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2/15開催レポート②「私たちの知らない世界~能登半島地震から学ぶ 私たちのまちは何をしておく?~」

レポート①の続きです。②では、一般社団法人復興応援団の佐野哲史さんから能登半島地震の支援活動の様子をレポートしていきます。


能登半島地震支援の現場から

石川県を宮城県に例えてみると

私(佐野哲史さん)は、東日本大震災の際に、仙台・東京・関西のNPOと日本財団の合同プロジェクト「つなプロ」の現地本部長に就任し、それ以来、宮城県に残り、東北地域の復興のお手伝いをさせていただいてきました。

1月1日に能登半島地震が起きましたが、1月6日から現地に入り、宮城県から通いながら支援しています。

今まで、新潟県中越沖地震や台風19号水害など、大きな災害が起きた際は、現地の支援を行ってきましたが、緊急支援の後には、復旧・生活再建、そして復興・まちおこしとフェーズが変わっていきます。

ここにいるみなさんに分かりやすく伝えるために、能登半島地震が起きた石川県を、宮城県に例えてデフォルメしてお伝えすると、

金沢市は、県庁所在地かつ比較的被害が少なく、仙台市と似ています。
七尾市は、被害が大きかったですが、拠点都市として多くの支援が集まり、石巻市と似ています。
奥能登(輪島市や珠洲市など)は、大変被害が大きかったのと、アクセスの困難さや海に面していることなどから、南三陸町や気仙沼市と似ています。

支援が届きにくいのは奥能登です。

道路の被害について

東日本大震災では、津波の影響が大きく、まちが瓦礫だらけで、支援のために使っていた車がよくパンクしたのですが、今回の能登半島地震の被害は地震によるものがより大きい印象がありました。

地面が割れていたり、土砂崩れが起きたりなどで道路が寸断され、通行止めも至る所にあります。液状化現象でマンホールがとび出たり、橋げたに大きな段差が生じたために、道自体が封鎖されて、通行できないところなども多く、支援が届きにくい状況です。

通行できたとしても、土砂崩れのために車線が片側交互通行になっていて大渋滞が起きています。また、冬場ということもあり、特に山間では路面が凍結して運転がしづらい状況です。

マンホールが隆起している様子 (佐野さん撮影)
橋げたに大きな段差が出きている様子(佐野さん撮影)

建物の被害 文化・歴史の破壊

建物の倒壊の被害も大きいです。
能登半島地震では、旧耐震基準の建物だけでなく、新耐震基準の建物も倒壊しています。何度も揺れが起きたことが影響していると考えられています。

能登は瓦屋根の家屋が多く、特に輪島は昔ながらの瓦の街並みが美しかったのですが、今回の地震で多くの瓦が落ち、文化や歴史を背骨に営々と築き上げられてきたであろう街の姿が壊れてしまったことに衝撃を受けました。
 
また、街の復旧そのものの長い道のりと、そこに携わる地元の方々のご苦労を思うとさぞや大変だろうと思いました。新しい街をつくるにあたり、もし耐震強度が最重要視されたとしたら、今までの美しい街並みがもう見られないかもしれないとも思いました。
そういう、色々な思いがない交ぜになって、思わず涙してしまいました。

輪島駅前の様子(佐野さん撮影)

コミュニティ・文化の維持をどうするか

能登では、七尾市なども水道の復旧が遅れており、市外に避難するケースが増えています。中長期的にみて、被災地域からの人口流出が起きるだろうと予測しています。

土地が足りないため、校庭やテニスコートなどの土地に仮設住宅を建てると考えられますが、土地取得が大変で時間がかかるので、七尾市から金沢市などへの県内避難や、県外に避難するケースも多くあるだろうと考えられます。東日本大震災の際も、福島の浜通り地域で県内・県外に避難するケースが多く見られました。地元を離れるとコミュニティの維持も大変になります。

震災後も地元に残った南三陸町の事業者の方に話を聞くと、どの方も一回は仙台とか東京に引越ししようか?っていう議論を家族でされています。だから地元を出るのも残るのも、本当に紙一重の決断だと思います。
今回も、能登から離れる選択をされる方、地元に残ることを選ぶ方、どちらを選んだとしても、東日本大震災と同様に、紙一重のギリギリの選択だと思われます。

そう考えると、今まで培ってきた文化やコミュニティの維持はとても困難になります。

実際、奥能登のいくつかの酒蔵が壊滅的な被害を被っており、奥能登の日本酒の将来が危ないかもしれません。
そんな中、各酒蔵さんとも、壊れた建物から「もろみ」を救出して、金沢など県内の他の街にある酒蔵を間借りして、本来仕込むはずだった今シーズンのお酒をなんとか作ろうとされています。
この話を聞いた時、絶対にこの取り組みを支援したい!と思いました。
 
復興応援団としては、文化を守る、生業を守る、という本質的な部分に貢献できたらと思っています。

被害の範囲が支援のスピードを左右する

新潟県中越沖地震や熊本地震でも現地支援に入りましたが、地理的に周辺から支援が入りやすい側面がありました。一方で、能登は半島になっており、地理的に支援が行き届きにくく、道幅が狭かったり、地形が難しいです。さらに真冬で通行しづらいところがあることを考えると、もし仙台で大地震が起きた場合、その被害の範囲次第で復旧・復興支援のスピードが大きく変わると思います。

2月9日まで能登で支援活動をしていましたが、穴水町、輪島市、珠洲市ではまだ上下水道が使えない状態で、被災者の方々は、自衛隊の用意したお風呂を利用しています。一方で、七尾市の中心部では1月7日の時点で電気が復旧していました。
交通の行きやすさによって、緊急車両や支援車両、インフラ設備を修理するための車両が通れるかなどで復旧に違いが出ているのだと思います。

会場からの質疑応答

Q.建築基準法で旧耐震基準、新耐震基準と分類されていますが、佐野さんのお話では新耐震基準で建てられた建物も倒壊しているというお話でした。
新耐震基準に則っていても安心できないのでしょうか?

