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【小説】孤独の住宅建築家_04 CADとシャープペンシル:編

□まえがき□

<プロフィール欄>
栂池京信:アトリエ・ツガイケ一級建築士事務所 主宰
都内を中心に個人住宅や集合住宅の設計監理をおこなう。
男性/43歳/独身(離婚歴?)その他プライベートは不明。
※もちろん、架空の人物である。
 その他、登場する人物、計画、建築、組織、全て架空。

これまでのお話し
孤独の住宅建築家_01 マッチングサイト:編
孤独の住宅建築家_02 ふたつのテナント:編
孤独の住宅建築家 03 建築現場の青春:編


□1□

大田区蒲田の準工業地域。築40年は経つであろう、古びた鉄骨造3階建。
最近まで自動車修理工場が稼働していた1階は、今は静まりかえっている。
車体のリフト・アップのため、トラス天井まで高さ3mはあろうかという
大空間にある10坪程のプレハブ事務所内。今日は2回目の打合せである。

「え! 栂池さん、こうなるんですか‥!?。」

提示した計画案の概略を見るなり怪訝な顔をしたのは、この建替え計画の
依頼主である北方祐介さん。上着は工場の作業着でいて、物静かな佇まい。
私より、ひと回りは年上であろうか。

父親と経営していた自動車修理工場を閉めることになり、建物を建替える
ことにしたのだ。穏やかに老後を過ごすご両親のお部屋と、賃貸集合住宅。
総事業費の殆どは賃料収入による返済となる。当然のことながら60坪程の
この敷地を、可能な限り活用した計画にしなくてはならない。

「ええ、こうなるんです。これが、最も効率的なプランニングです。」

「普通 マンションの計画っていうと‥
 長-い廊下があって、それに沿って部屋が並んで、端っこに階段付いて‥
 みんな、そうなるんじゃないんですか? 
 建替え工事のため、住んでた方にはやむ無く出て行ってもらいましたが、
 この建物の2階、3階も、そういう形のアパートになっていますが‥。」

「くれぐれも、誤解しないでくださいね。
 なにも奇抜なデザインの建築にしょう、というんじゃないんです。
 既成概念にとらわれず、賃貸部分の床面積を最大限確保した計画です。」

私が提案したのは、共用広場を取り囲むコの字型のプラン。
2階以上の各部屋には、共用広場の両脇にある階段からアクセスする。

「『長-い廊下』のように、無駄な空間をできるだけつくらないことで
 開放的な共用広場ができました。他の物件にない付加価値になります。」
「他と違う? それじゃあ‥」

( それじゃあ… いや、そうしなければ、
  ただ家賃の安さだけが魅力。それ以外は他と同じような間取り。
  そんな賃貸集合住宅になって、ゆくゆくは廃れていくだけだ‥。 )

重苦しい空気が、私と北方さんとの間に流れてきた。

「ま、一度この計画案で概算工事費と、賃料の査定をしてもらいますよ。
 それを元に、収支事業計画書を作りましょう。銀行さん用の資料です。
 それをご覧になれば、この計画の好利回りがご理解いただけますよ。」
「はぁ‥。」

次は私の事務所で打合せることを約束して、北方さんの事務所を後にした。
これまで堅実に生きてきただけに、理解には時間がかかるかもしれないな。

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□2□

「RE:概算見積 あがり。」
北方共同住宅計画の概算見積を依頼した、麻倉工務店・麻倉薫社長より
返信があったのは、北方さんとの打ち合わせから3日後の朝一であった。

「黄昏時までに カラオケスナック「幸」へ来れり。他に相談事あり。」
‥なんだこの文面は。 果たし状 か?
卒業式当日、体育館裏にワルの卒業生に呼び出された担任教師のようだ。
もっとも、マジでヤンキーだった彼女なら、ありえる行動かもしないぞ。
一瞬、特攻服に竹刀を担いだ麻倉社長が頭をよぎり、苦笑いしてしまう。


カラオケスナック「幸」は戸越銀座の、商店街からは離れた路地にある。
木造モルタルアパートの1階の一部を改修した12坪ほどの スナックだ。
忘れもしない。18年前、私はこの2階の一部屋に3年間程暮らしたのだ。

