最近、日曜朝のJ-Waveに出演しているジェニーJENNI。YouTubeチャンネルがなかなか面白くて見ていたら、ふと、日米の文化の違いに「子供っぽさ」に対する受容度があるかと感じたよ。
アメリカの子供は大人になりたくて、大人は自己管理できないと恥ずかしいという風潮を感じたよ。
で、ナイーブを辞書で調べてみたら、日本語としてのナイーブと、英語のnaiveで、そこに含まれる話し手の意味付けがぜんぜん違う。形容する対象は同じ。同じものに対して意味づけが違うのが面白い。
明らかにアメリカにおけるnaiveは、有るべき状態に達していない未熟さを意味していて非難めいた表現で使われる。一方、日本語でのナイーブは、手を加えられていない純粋さを意味していて価値があるような表現で使われる。
アメリカには「自己管理できるのが大人として当然で、それが社会人の当然の責任」という共通認識があり、日本では社会的な責任を脇において、「染まっていない」純粋さに注目しているようだ。
社会人としての責任。
「日本も欧米化して個人主義が広まってきた」という見解が示されることが有るが、その都度「いや日本は古来から個人主義、というか身内主義」と思っていた。この調査でその思いが強化されて。改めて養老孟司さんが言う”公の個”の不在を実感した。(動画の2’05”)
人のナイーブさを非難するつもりはないけど、ナイーブさに価値を与えて、社会人としての責任を棚に上げるための道具にするのは、利己的でいただけない。公の個としての責任感が社会の清々しさを作る。
社会に甘えず、大人になろう。