A.(佐藤さんによる回答)
建築基準法をクリアして建物は建っていますが、建築基準法という法律は、あくまで最低限のものでダメージはどこかには出ると思っていてほしいです。
例えば、地震で家屋が傾いたとしても、外に逃げ出す時間を稼ぐことができるということです。仮に、コンクリートや鉄骨で造られた建物は頑丈だというイメージがありますが、振動に共鳴して大きい建物の方が倒壊してしまうというケースもあります。
木造は木自体が粘りを持っているため。ゆっくり傾いてゆっくり倒れると言われています。

瓦屋根は、重さが1トン以上あり、それは車種でいうとアルファード1台分くらいを屋根の上に載せているのと同じだと言えますが、瓦屋根の家屋は重い瓦を載せることを想定して土台の構造ができています。ただ、古い家屋であったり、後から瓦を載せている場合など、屋根と土台のアンバランスが起きている状態だと被害が大きく出てしまいます。

新耐震基準だから、新築だから絶対壊れないということはなく、建物は壊れるもの、逃げるということを第一に考えられた建物なんだと意識する必要があると思います。

(佐野さんによる回答)
マンションの防災の支援もしているのですが、行政は、ルールは決められますが、実際に地震が起きた場合にどうなるかは分からないです。
いくらハード面にお金をかけても「絶対」はないです。どれだけ迅速な避難行動に移せるかが鍵だと思います。

Q.私たちは震災の記憶を忘れないように記録しようとしていますが、災害を体験していない人には伝わりづらいと思います。被害に遭っていない地域の人にも震災の教訓や知見を共有するにはどうしたらいいでしょうか?

A.みんな、災害のことは考えたくないというのが本音。それは震災の教訓が伝わっていないのだと思います。今回、能登で支援をする際に、「近未来予想」と題し、コミュニティの再建の仕方や避難所の役割分担についてなどを文章にして被災者の方にお配りしましたが、なかなか文章では伝わりません。現地で信頼関係を築いて共にアクションを起こしながら伝えていくことが、より大切なんだと感じました。

七尾市には一本杉通り商店街という商店街があります。
今回の被害を受けて、南三陸町にある南三陸さんさん商店街とオンラインでつないで、どうやって商店街を再建していったらいいか相談しました。
南三陸さんさん商店街は、東日本大震災の際に震災の2週間後には商売を再開した復興商店街として有名ですが、その方々から、「まずは商売する心を起こしましょう。まずはイベントを企画しましょう。」とアドバイスされたそうです。
そして2月11日に、南三陸さんさん商店街からも3店舗が七尾市に出店して、「一本杉復興マルシェ」というイベントを行い、地震後初めて商売が行われました。
このように、アクションと共に伝承していくことが一番なのかなと思っています。

Q.佐野さんの活動について、いろいろなフェーズで支援内容は変わると思うのですが、具体的にどのような支援活動をされているのか、また、現在の南三陸でされている支援内容についてお聞きしたいです。

A.能登の支援では、真冬ということもあり、当初は石油ストーブと灯油を届ける活動をしました。
公的な避難所ではなく、物資の届きにくい在宅避難者や非公認の避難所に避難されている方々にいかに物資を届けるかについて考えました。そこで、奥能登で地域に根付いている事業者の方々が復旧のために活発に動かれていたので、事業者の元に物資を届けることにしました。

過去の支援経験から、時間と共に被災者のニーズは変わるので、その後はビタミン不足に陥らないよう、ドライフルーツやみかんを届けました。
野菜を届けても、断水の影響で洗えないからです。また、だんだん嗜好品が食べたくなるので、お菓子も大量に届けました。
そのような「点」の支援に強みを持っています。

物資を届ける中で、穴水町の酒屋さんや珠洲市の古民家レストランや輪島市にある輪島塗の工房の方など、能登の事業者の方々と仲良くなり、復興のためにいくつかプロジェクトも立ち上げました。

南三陸町での活動は、2015年頃まではボランティアツアーをたくさん行っていましたが、2016年以降は南三陸町や塩釜市にて、企業単位で研修を行っています。復興リーダーからビジネスパーソンが学ぶという研修内容です。


3月は「わたしたちの知らない世界 ー続・能登半島地震に学ぶ 私たちのまちは何をしておく?ー」を開催します。

2月に2人のゲストから提供いただいた情報、意見交換から生まれた問いを踏まえ、100万都市・仙台で備えておくべきこと(都市機能)を、会場・オンラインで集まって考えていきたいと思います。

■日 時:2024年3月21日(木)19:00~20:30
■会 場:仙台市市民活動サポートセンター6階セミナーホールと Zoomにて開催
■内 容:能登半島地震の復旧・復興における課題を教訓に、私たちのまち仙台で備えておくべき都市機能をみなさんと考えます。
■対 象:
・防災、減災、利府長町断層による地震に関心のある市民
・能登半島地震の支援状況について関心のある市民、団体、災害支援団体、NPO、企業、教育機関、行政
■定 員:なし
■参加費:無料
■申 込:申込フォームからお申込みください。

申込の方にZoomアドレスをお知らせします。


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