どうやら、「やりたいことがわからない症候群」があるらしい。
こんにちは!
2020 OITA ACTIVATE! 運営の佐藤です^^
前回の記事から少し時間が経ちました。
今日は、前回に引き続いて「本当にやりたいことができる人生」について書いてみようと思います。
ちなみに、「本当にやりたいこと」ってなんなんでしょう?
それって、本当にやりたいこと?
ところで皆さん、先日の青柳の記事は読んでいただけましたか?
やりたいことを、やる。
やりたいことが見つかっている人は、話が早い。先人から学んでTTP(徹底的にパクる)のみです。そのためには、まず動き出す最初の一歩を踏み出すこと、自分のレベルにあったパクれる適切な相手を見つけることです。まずはこのチャンスを自分で掴み取ろうとしなければ、何事も進みません。
でも最近思うんです。
本当にやりたいことなら、もうすでに動いているんじゃない?って。
実は、それって本当はやりたいことじゃないんじゃない?
自分でどこか「なんか違うんだよなあ…」って思っているんじゃない?
そう考えると、実は大きな問題って、
「自分は本当はやりたいことが見つかっていないのに、とりあえずやりたいことをあつらえて、でもやっぱり挑戦する一歩を踏み出したいとは思わない状態」なんじゃないか、って最近思い始めているんです。
周りからは「あいついつまで立っても、挑戦しないよな」と後ろ指を指されているように感じる。Twitterを見れば、「挑戦する一歩を踏み出そうとしないのは、本当にやりたいことではない」みたいなえぐられる言葉を見て『結局自分ってできないんだ…」と落ち込む。
でも、ちょっと待って。
本当に君の人生、そんなに苦しいだけの時間だった?
ワクワクした瞬間、一瞬たりとも存在しなかった?
最近、大3の妹の就活をサポートしているので、余計に感じるんです。
「自分、何にもないとか言いながら、超いい経験して、いい考え持ってるじゃん!なんで気付いてないの!?」って。
大人が発症?「やりたいことが分からない症候群」
子どもの時には後先考えず、なんでもやっていた経験が自分にはあるんです。空いた時間には一輪車に乗って、気付いたらバスケして、夜になったら算数の問題を解きまくる。
あの時の自分は「これ!」って簡単に見つけられたことが、成長するにつれてできなくなっていく。不思議ですよね。お金も時間も、自分で判断して使える割合は圧倒的に増えているはず。
それなのに、どうして私たちはこうもがんじがらめなんでしょうか?
皆さんはどう思います?
私が考えたのは、もしかしたら大人になってきた分、考えられることが増えたからかもしれない、ということ。子どもの頃は、良くも悪くも "目の前" しか見えていなかった。そんなに視野って広くないわけです。だからこそ、その一つのことに夢中になれた。目の前にあるものから選び取って、そこで結果を出すことが喜びで、だからこそ満足するまで追求し続けられたのかもしれません。
ちょっと話が逸れるのですが、「ジャムの法則」って知っていますか?
ジャムって、色々あると楽しいしワクワクしますよね!「え、こんな味あるの!? 食べてみたい!」みたいな。
でも、実際は、品揃えが多いほどお客様は買いづらいそうなんです。むしろ、3種類くらいの方が購買率は上がるそうな。選択肢を減らされて不自由な感じがするのですが、むしろ減らしてくれないと自分で判断できるキャパを超えてしまうのでしょうか?
このジャムの法則(jam study, 別名 決定回避の法則)については、よろしければ以下のURLを参照ください。
でも、意外と自分たちの人生もこのジャムと同じ気がしませんか…?
大人になるにつれて「自分は何者にでもなれるんだ」と思ってしまうからこそ、「自分は何になったらいいんだ…?」という不安。じゃなきゃこんなに、「やりたいことの見つけ方」みたいな本って売れないと思うんです。
君の「やりたいこと」判断基準、それでいいのかい?
世の中で色々言われているのは、
「必要なのは、選択肢ではない。判断基準である」ということ。
確かに、ジャムの法則でもそうですよね。
「今日は、万人受けするものだけど酸味が効いていて、よくあるベリー系とは一味違うやつ」なんて決めてから買いに行ったら、大体24個の中でも3-4個くらいに絞れるかもしれません。
少なくとも、店員さんというエキスパートに頼ったらそこまで時間は掛からなそう。
でも、例えばこう頼まれたら?「とりあえずなんか選んできて。」
もう何にしたらいいか分からないわけです。就活も同じ。就活ではさらに「選んだ理由を教えて」なんて言われるから、初めてのおつかいみたいな、初めての就活。もうどう答えたらいいか分からない状態。
これで、判断基準があるならまだしも、食べてみて、「え、思ったのと違うし、むしろこれ全部食べきるのしんどいんだけど…」みたいになったらもう最悪です。
ジャムなら買い直せばいいけれど、転職なんて何回もできるわけではありません。転職し続けて、先の見えないままジョブホッパーになったらあなたの心が落ち着かなさそう。
どうやら、「やりたいこと」の判断基準も、あればいいってわけじゃないらしい。
やりたいことがないわけじゃない。判断基準のTTP
だから、私はこう思うんです。
「判断基準の持ち方こそ、TTP(徹底的にパクる)をした方がいい。」と。
今の世の中、スキルを取りに行けるスクールはいくらでも転がっています。
手段ベースの話なんて、少なくともお金を払えば獲得できる。
でも、なぜそれでも格差が生まれるか?
それは、その獲得したものをどう取捨選択して調理するかが違うからだと思うんです。そして、往々にしてその「上流部分にある思考」は見えないことが多い。
なぜかって?
私も明確に答えがあるわけではないのですが、その人が自然とそれを運用してしまっているからか、むしろその考え方の部分が広まると自分と同じように考えられる人が増えて困るからか… あくまで仮説の範囲なので、思考が広まっていないからと言って不満を言うのは違うと思っています。
もしかしたら、その思考を取りに来てくれるのを待っているのかもしれません。私たちは往々にして、成果につながりそうな「わかりやすい部分」だけを真似しようとします。でも、冨永愛が着ている服と全く同じものを持っているからと言って、私が冨永愛と同じモデルとして活躍できるわけではない。
「冨永愛」という人間を作り出している、そのアウトプットにつながっている考え方自体が、大事なんです。
長くなりましたが、今回の2020 OITA ACTIVATE!の3日間では、一人ひとりの独自の判断基準を作り出し、その人ならではの「本当にやりたいこと」へのアクションを導き出せる時間にしていきたい、そう思っています。
私たちの経験は全て曝け出すし、とことんその人の人生に向き合う。
事前研修まで残り10日を切っています。
12月4日23:59が最終〆切なので、皆さん奮ってご応募くださいね。
終わった後の達成感は保証します。
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