽を受け取れる点もあります。
逆に言葉が断片的で難解になれば聴き手がイメージを抱きにくく、また、積極的に理解しにいかねばなりませんが、想像の領域は広がります。
どちらが良い悪いでもなく、これは完全に作者の嗜好の問題だと思います。
そうした時に、僕が個人的に敬愛する松本隆さんやキリンジさんはどちらのパターンも持っていますが、共通して"比喩"を多く使う印象です。
「胸の切り抜きは君の形さ」(『代官山エレジー』作詞:松本隆)
「赤に浸す 青が散る 夜に沈む 星がこぼれた」(『愛のcoda』作詞:堀込高樹)
など、難解に感じる時もあれば、"言い得て妙"な表現もあり、その一言で様々な感情を含めることができていて、そんな言葉と出会った時には胸が躍動してたまらないです。
これらのことはメロディーに含まれる"語数"の中で言葉を選ぶ中で発生した"副産物"にも思えます。
本当は言いたいことはたくさんあって、詰め込めるなら全部言葉を並べますが、そのことによって単なる"説明"になってしまい、聴き手の想像の域を限定してしまう、ということを避けようとした時に、この"比喩"が大きな効果を発揮するのだと思います。
メロディーに感情の細部の表現は任せているからこそ、そのメロディーを邪魔しないメロディーに合った語数の中で最大級の表現を探して見つけた一言。
僕の勝手な推測でしかありませんが、そうした作り方が僕はとても好きなので、
自分が作詞をする時にも、メロディーに合う語数と音(母音)はすごく意識する気がします。
なんとなくですが、
「ここは『あ』の音を含む言葉が合うメロディーだな。」とか、
「サビので出しは「うあえあ』という音が合う言葉がいいな。」とか。
『うあえあ』ってなんだ、、って話ですが、
例えば『生まれた』とか。『浮かれた』とかそういうことです。
その語数と母音を押さえた上で伝えたい感情を言い当てる言葉を探す作業は本当に骨の折れる作業で、何度も何度も色んな言葉を試しながら一文にしていってます。
こんなこだわりいるのか?
いらないかもしれませんね。言いたいことを全部詰め込み早口で言い切ったっていいとは思います。
いいとは思いますが、それならもう音楽である必要がないようにも思います。
言葉で説明がつくのであればわざわざ音楽に乗せた歌詞という形でなくても、
日記でいいし、詩でいい。(←全然これらを否定しているわけではないです^^;;)
音楽である所以は、伝える主が"メロディー"であること、のように感じるので、
そこを大事にした言葉選びをすることを一番に考えたい、と思ってたりします。
『曲先』でなく『詞先』であっても、その言葉からイメージされるメロディーはきっとその言葉にフィットしたものだと思うので、どちらから先に作るかはさほど問題ないことに思いますね。
なので、語数と音(母音)にこだわって、面倒くさいくらい考えるのが今の自分の正解、といったところなんだと思います。
曲を作り始めた中学や高校時代には、歌詞に悩むことなんて1ミリもなかった気がします。
ホントすらすら書けましたし、当時組んでたグループのメンバーの曲に勝手に歌詞つけたりするほど、いとも簡単に歌詞を書いていました。
その時の僕は"語数"はなんとなく意識してその制約の中で言葉を選んでいたと思いますが、
振り返って考えてみると、それだけスラスラ書けてたのは『自分の主義、主張がなかったから』とも言えるな、と思います。
メロディーに合う言葉をただ並べて、なんとなく出来上がっていたのですね。
それが悪いこととは思いませんし、そうしたアーティストの方もいるとは思いますが、
自分がそうした作り方を繰り返す中で、音楽に対して熱が冷めていく感覚を感じましたし、音楽をする意味や自分の価値を感じられなかったり、満足感や幸福感も得られなかったことは確かです。
つまり、その歌詞の書き方が自分には"合っていなかった"のだと思います。
そうしたことに気づいて、自分の想いを歌に込め出してから歌詞作りはどんどん時間がかかっていくようになりました。
時にその文脈に矛盾を感じて再考したり、無理にストーリー性を持たせようとしてオチが浮かばなくて悩んだり、
色んな方法を試して、
結果、今にたどり着くわけですが、
今は冒頭でお話しさせていただいた『メロディーに全ての感情を込めて、歌詞はその限られた語数と音(母音)の中で最適な言葉を選ぶ』に注力してます。
その作業はまるでパズルが謎解きをしてるみたいで、
頭の中のイメージに近いメロディーを探して、そのメロディーを表現できる言葉が一つ浮かんで、
例えば、「会えずじまいで」というワードがメロディーに合っていた時に、
「誰に会えなかったの?」
「人なの?物なの?機会なの?」
と、いった具合に、ほぼクイズを解いている状態になります。
言いたいイメージは浮かんでいたり、出てきたワードはそのイメージを捉えている、と感じても、実際は頭の中のイメージにまだモヤがかかった状態で、核心の部分や感情、結末は決まっていても、そこに至る過程の説明が自分に対してついていなかったり、
結構あいまいな状態で作り始めたりする分、ホントパズルや謎解きしてるみたいになります。
もっと良い作り方できるようになりたいと思うので、
これからも他者様を参考にさせていただいたり、自分でももっと色々試しながら、
この"作詞"という行為を良い意味で楽しんでいきたいと思います!
今はしっかり悩みながら作りますー(^^;;!!
ではまた!
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