移ろいゆく店でありたい。
“”新しい季節はなぜか切ない日々で。“”
♪♬♬
この歌詞から始まるスピッツの名曲“ロビンソン”が好きです。
色んな解釈がなされているようですが、
私は
ただただ、
季節の移り行く
この風、
この瞬間に
この曲を
流すととても心地よい。
5月の
夏に移ろう
初夏の風は爽やかで。
進みゆく風が心躍り。
9月の
秋に移ろう
初秋の風は
どこか柔らかさをもちつつ
キュンとなる切なさがある。
ロビンソンの曲が頭を駆け巡り
これまた心地よく幸せで。
奏でたくなる(単純)
曲も、
焼き菓子でも。
田舎に引っ越して約1年。
空と風は全く都会とは違っていて。
毎日、ふと空を見上げるたびに
「ひろーーい!」と感動し
「気持ちいいーーーー!」と
風の水分に含まれながらチャリンコをこぐ。
一年たっても
毎日のように感動してしまう自分に驚く。
感動とか、有難いと思うのは
当たり前と思っていない自分がいるからで。
この日々に、当たり前にならない。不思議。ありがたい。
これは菓子を焼くことも同じのようで。
そぼくな。の季節のタルトの中で
ダントツに人気だったイチジクタルト。(ありがとう!)
今季、もう何回焼いたかもわからないんだけれど、
毎度
毎度
オーブンが「焼けたよ!」の合図に
扉を開ける瞬間がとてもとても好きで。
じゅわーーーーーーーと
広がっていく
イチジクの焼けた甘い、甘い、コクある可愛らしい香りに、
「たまらーん♡」と一人厨房でつぶやいてしまう。
そう、
何度も何度も焼いているのに
この香に感動しトリコになってしまう(笑)
何度も菓子を焼き
約10年も菓子の仕事をしているのに
飽きないのは
毎度、毎度、感動があるからなんやろなぁ。と
ふと思う。
この感動を食べてくれる方にもお届けしたい。
この感動は
心も身体も
“人”を“良く”する“食”だと思うから。
常にそう、思う。
それでも
そのお届けするものに安定性はない。
移り行くものがある。
そう、
この初秋
イチジクの季節も
もう終わりのようで。
産直に行けば
いつも活き活きとして並んでいたイチジクたちが
サッと姿を消していて。。
イチジクの定位置に梨が居座っていた(T-T)
(梨が悪いわけではない)
少し寂しさと切なさを初秋の風に吹かれて
脳裏に流れるロビンソンの曲を味わいました。今朝。
(その後4件目の産直でやっとイチジクを見つけたのでご予約頂いている分とあと少しタルトはお届けできるのでご心配なさらずに^^)
もうこのタルトを今年焼けるのもあと数回。
来年は引っ越しをしているから焼けるかわからないし(どうにか一か月に一回だけでもそぼくな。焼けるようにはしたいと思っていますが!)
変わらず心を込めて焼き届けようと思います。
(コスモスが咲いてきたね)
季節は変わりゆくから良くって。
人生の道のりは変わって行くから良い。
日々は変化していき
不安定だからこそ
有難く想い
感動することができるのだと思う。
子供たちにたくさん経験して生きて欲しいと
願うのは、
その分たくさん感じ、
考え、
有難く想い、
感動することができると
私は確信しているから。
人は
安定を求めてしまう生き物なのかもしれない。
けれど
形があるものは
不安定さや、
移ろい、
変化がある。
ロボットでも劣化という変化がある。
でもその不安定さのおかげで気づくことはたくさんで。
そのおかげで感動や感謝ができるんや、と思う。
今、この瞬間を大切にできるんやと思う。
求めるべきは
形ある安定ではなく
心の有難い、と思える安定やと思う。
それができれば
不安定な道を楽しみ
そこに自分の道を作っていくことができると思う(ので店をやってみている。(笑))
私はこれから年老いても
ずっと感動していたい。
心を踊らしたい。
感謝していきたい。
だからやっぱり
移ろいゆく季節が好きで。
移ろいゆく
感動をお届けして行けるような菓子を焼き届けたい。
そう思う。
機械化された均一化された味わいでは出せない感動ってあるんだよ。
移り行く菓子屋でありたいな。
そこに心癒される、感動があると思う。
読んでくれてありがとう!
ちょっと忙しくってnoteまでたどり着けなかった(;^_^A
溜まった言葉たちはツイッターで更新しておりました。
でもnoteはやっぱり書いていて癒されるな^^
ほんと読んでくれてありがとう!
焼き菓子屋 そぼくな。
ゆ季
さ、今日も後半戦!焼いてきますー!
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