二十歳の頃2024(6)祖父にきく

話を聞いたのは母方の祖父。1943年生まれ。80歳を過ぎた。祖父の父の仕事の関係で幼少期は中国で育った。戦後は大阪で過ごし、京都の私立大学の法学部を卒業した。いつも穏やかで、わたしにとっては、やさしいじいじだ。(聞き手・杉本穂乃香=2年)

――二十歳の頃は何をしていましたか

大学2年生だったかな。当時は、高卒が多かった時代。でも、やりたいこともなかったので、高校を卒業して就職するより、とりあえず大学に進学して、そこからやりたいことを決めていこうと思って進みました。

――当時の大学はどんな感じでしたか。学生運動はありましたか

昔は情報網が狭くて、新聞、雑誌、ラジオくらいしかなかった。大学がキリスト教系だったからそこまでひどくはなかったけど、学生運動みたいなものはあった。はやっていたから。学生運動に便乗した感じで、僕の大学にも自分の主張をするひとはいた。ストはなかったが、ヘルメットをかぶった学生が「みんな授業をボイコットしよう」と呼びかけるというのはあった。戦後民主主義みたいなものがあって空気感は異様だったかもしれない。僕は参加せずに見ていただけ。授業もきちんと受けてましたね

――アルバイトはどんなことをしていましたか

大阪から京都の大学に通っていて、固定のアルバイトは難しく、主に長期休みにしていた。いくつかやったけど、ひとつは国鉄、今のJR。帰省シーズンに大阪駅で夜行列車に並ぶ列の先頭に立って旗かプラカードを持って先導するアルバイトをしていました。そのためだけに学生帽を買いましたね。終わってからは1回も使わなかったけど。二つ目は夏と冬のお中元とお歳暮の時期に配送センターで伝票の整理のアルバイトをしていた。今みたいな機械もないから手作業で記録していくのが大変だった。

――ほかはどんなアルバイトを?

新聞社で。競馬の結果の速報が電話で伝えられてくるので、それを必死にメモするアルバイト。昔は全部電話。新聞社はフロア全体、みんなが電話していてとてもうるさくて、電話の声が全然聞き取れなかったですね。聞き取れない部分もあったけど、僕が聞き取ったそのままの結果が紙面に載っていました。

――アルバイトはどのように募集していましたか

アルバイトは大学で募集していて、そのほか、扇町(大阪市北区)の学生相談所というところでも募集していました。黒板にアルバイトの情報がずらっと並んでいて、行きたいアルバイト先にその場で応募する感じ。登録番号みたいな札をひとり一枚持っていて、それを働きたいアルバイトの窓口に渡して応募しました。

――時給は?

大掃除で日当が1000円。朝から夕方5時まで働いて。交通整備は夕方5時から朝7時まで働いて同じく1000円くらい。

――めっちゃ安い

当時新幹線がひかりで大阪から東京で2500円くらい。初任給がだいたい2万~2万2000円だったから物価から考えると妥当だと思う。8倍くらいしたらいまの時給くらい。時給が最後に上がったのは、(聞き手の母が就職した頃の)25年くらい前まで。初任給はそれ以降、あまり変わっていないね。

――どんな学生生活でしたか

部活は何もしなかった。勉強もそこまでできた方じゃなかった。教職はとっていました。

――なぜ教職を?

法学部だったけど、弁護士になりたいとは思わなくて。父が教師をしていたので教員の道も考えた。でも、その時代は就職難で公務員が人気だった。教師になるのはとても難しかった。

――どこに就職しましたか

就職先が決まったのは、(卒業時期の4年生の)3月の末。証券会社。そこしか通らなかったから。大学職員の採用試験も受けていたけど、2次試験が証券会社とかぶって行けませんでした。法学部だったから証券会社を選びました。

――どんな仕事でしたか

営業の仕事をしていた。法人へ行って株式の紹介をしていました。

――そのあと会社が倒産したんよ(同席していた祖母の言葉)

入社して1年くらいで倒産した。まさか証券会社が倒産するなんて思わなかったからまあびっくりしましたね。

――そのあとは?

親戚の会社に手伝う形で入社した。染料を扱う会社だった。定年まで、65歳まで働いて、今が80歳だから15年前に退職した。(聞き手が)5歳の時まで働いていた。

――今二十歳になった私にアドバイスを

人に流されずに自分の意思をもって行動すること。人間は楽なほうに行きがちだけど、しんどくても目標を決めて、決めた目標に向かって頑張ることが大切。なんとかなると思ってもなんとかならないからね。

<感想>
話を聞いて驚いたのは、私のアルバイト先の新聞社が祖父と一緒だったことだ。物心ついたころに祖父は退職していたので、働く姿を私は知らなかった。祖父は自分のことを話さない。どんな人生を歩んできたのか知らなかったため気になり話を聞いた。同じ大学2年生でも、生まれた時代が違うと全く違う大学の雰囲気がある。祖父も進路に悩んでいたのを聞いて、60年前という遠い昔に感じる年月が身近に感じられた。(杉本)