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いのり

僕は離島の出身だ。高校を卒業するまでの18年間を島で過ごした。島には高校が2校あるので、小学生の頃から高校卒業までを島で過ごす子が大半。卒業後は就職やら進学やらのためにみな島を出る。僕も例外ではなかった。

離島なので、島を出るときは船を使う。毎年3月になると島を出る先輩たちを見送るためにカラーテープをフェリーに巻き付けて見送っていた。18年間見送る側だった僕が、とうとう見送られる側になるわけだ。

島と本土。船に乗って物理的に離れるからだろうか。僕が余計に寂しさを抱えていたのは。ある種の儀式のように感じられたのだろう。

18年過ごした日常が変わると言うのは本当に言葉にし難い気持ちになる。楽しみと怖さを同じくらい抱えながら最後の一年を過ごしていた。

受験も終え、大学が決まった。残り少ない島での生活を謳歌していた3月。空気がツンと冷たい季節に、突然の連絡だった。

「Aちゃん。亡くなったって」

亡くなった?・・・?連絡を受けたとき、一体何の話をしているのか、全くわからなかった。Aちゃんは小学校からの同級生。高校まで同じ。
Aちゃんが亡くなったので、明日、葬式があるのだと言う。

僕は冷静になるため、トイレの個室にこもってぐるぐると考え事をしていた。考えても考えても、何が起きたのかよくわからなかった。

Aちゃんは笑顔が素敵な女の子。一見おとなしそうに見えるけど意外とあけっぴろげ。下ネタの話とか平気でしてる。けど下品じゃないのが不思議。何より、優しい。僕が落ち込んでいる時、何度も励ましてくれたのを覚えている。茶化されたりしたこともあったな。男女関係なくみんなその子のことが好きだった。

小学生の時のクラスメイトは24人。6年間同じメンバーで、卒業まで過ごした。その中の一人が、まさかいなくなるだなんて夢にも思わなかったのだ。いるのが当たり前の存在だったから。

訳も分からぬまま翌朝になり、Aちゃんの実家に赴いた。式場となったAちゃんの家には友達がたくさんいた。みんな泣いてた。式場の入口では、小学生から一緒だった気の強い友達もじっと前を見て泣いてた。

高校の先生も心配して会場にきてくれた。僕を見つけた時、「お前、大丈夫か?」と聞かれたので「僕は、大丈夫です」と咄嗟に返す。実際、心が現状に全く追いついていない。

お別れをするために、家の中に入る。

Aちゃんの家に来たのは、友達と一緒におみあげを渡しにきたとき以来。Aちゃんは高校を中退していたので、久々に会った。

なんだか大人っぽくなったなぁと思いながらたわいもない会話をしたのを覚えている。それが僕が見た彼女の最後の姿。

線香をあげ、棺桶の中を見ると、Aちゃんが眠っていた。眠っていたと言うのは言い換えの表現ではなくて、本当に眠っているようにしか見えない。今文章を書いている今も、本当はどこかで生きているんじゃないかという感覚が拭えないままでいる。

僕は泣けなかった。涙は出なかった。

僕は、寝ているようにしか見えない友達をじっと眺めた。もう、直接Aちゃんの顔を見るのは最後だと思ったから、忘れないよう、焼き付けるように見た。大人っぽくなったなと思っていたんだけど、やっぱり子供の顔。寝顔を見て、そう思った。


式が一通り終わった後、地元の教会でお別れのミサを行った。お別れのミサは人生で2回目。1回目は、おじいちゃんが亡くなった時。まさかその次に友達を見送ることになるとは思わなかった。

ミサが終わった。棺桶に入れられたAちゃんは、火葬場に運ばれるため車に積まれる。僕は、愚かにもそこでようやく別れを実感し、ポロポロと泣いた。もうAちゃんには会えない。

火葬は親族のみで行われる。親族からの挨拶が終わり、Aちゃんを乗せた車は火葬場へと向かった。教会の前の広場に残された僕ら。友達のすすり泣く声が聞こえてくる。

Aちゃんとのお別れが終わって、同じ地区の同級生3人でAちゃんについて話していた。みんな小学校からの同級生。みんなAちゃんについて知っている。なんなら、隣にいる友達は小学校の頃Aちゃんと付き合ってた。修学旅行の時は、みんなで茶化した。

僕らは、何百回と見たガソリンスタンドの前に腰を下ろす。通ってた小学校は目と鼻の先。100メートルもない。小学校のとき、ガソリンスタンドの横の道を今集まっているメンバーで何度も通った。18になった僕らは同じ場所にいる。

大きくなった僕ら、昔通ってた通学路、島を離れる3月。そして、Aちゃんが亡くなった現状。僕は、時間の経過を感じずにはいられなかった。


あれから、7年が経つ。Aちゃんの夢を何度見ただろう。夢で会えて嬉しいのと同時に朝起きると悲しい。

僕は帰省するたびに、Aちゃんの墓に手を合わせに行っている。Aちゃんの墓は、急な坂を登った山の斜面にある。そこは集団墓地になっていて、僕のじいちゃんの墓もそこにある。ミサを行った教会からも近い。

あれから7年もたったが、ずっとしこりが残ったままでいた。やっぱりAちゃんはまだどこかにいるんじゃないか、そんな気がしてる。棺桶の中にいたAちゃんは寝ているようだったし。火葬場で燃やされるところも見ていないから。

墓に刻まれているAちゃんの名前をじっとみると不思議な気持ちになる。本当にAちゃんはここにいるのだろうか。よくわからない。よくわからないから、僕は墓参りに来てもいつも心の中だけで会話してた。

「会話してた」と過去形にしたのは、ここ1、2年は話しかけているから。話しかけるようになったのは理由がある。

心の中だけで話しかけて、相手に伝わっていると考えるのはムシが良すぎると思ったからだ。Aちゃんはエスパーではなかったので、直接話しかけないと伝わらないだろう。このままだと僕は、ただ目の前に現れてじっと深刻な顔をした後、何も喋らずに去っていく不審者になってしまう。

だから声に出して話しかけるようにした。最初、話しかけるときすごく緊張する。だって、一方向だから。Aちゃんからの反応は返ってこない。どんな顔をしてるのかわからない。そこにいるかもわからない。もしかしたら、今、昼寝中かもしれない。

それでも、頑張って近況を話すようにした。

するとどうだろう。今まで抱えてたモヤモヤがスッと降りる感覚になった。「あ、そこにいるんだね」という気分になれた。

今まで、どこにいるのかよくわからなかったから。僕が、その子の死を少しだけ受け入れて肯定できた瞬間なのだと思う。今もまだどこかで生きているという感覚はあるんだけれどね。

「また来るね。」そう返して、僕は坂を降っていく。

話しかけることや祈ること。これは、死者のためでもあるのと同時に、実は自分のためでもある。話すことや祈ることは、自分の中で死者の存在する場所を自分自身で肯定してあげる行為なのだ。

次、帰ったら、また面白い報告をしよう。そしたら、いつもみたい笑って聞いてもらえる気がする。


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