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あけまして、また会う日まで

あけましておめでとうございます。
昨年もマスクのせいで息苦しい世の中でした。
なんとかしたいですね。

いま、一番なんとかしたいのは、社会に蔓延はびこった矛盾です。
心は個性を尊重したいのに、身体は多数派正義に抗えない。
その矛盾です。

個性を出すと糾弾されて、居場所を失ってしまう。そう思う人は多い。

世界はそんなもんだと認知しているのは、実際そういう場面を見たり体験したからです。多くの人は体験に基づいて感覚や思考が成り立っています。だからその感覚や思考を否定しないし、それに基づく行動も否定しません。

でも、果たしてその延長線に平和があるのか、みんなと一緒に考えたい。

行動の基礎となる感覚や思考が経験だけで成り立つなら、社会が変わることなどできるのだろうか?個性を出すことを避ける行動は、個性を出せない社会を自ら継承することにならないだろうか?

自分ひとりが変わっても社会なんか変わりっこない、そう思う人は多いでしょう。でもそれは、どうせ自分なんか社会に影響するような人間ではないと決めつけて、自分の影響力をあなどっています。自分をバカにしていませんか?

多少でもお金を稼いでいる人は必ず自分の影響力を使ってます。お金を使っている人も必ず社会に影響している。その両方を持てない乳児ですら笑顔や泣き声で社会に影響できる。誰もが何かしら社会に影響していますよね。

でも子供の動機は利己的です。護られた環境が世界の全てだから、道徳規範が利己的なのは自然だし、社会を変えたい子供なんて居ない方が健全です。

しかし社会人になるとそうはいきませんよね。社会を構成する一員として相応しいふるまいが求められ、自分も先輩を模範にしますよね。そうして似た者同士の小集団が出来て、小集団同士が交わり社会を構成しています。

だから社会人ひとりひとりの影響力はあなどれない。日々の自分の行動と、自分を取り巻く社会は地続きで繋がっています。個性を尊重する社会を求めるならば、自分が個性を尊重しないといけないのです。特に自分の個性を。

感情は各自の道徳的規範に基づいています。不愉快なのも嬉しく思うのも自分の道徳的規範に照らし合わせた感情。その感情を大切にするのが個性を尊重する第一歩。自分の感情を殺さず出せたら生きやすいですね。

でも個性を無邪気に出せるのは庇護下の特権。社会で役目を持ったら感情を丸出しできません。自分の感情や道徳的規範を自己評価して、役に応じた振る舞いができるよう自分のキャパを広げます。責任が大人にしてくれます。

でも自己評価の結果、幼稚さに気づいて自己嫌悪に陥るかもしれません。その道徳的規範は自分の感覚、自分の経験に基づいている。その自分の経験を後悔することは、取り戻せない自分の過去をまるっと否定してしまうこと。

でも過去を悔やむ必要はありません。その感覚は周りの影響。自分が選んだ環境もあるかもしれないけど、選べなかった環境もあるでしょう。だから自分を責める必要はありません。その過去と今の自分を肯定できますよ。

「環境は不可抗力で、環境によって道徳的規範が形成されるなら、自分にはどうしようもない。環境が自分に影響してるとしても、今の自分は環境で形成されたのだから、路線変更など諦めるしかない」と思ってしまいますか?

そんな圧倒的無力感に絶望しないで。微力だけれど非力じゃないから。

自分に影響する情報には何があるでしょう。テレビ/ラジオ/書籍/SNSなどのメディアに加えて、家族/友達/同僚などの人間関係が自分に影響しています。それらは自分で選べないのか、いま一度考えてみましょう。

そしてそれら要素ひとつひとつの延長線に見える世界を想像します。その世界観が利己的ではなく、誰にでも有益な世界ならば自信を持って維持すればいい。そうでないなら自己否定の要因になります。手放したほうがいいよ。

他人と過去は変えられなくて、変えられるのは自分の未来だけ。そんな身も蓋もない現実に苦しくなるけど、自分で選んだ要素を揃えて自分の環境を作ることならできそうです。前例は当てにしない。選択基準は未来の世界観。

要素選びは教材選び。そうして自分の感覚を刷新できる。個人の道徳的規範を公徳心に近づければ、個性を出せる社会を得るための一助になれますよ。

「そんなこと考えるのはあなただけ。みんな違うよ。」

そう言う人は多いです。何度も聞いた、別格扱いする言葉です。
だけど、 ”みんな違う”から何なのですか?考えてみてください。

その多数派正義の感覚は、今の強者優位の構造を強化しませんか?
今の自分を守るつもりが、未来の自分を生きづらくさせませんか?

この矛盾をなんとかしたいのです。

異論があれば仲良くしましょう。あなたの言葉を聞かせてください。

来年の元旦は、もう少し平和でありますように。
今年もよろしくおねがいします。

4月から毎日連続投稿してきましたが、ここで一旦お休みします。

9ヶ月間の作文で考えを整理できてスッキリしました。潜んでいた自分に出会える豊かな時間であり、若い頃の想像よりも遥かに非力な自分でも全くの無力ではないと実感できて救われる時間でもありました。

発想したまま言葉を連ねたので、配慮を欠いた表現で読み手の皆さまにストレスを感じさせてしまったと思います。申し訳ございません。それでもスキを押してくれた方々、ありがとうございました。みなさまのリアクションのおかげで2022年もまた成長できました。慎ましく世界に感謝いたします。

その感謝の気持を未来に恩送りします。今年はいろいろ忙しくなるので一旦皆さまとはお別れです。次の投稿は春かもしれないし、来週かも知れないし、来年かもしれないけれど、またお会いできれば幸せです。

その時までお互い人間らしくお元気で!

あけまして、また会う日まで。
皆さまにとって今年も良い年になりますように。

Make it happen.

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