入口の大きな扉を開けたとたん、いきなりママの弓長幸子と目が合った。
カウンターに肘をつき、タバコをふかしていた厚化粧が、一瞬で綻んだ。

「あらっ、誰かと思えばツガイケくん!? まだイケメンね。何年ぶり?」
「ガクさんの最期のこと聞きにきて以来だから‥9年ぶり?くらいかな。
 サチコさんも、お変わりなく。まだまだ若々しくていらっしゃいます。」
「フフッ。見えすいたお世辞も相変わらずね。カオル!ツガイケくんよ!」

すでにミラーボールが光っている、奥のカラオケ・ステージの最前列の
テーブル席から、麻倉薫は手招きをしていた。私は斜向かいに席につく。

「ツガイケくんは…、たしかバーボンよね。ハイボールでもいいかしら。」
「相変わらずサチコさん手際がいい。あれ、ずいぶん粋なお通しですね。」
「フフッ。いちおうフルーツなんだけとね。お箸でいただくのよ、これ。」

店内を見渡せば、昔のスナップ写真のピンナップが増えているようである。
弓長幸子と麻倉薫の若かりし頃。二人とも特攻服に持っているのは竹刀か。
「‥なぁに、写真見てニタついてるのよ。オラ!」
「え、いやまあね。こっちの、このハッピに足袋の翁は喜助さんかい?」
「そう、上棟式の木遣りの麻倉喜助。私のジッちゃんにして、創業者よ。
 私は両親とは折り合いが悪くてね。高校のときはメッチャ荒れてたわ。
 でも、ジッちゃんだけはね。仕事に厳しくても、私には優しかった。
 ツガちゃんもガクちゃんとの縁は、たしかジッちゃんからなのよね。」

話が外れそうになってきた。
「ところで、麻倉社長。依頼してありました概算見積書の件ですが‥。」
すると、またぞろ チェッ!チェッ!と人差し指を左右に揺らしながら
「ここで『社長』はN.G.よ。昔のように『カオルさん』ね。わかった!」
「はいはい、わかりましたよ。 ‥カオルさん。 概算、み・せ・て!」

麻倉工務店による『北方共同住宅計画』の概算見積金額は、私の想定通り。
カレッドから出ている賃料収入から、かなりの利回りになる。優良事業だ。

「さーて。相談事ありってナンなんですか?今日はそれが本題でしょ。」
「ふっ、そうよ。じつは他でもない、翔太のことなの。」
「ショウちゃんが、どうしたって? 
 たしか、型枠大工の白井さんとこで、扱かれてんじゃなかったっけ?」
「せっかく目かけてもらってるのに、もう辞めたいんだって。
 パソコンで図面描くCADあるでしょ。今度は、それ興味持っちゃって。
 専門学校でシステムから勉強したい、って言い出したの。
 工場で型枠加工するのに、図面データからパソコン使ってするでしょ。
 BIMってゆうの? そのシステムそのものを設計したいんだって。
 ま、たしかに木造の柱・梁のプレカットだってパソコンないとね‥。」

以前は、木工事の下請業者にすぎなかった麻倉工務店が、RCの元請工事
の受注ができるようになるほど技術力がついたのも、シライ組のおかげ。
その親分の白井さんの顔は潰せない。そんな思いもあるそうだ。

「ツガちゃん。これは、アナタに聞いてみたいと思ったの。翔太のこと。
 私の元旦那で、翔太の実の父親であるガクちゃんの、その一番弟子に。」


□3□

18年前の3月。私は多田崎建設を辞めた。丸2年務めてだった。
表向きは円満退社だが、監督とは名ばかりの現場での奴隷のような扱いに、
心が限界だったから、というのが本音である。

高校の美術の教科書で見た、ル・コルビュジエの『ロンシャンの教会』を
思い出した。建築の設計がしたい、と、はっきり言えるようになっていた。
いくつかの著名な建築家の事務所に、学生の頃の作品や履歴書を送付して
就活を始めてみる。もう、大きな組織はこりごりだ。ただ、3月末までに
多田崎建設の寮を出なくてはならない。猶予は、有給休暇の残り3日間。

そのとき、手を差し伸べてくれたのが 麻倉喜助 であった。
多田崎建設の内装工事の下請業者のひとつ、麻倉工務店の当時の社長だ。
「ウチの下請けの設計屋でよ、図面の腕前はピカイチなんだが、若い衆が
 みんな直ぐ辞めちまうって困ってるのがいてな。若けーの。どうだい?」

