世界のロボット考察
イーロン・マスクのテスラが、自動運転技術を転用のヒューマノイドロボ「Tesla Bot」開発を発表した。
ロケット開発、電気自動車、自動運転など数々の実績があるテスラのイーロン・マスクの発表なので、期待もしてしまう。
とはいえ、今まで人間型ロボットといえば日本の十八番だった。
三菱重工の「wakamaru」にHONDAのASIMO、SoftbankのPepperと、多くのロボットが開発されてきた。
日本のロボット文化は独特だ。
それは、ロボットアニメに影響されるところが大きいだろう。
ガンダムをはじめ、エヴァンゲリオン、マジンガーZ、鉄人28号、アトムにドラえもんと日本には数多のロボットアニメがある。
つまり、日本人はロボットが大好きなのだ。
海外はどうだろうか?トランスフォーマーや、メトロポリス、アイロボット、ターミネーターやロボコップなどが有名だ。
しかし日本のロボットとが以外のロボットには、いくつか違いがある。
日本の「ガンダム」や「エヴァンゲリオン」では、当たり前のようにコックピットに人が乗る。にもかかわらず、「トランスフォーマー」は、車や飛行機などの乗り物が人型に変身するロボットなのに、運転席には誰も乗らないのだ。
ロボットと人間は、一心同体にならない。
そして日本では、その乗り物であるロボットのデザインに憧れて、玩具をコレクションする。ロボットがとても身近な存在なのだ。
ところが、西洋の国々の映画では、ロボットはインディアンや宇宙人と同様、自分たちとは異なる存在として描かれることが多い。
ロボットは、人間とは違う異端なものなのだ。
『異端のものと分かり合い、受け入れることが素晴らしい。』
それが西洋の価値観であり、語られるストーリーだ。しかし、日本のロボットは、鉄腕アトムも、鉄人28号も、ドラえもんも、一話目から当たり前のように味方や友人である。
そうした違いの背景にあるのは、「すべてのものには魂が宿る」という八百万の神の考え方ではないだろうか。これは、自然のあらゆるものには神が宿っているとみなし、たとえ異端なものでも崇め奉るという文化から来ている。
国土が狭く、地形や気候が多様で資源が豊富な日本では、例え異端の存在であっても、お互いを認め合いながら資源を分かち合ってきた。
そのほうが物事が円滑に回る、という考え方が根底にあるのだ。そうした考え方こそが、「ロボットや宇宙人、あるいは妖怪ですら人間の味方である」という思想を育んできたのではないだろうか。
すなわち、西洋のロボットと日本のロボットの価値観は全く違うのだ。
Tesla Botは反復動作を含む「退屈な作業」をこなすことを目的にしているという。あまり手順が複雑すぎない、人間ならすぐに飽きが来てしまう単純作業をひたすら黙々とこなすタイプのロボットのようだ。
つまり、西洋のロボット文脈だ。
それでは、日本のロボットの今とは?
ここ最近だと、LOVOTだ。
LOVOTとは『役に立たない、でも愛着がある” 新しい家庭用ロボット』。
Pepperの開発者の一員であった林要さんが率いるGROOVEが生み出した。
人間を癒してくれることが、唯一の機能。抱っこをすると、ちゃんと生きているように暖かい。
そして、とても魅力的なのが『目』だ。まさに、アニメの技術を使って、『目』はとても魅力的に描写されている。
LOVOTは日本のテクノロジーと、アニメ文化のハイブリッドなのだ。
こういった、役には立たないが、人間の側にいることを前提にされたデザインしたロボットが、日本的価値観なのではないか。
我々はスマートフォンを手放せない生活に浸っている。これからのスマートフォンは、こういった日本の文脈を引き継いだ『ロボット』型のがデバイスになっていくかもしれない。
一緒にいて、役に立つだけではない。癒され、ストレスを少しでも軽減する、ドラえもんやアトムのような、ロボット型のデバイスだ。
そんな未来のデバイスは、多数のロボットアニメに触れてきた日本人だからこそデザインできるかもしれない。
しかし、西洋でもピクサーのウォーリーや、ベイマックスなど、日本の魅力に影響されたロボット文化も現れてきた。未来のロボットのデザインはどうなっていくのだろうか?
私もいつか、カンボジア発のロボットアニメをデザインしてみたい。
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