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ぼくの人生第一章-大学1年-

どっちかといえば、最近の過去、みなさんはこの辺から読みたくなるのではないでしょうか。
いいでしょ。話してあげよう。

なぜ上からかわからんがww

-一人暮らし開始-

群馬県から神奈川県へ引っ越して一人暮らしが始まった。
親元を離れるというは少し寂しさがあった。
母は少し泣いたと言っていた。
料理も、洗濯も家事全てをやることはすごくめんどくさかった。
親のありがたみを感じた。
いつもうるさい姉がいないから、部屋には静けさがあった。

そんな慣れない生活が始まった。

-大学サッカー開始-

ぼくは他の人よりも遅く練習に参加した。
面倒かったからだ。せっかくの春休みなのに、サッカーするのが嫌だった。

と言いつつ、さすが学校が始まるくらい練習に参加した。

1番下のチームからのスタートだった。
当たり前ことかと思ったが、他のスポーツ推薦の人たちはみんな上のカテゴリーにいた。
でも、サッカーするのが楽しかった。
何をするのに思い通りになる。
小学生以来の快感でもあった。

べつに1番の下のチームだからといって、グダリもせず、コーチがいなくてもちゃんとサッカーをしていた。
それは四年生がしっかりまとめてくれた。
特にキャプテンが。
はっきり言って、キャプテンはプレーはあんまりうまくない。けど、発言に筋が通っている。そして、練習への姿勢は共にサッカーしてきた仲間の中で、1番素晴らしいと感じた。
ガムシャラに努力しているわけでもなかったが、サッカーに対する大人の対応というのか、すごくかっこよくみえた。

その人がいたから、サッカーはすごく楽しかったし、いつも一緒に試合にでるのが楽しみだった。たまにチョボするのはこまったけどww

同期も真面目にサッカーするたち。
技術はどうであれ、体力とかスピードははっきり言って、全然ぼくより上だった。
ぼくは走れないし、守備しない、なおかつ自分勝手。最悪だった。

そんなおれをみんなはいつも笑ってくれた。
すごくいい仲間を持ったと心から思う。

-大学開始-


大学に入って、友達なんてできなくていいと思っていた。サッカー部の同期がいればそれだけで十分と思っていたからだ。なんなら友達ってどうやって作るのか忘れた。

クラスで集まる日があった。
ぼくの学科は女子が7割占めていた。
男子が3割となかなか少なかった。
初めてのクラスの印象は、

「やっべ、、女子大量じゃん!!!!」

漁師みたいな反応をした。

クラスが仲良くなるために、フルーツバスケットを小学生以来にやった。

みんなガチ勢だった。
動きは俊敏かつ正確な椅子への着地。
誰ともぶつからないアジリティ、まるで意思疎通ができているシンクロの如く
素晴らしかった。

だが、ぼくは椅子ひとつ微動だにしない。
スカしていたからだ。

マーケティング学科ということで、生活に役立つ商品をつくるゲームもした。
これはグループワークだった。
みんな発想力豊かだった。
そんな中、ぼくが担当したの、、、

「キャッチフレーズ」

そんな感じで、みんなとあんまり仲良く出来なかった。
その後、会食があったが家で飯を食いたくないが為に、みんなの食べ物を1人フードファイトした。そこに張り合ってきた女もいて、青学にもそんな女いるんだなって思った。

-サークルの新歓-

ぼくはサッカー部だったが、サークルの新歓に行った。まずは、焼肉。
1000円で食べ放題ということで、行かない理由などない。
みんなが真剣にサークルについて話している中、ぼくは何をしていたと思う。

正解だ、「フードファイト」

つぎに、BBQだ。
ここでは500円ということでいったが、大幅に出遅れた。
肉ほとんどなく、鳥、ソーセージぐらいだった。

だが、それだけあれば十分。
BBQのスタートだ。

しかし、問題発生。
トングがないことに気づいた。

ぼくは思った。
人間は最初、何で食事をしたか。
そうだ、ゴットハンドだ。

ぼくのゴットハンドが炸裂し、
火の熱さえ感じず、ぼくの胃というブラックホールに吸い込まれていく。

ごちそうさまでした。

-授業開始-

ぼくは先輩の力をかりて、履修を完成させた。
みんなは1人で組むため、楽単を知らない。
みんなぼくを訪ねてきた。
つまり、それを教えてしまったから、結局クラスの男子と同じ授業を受けることになった。
それをきっかけに仲良くなってしまったのだ。

ぼくの言い方的に、友達ができて悪いのかよって思うかもしれませんが、はっきり言います。

「最高です。」

それから学校では、毎日一緒にいるようになった。

-悪夢開始-

(これは少し伸びたて)

世間一般の青学のイメージはなんですか?

そう、女子が可愛いということ。
そんな青学に通うぼくは、部活のやらかしにより、なんと、、

「坊主」

になることがけってしました!!!!

しかも、ぼくの誕生日後ですよ!!
祝ってもらって頭がハゲたわ!!

大学になると、野球部もお洒落な髪型をしている。助けとなる手立てはなかった。

だがらぼくはついに必殺技をつかった。
小学生以来つけたことなかったもの。

それは、、「キャップ」

べつにたいしたものではございませんでしたねww

サッカー部の同期はだいたい学校でキャップをかぶっていた。だから、学食であれサッカー部、あれサッカー部、あれサッカー部!ってすぐ発見することができるメリットができた。

-賭-

なぜかブームした賭け。
先輩から後輩に受け継がれ、おれから学部の友達に受け継がれた。
大きな金額を失う時は、万単位。
バイトしていなかったぼくにとって、ハラハラドキドキのカケグルイ。

サッカー部内では、人のお金を奪い合いのはやめよーよという声とあった。

だが、止まることはなかった。

そう、そこはサッカー部というなの、

「カジノ」だったから。

-夏休み-


大学初めての夏休み。
ほぼ毎日の部活だったが、
ほぼ毎週のようにあったボーリング。

ここでも賭けが始まった。
圧倒的な実力差がある中で勝負にでるのは、
はっきり言って、お金を払いにいっているようなもんだ。

だが、これは冬休みまでも続いた。
そこにはもう実力という差は存在しなかった。
サッカーよりもボーリングがみな上手くなっていたのだ。
ここで勝負を分けたのは、集中力、オールという眠気、スタミナこの3つだ。

ぼくは完敗した。

-後期開始-

後期には、学部の友達と遊ぶ回数が増えた。
友達の家で鍋したり、カレー食ったり、酒飲んだりと意外と楽しいことをしった。

ある日、バカ飲みが始まった。
ブラックニッカを一夜にビンを4本あけ、次の日の夕方まで起き上がらなかったことを覚えている。

必ずイッキする時にかかる曲があった。
その曲が流れるだけで吐くことができた。

次の日、学校の人もいたが、酔っ払いのまんまいって、授業中うるさかったと言われていたことにぼくは笑った。

ほんと、先生に怒られなくて良かったと思う。

2度としたくない。そんな思いだったが、それは定期的に行われることになった。

その飲み会を名付けて、、

「やんべー」

-終わりに-

1年はそれからクリスマスもその男子の何人かで過ごし、特にバレンタインももらえず、二年生に進学した。

ご視聴ありがとうございました!
これから2年生、3年生と順に載せていきますが、それがおわったあと、載せてほしいことがあったらコメントとかDMください!!


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