アトリエ系の設計事務所に入ることを目指していたが、下宿先と昼は賄い
があるという条件で、この申し出を受けた。ほんの腰掛けのつもりだった。

『一級建築士事務所 ガク建築設計室』は
戸越銀座商店街にある小さな仕出し弁当屋の2階に、事務所を構えていた。
古びたスチールデスクにドラフター付きの製図版が2台。殺風景な室内の
ソファーには、見事なビール腹が突出た作業服の男がタバコを咥えている。
歳の頃は40半ばと聞いていたが、白髪頭がそれ以上の年輪を感じさせる。
所長の佐藤岳は、誰からも本名でなく『ガクさん』と呼ばれていた。
ただ、私は『所長』と呼ぶことにした。まがりなりにも雇主である。

「『手』はお前さんだけだからな。もう今日っから、たのむぜ。おう。」 
(‥まだ昼前だとゆうのに、酒くさい息だな。)
「はあ。‥所長。」と気の無い返事を返すと、ひとり女性がはいってきた。
ロングの茶髪、ジャージにすっぴん。ふっくらして孕っているのはわかる。
「これウチんだ。よろしくな。」女は軽く会釈をしただけで、目を背けた。
いつまで続くのやら‥、と心の声は聞こえた。麻倉薫との出会いであった。

「とぉにかく酒グセ、女グセが、わりーこと。なあ若けーの、そこだけは
 ツルまないよう気つけな。ただな‥。 」麻倉喜助の助言を思い出した。

仕事は、麻倉工務店が前村住興業から丸投げで受注してるという建売住宅
の木造伏図の作成だった。すでに描いてあるプランから伏図を起こすのだ。
(工務店のネーム入りトレシングペーパーに描く‥、プライドないのか?)
「手本はこれだ。簡単だろ。」と言い残し、所長は出ていった。
(ただ、この図面は実に美しい。あのガクさんなる人物の作図なのか‥?)

プランは大量で、作業は膨大にあった。ただ、仕事に身は入らなかった。
所長は朝、事務所から現場や役所へ向かい、夕方戻ると私のその日の作業
を確認する。昼前にカオルさんが顔を出し、仕出し弁当を一緒に食べる。
何を話すわけもなく、身籠でありながらタバコを2,3本、ふかして帰る。
私のお目付役なのだろう。それ以外は、事務所に私ひとり。作業の他には
メーカーや工務店の挨拶や、水商売と思しき怪しげな女からの電話の対応。
退屈な日々が続いた。
履歴書を送った複数のアトリエ事務所からは、ほとんど反応がなかったが、
一社だけ返事があった。貴殿の経歴は、デザインの仕事には相応しくない。
とある。建設会社で現場監督をやっていたことが、仇だというのか。
私は、ますますイジケていった。

「プラン、つくってみろ。3LDK。1/100の平面図だ。」
朝一番、所長はそうゆうと、25坪ほどの敷地の図面を置いて出ていった。
1ヶ月ほどたった日。建売住宅とはいえ、はじめて設計事務所らしい仕事
を任され、嬉々とした。丸一日かけて1階、2階の平面図を完成させた。

「屋根、どう架かるんだ?」
次の日の朝一番、所長は平面図を見るなり言った。私は言葉がなかった。
「狭い敷地だ、北側から斜線制限はこう。前面道路の斜線制限はこうだ。
 自ずと納まる屋根の形は決まる。建物の形や必要な壁の配置が決まる。
 構造的な整合性を意識すれば、それだけで建物全体の形も美しくなる。」
そこまで言うと、所長は製図台にトレシングペーパーをセットした。
「オレが今から描くから。そこで立って、後ろから見てろ!」
酒臭い息を吸い込むと、所長は一気にシャープペンシルを走らせた。
( ‥速い!作図に無駄な動きがない。美しい!なんて繊細なタッチだ。)
小一時間ほどで、1階、2階の平面図を完成させてしまった。

「お前さんの描いたのは素人の『間取』。プロの『プラン』じゃない。
 オレは1/100の平面図を描くとき、全てを頭に入れているんだぜ。
 屋根の形だけじゃない。雨樋の配置、エアコンやガス湯沸器の置場、
 設備配管、換気扇のダクト‥。でないと、描けないんだ。本当はな。」
 所長は、握っていたSTAEDLERのシャープペンシルを静かに置くと。
『プランは全ての決定である。』 誰の言葉か知ってっか?」
( ‥ ル・コルビュジエ の言葉だ。 )

