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通知表は必要?不要?

もうすぐ夏休み。
長期休みの前、教師の大きな仕事として「1学期の成績をつける」というものがある。最近は3学期制ではなく、前期と後期の2期生をとっている自治体や、通知表は年度末に1回だけ、というところも出てきた。少数ではあるが、通知表自体をやめた学校もある。

これまで11年間、小学校の教員として通知表を作成し続けた私の意見としては、通知表は「不要」だと考えている。

まず、職員室でどのようにして通知表が作成されるかご存じだろうか。私は職員室での成績処理に関する教師たちが交わす言葉を聞いていて、いら立ちが止まらなかった。

現在は基本的に、絶対評価という方法で成績がつけられることになっている。絶対評価とは、簡単に言うと「決めたラインに達していればA評価」という考え方である。みんなが一生懸命取り組み、実力があれば、クラス全員がA評価ともなり得るものである。
一方で、昔は相対評価という方法でつけられていた。これも簡単にいうと、「クラスで上位4人くらいはA評価」という考え方。どんなに出来が良くても、クラス全員がA評価になることはないものである。

繰り返しになるが、現在は絶対評価であるわけだが、私がいた学校は、絶対評価と言いながら相対評価になってしまっていた。
「他の学年とA評価の数を大体そろえてくれ」
と管理職に言われたことが何度もあった。担任である自分が「ここまでできたらすごい!」と、授業ごとに児童のめざす姿を設定し、全精力をもって見取り、収集した頑張りの情報をもとに、膨大な時間をかけて作成した成績を、「ほかのクラス、学年と数を合わせてくれ」の一言で否定されることは残念で仕方なかった。
ベテランの教師は、最初からそう言われるとわかっているためか、すばらしい力をもっている子の成績についても、「○○さんと比べると、○○くんはちょっと劣るから、今回はB評価かな…。」と、管理職に成績を見せる前に調整をしている人が多い。「調整してしまっていいのか?その子は、あなたが設定したA評価の基準を超えているのだろう?堂々とA評価をつけろよ。」といら立ってしまう。
管理職に相談したこともあった。おかしいと思う、と伝えると、「あなたの言っていることは正しい。ただ、クラスによってバラバラだと保護者からクレームが入るかもしれない。先生方を守るためだ。」との返答があった。
まともな人ならば、そんな評価、する意味ないと感じるだろう。だが、職員室の同僚たちは涼しい顔で受け入れていた。
それまでA評価をつけていた子の評価を、PC上ですぐにB評価に変えている同僚からは、教師として通知表が子どもに与える影響を考えていない、きわめて責任感のない格好悪いオーラがにじみ出ていた。情けなかった。

一方で、保護者にとっての通知表はどんな意味をもつのだろうか。
私が11年間通知表を出していて、問い合わせがあったことは一度もない。しっかりと評価していたからである、と言いたいところだが、そんなことはなく、保護者は、モンスターペアレントと思われたくないとか、面倒な親だと思われてわが子に影響があったら嫌だ、とか、様々思うところがあって、最終的に、あきらめて受け入れるしかない、というのが真理に近いと思っている。
また、居心地が悪く、担任も信頼されていない学級から出される評価には、なんの力もない。環境が合わないところで実力を発揮することはできない。砂漠で魚は泳げないのである。


子どもたちにとってはどうか。
図工の評価、音楽の評価、体育の評価、みなさんはどう思うだろうか。
子どもたちが生きていくうえで、生活がより豊かに、楽しくなるために生涯にわたって親しんでいくのが図工、音楽、体育だとの認識で私はいる。
子どもが描いた絵は、どれも輝いている。確かに、描くことに慣れている子は正確な描写できれいに表現できるが、絵画展で賞を獲るのは案外、ズタボロに見える作品だったりする。(もちろん、絵画展の評価基準についても全面的に肯定しているわけではない。)
音楽の時間、音が正確にとれなくても楽しんで体を動かして楽しんでいる子は、やはり輝いている。音痴だろうが何だろうが、素敵だ。そこで、もちろん、正確な音で歌えるように指導はするが、できなくてもよいと思っている。何度も何度もうまくいかない、先生に言われる、となると音楽を嫌いになるのではないだろうか。
今時期の体育と言えば、水泳だろう。スイミングに行っている子と行っていない子が同じ土俵で評価される。また、東北ではスキー教室、北海道ではスケートなどの地域ならではのスポーツにも親しませるわけだが、これも評価項目に入る。おかしいと思わないだろうか。年にたった2回しか行わないスキー教室が評価に関わるということ。これは、親が休みの日にどれだけスキー場に連れて行ったか、の評価になると考えられないのだろうか。


「教師の多忙化」を理由に通知表を廃止するのは違うと考えている。
意味がある通知表ならよい。意味のない通知表はいらない。そこに尽きると思うのだが、そんなことも考える暇がない(考える気がない)現場の教師たちによって、今日も無意味な成績がつけられ、通知表が作成される。
そして、それが若手にも文化として引き継がれていく…。

元教員としてはっきり言うが、通知表なんかで子どもの本質は見えない。通知表なんかで一喜一憂しない方がいい。ほんのちょっと参考にする程度で十分である。

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