孤独、独立、孤立、自立の何が違う?
先日職場で障害当事者の心の声を聞いた。
「若い頃はいつも誰かとつるんでいたのに、この年になって孤立するとは」
これを聞いて思った。
孤独、独立、孤立、自立の何が違うのだろう。
独立には孤高や自立に近い逞しさ、強さを感じる。
それが孤立や孤独になるとぜんぜん違う。
集団になれない、集団に入れない、集団から排除される…など集りたい欲求が満たされない感じ。欠乏欲求が滲んでいる。
そもそもどうして集りたくなるか?
その理由は色々あるだろうけど、一番はこうではないかと思う。
自分の人生の責任者は自分。集団に居る間、その現実から目を背けられる。
死ぬ時はいつも一人。誰かが死に目に付き添っていようが、死に近づく恐怖感も痛みも苦しみも他の誰かに引き取ってもらうことは出来ない。分かち合うこともできない。そして自分の人生を振り返って後悔に苛まれるか、笑顔で三途の川を渡れるか、どちらになるかは今の自分の行動次第。誰かのせいにしたって免れないこと。永遠に来なければいいけれど、その時は必ずやって来る。その責任者は自分。自分の人生の責任者は自分。
身も蓋もない現実。すべて現実としてわかってる。
その現実に向き合って頭を整理できたならばいいけど、現実を整理できないまま向き合い続けると苦しくなる。未来のことなどわからない。その不確実性に気が触れそうになってしまう。
だけど集団に紛れたら気が休まる。現実から目を背けているのは自分だけじゃない。他の人も現実から目を背けている。その仮初の鎮痛剤に中毒になると、独りで居たくなくなってしまう。
でも何かの始まりはいつも孤独。頭を整理できるチャンスです。
だから孤独は何かが始まる兆しかもしれません。
僕は孤独になると頭が整理できて、何かをはじめられそうな気分になります。胸が躍る創造的な時間。きっと始まる。なにか始まる。
孤独はクリエイティビティに必要な時間かもしれません。
人と群れず、孤独を愛しましょ。今週末もAloneが良いね。
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