「‥ただな。あのガクは設計者としての実力はピカイチさ。
 お前さん将来、建築家を目指すんなら最高の勉強だ。保証してやる。」
 麻倉喜助のあの助言。私はこのとき、はじめて実感した。


□4□

「ツガちゃん。あれから、目付きが明らかに変わったわね。」

あの日からガムシャラに働いた。自らの思い上がりも恥ずかしかった。
なんでも吸収してやろう。そう思うと、どんな仕事でも楽しくなった。

「聞いてもいいかな‥。所長、あいやガクさんとは、どうして‥?」
「ときどき、女から電話あったでしょ。前の奥さんよ。より戻したのよ。
 と言っても、元々籍はそのままだったから、私は何も言えなかったわ。
 翔太が生まれて。入れ替わるようにジッちゃんが逝って。頼りにしてた
 ツガちゃんも旅立って‥、糸が切れたのね。あ、自分を責めないでね。」

私は丸3年務め、ガク建築設計室を卒業した。
卒業証書はさしずめ『一級建築士免許証』。この3年間で取得できたのだ。
ル・コルビュジエの建築を、実際に見てみたい。その私の申し出に所長は
喜んで送り出してくれた。感謝しかなかった。
半年後、帰国してみると「ガク建築設計室」はすでになくなっていた。

「死んだ、というのは確かなの。ただ、命日もお墓も何もわからずじまい。
 だから、このカラオケ・ステージの前で、ときどき悼んでいるの。」
 ガクさんのオハコは鳥羽一郎の『兄弟船』。熱唱は何度も聞かされたな。

「‥CADの導入を考えていたんだ。ガクさん。じつは、あの頃。」
 しんみりしかけた空気の中、私から話し出した。

「あのとき、多くの建築設計事務所がCADを導入し始めていたでしょ。
 製図台は次々とPCに置きかわっているのを、ガクさんも知ってたよ。
 私は現場で、CADで施工図を描いてて心得があったから相談うけてね。
 このままじゃ、いけない。どこから始めればいいか って。でもそれ、
 ガクさんがそれまで培ってきた、図面の手書技術を捨てることになる。

 『慣例や既存の価値観に、囚われるな。』と、事あるごと口にしてた
 信念を、実践しようとしてたんだな。なかなか、できることじゃない。」
 カオルさんは、うつむいたまま、少しうなづいた。

「だから、オレはショウちゃんの判断を推したい。正にガクさんの血だよ。
 白井のオヤジさんも、わかってくれるんじゃないかな。」

「‥わかったわ。」
 吸殻を灰皿に押し付け、カオルさんは クスッ!と笑った。
 私の答えは、はじめから期待していたものだったのだろう。
 吹っ切れたように髪を掻き上げた笑顔は、晴々としていた。

「それっじゃ供養のため。ツガちゃん一曲!『兄弟船』よ。イえ~い!」
「え? オレが歌うの!?」


□5□

北方さんが、私の事務所に来られたのは、それから数日後のことであった。
この日は、私が提案するコの字型プランでの『収支事業計画書』の説明だ。

「いい利回りでしょ。融資の審査は、間違いなく通りますよ。」
「栂池さん。すみません。
 じつは、栂池さんには内緒で、他の設計事務所や住宅メーカーにも図面
 引いてもらったんです。これです。他のは全部、先日お話ししたような
 片廊下式のプランってゆうそうですが、『長-い廊下』案なんです。
 違いといえば、せいぜい部屋が東に向いてるか、西に向いているか‥。」
「私のコの字型プランなら、全ての住居は南向きですが。」
「あっ。そうですねぇ‥。」

『アボカド』 ってご存知ですよね。

 私は、事務所のミニキッチンから、盛り付けた2皿を取り出した。
「どうぞ。染みの店で、お通しで出していて、少し分けてもらいました。
 いちおうフルーツなんですが、お箸でいただくんです。ワサビ醤油で。」
「ほう。こんな食べ方は初めてですが‥、たしかに旨い。」

北方さんの顔が、ほころんできた。
すこし分かってもらえただろうか‥

「こんど、このお店、いってみましょうか?
 戸越銀座は、蒲田から池上線ですぐですよ。」


□あとがき□

ついつい、長いお話になってしまいました。
登場人物のなか 『ガクさん』 だけは明確なモデルがいます。
彼にむけた オマージュ とします。

さいごまでお読みいただきまして、ありがとうございました。

岩間隆司

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