名前と生きづらさ(2)ジェンダー問題
英語では敬称にMr.(ミスター), Miss(ミス), Mrs.(ミセス), Ms.(ミズ)がありますね。男性の敬称は1つだけですが、女性では既婚か未婚かでMiss, Mrs.を使い分けます。しかしこの区別は差別に転じる恐れもあるので、実際、現代では既婚か未婚を区別しないMs.で呼ぶことが一般的。
これは婚姻の有無で分けるもので、日本にはそれに相当する敬称の違いはありません。
日本は別の問題があります。それは一人称、つまり「私」に対する呼び名、そう「わたし」「俺」「僕」などです。
先日、オンラインの国際シンポジウムで、ジェンダー問題に取り組む方が、自認しているジェンダーと一人称の呼称のズレで苦しむ当事者の話をしようとしたところ、このような一人称の呼称の性差は他の言語には無く、肝心の課題を翻訳できなくて苦労したという話を後から聞きました。
自分のことをどう呼びますか?「わたし」「俺」「僕」どれを使いますか?仕事の場では性別を問わず「わたし」というより「私(わたくし)」を使うでしょうが、私的な会話では使い分けます。そこには性差が現れます。
私的な会話で「わたし」というのは女性が多く、「俺」とか「僕」とかは男性が多い、と思うのは私個人の感想ですが、おそらく多くの日本人の共通認識だと思います。しかし、一人称を性で別けるのは日本独特のようです。
自身の性別に違和感を持っている「性別違和」を抱える方にとっては大きな問題だと想像できます。戸籍上の性別、見た目の性別、身体的な性別などあらゆる場面で「性」を「別」けることを外圧で強いられます。その1つが自分の呼び名「わたし」「俺」「僕」どれを使うか。自分が好きなものを自由に選べるわけではなく、聞き手の理解も配慮しながら言葉を選びます。
言葉は話す人と聞く人が共有する道具なので、意味を共有している必要がありますが、意味は辞書に定義されているものではなく、時代や地域や世代によって変化するので言葉の意味を共有できない場面も当然あります。(先日の「座り込みの定義」騒動もそうですね)
でも、そこで相手の期待に答えた性別を選ぶのはおかしいですよね。
2022年現在では「性別違和」を抱える方はマイノリティ(少数派)です。この苦しみを抱える方は多分マジョリティ(多数派)にはなりにくいと思いますが、少数派だろうがなんだろうが存在を排除してはいけません。
説明がつかないストレスに耐えられない(結論を急ぐ)と「性別違和」の理解がない人は排除しようとしはじめます。こうして「性別違和」を抱える方は一人称で自分を呼ぶたびに、このような危機に直面すると知りました。
社会の多様化は自分の「自由」が増えるのと同時に、当然他者の「自由」も増えます。自分の自由を増やすためには他者の自由も尊重すべき。しかし、人は、自分の枠組み(シェマ)に嵌まらないことが目前に現れたとき、自分に害がないと「笑い」になり、害があると「怒り」になります。
多様化が進行するほど、異質を排除する動きも多く見るのは残念です。
排除を少しでも減らすために一人称の性別は無くなれば良いと思います。
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