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エッセイ『ロスタイム終了』

さっきまで雨が降っていたからか、部屋の中はじんわりとしている。年末年始、実家に帰省していた僕は、夜、眠れなくて、薄暗い寝室の中で布団に横になり考えごとをしていた。

 ここ1、2年は悲しいニュースばかりだ。俳優の三浦春馬さん、竹内結子さん。テラスハウスに出演していた木村花さんらが自殺したというニュース。

 コロナの流行も、収まる気配が見えない。身内がコロナにかかってないだけ、僕は恵まれているのだろう。しかし、息が詰まるような閉塞感は拭えない。

 夜中は、マイナスな方向へと物事を考えやすい。自分の思考の奥へ奥へとずいずい潜れてしまう。僕の性格もあるのだろう。その日は一段と深かった。

 ぐるぐるぐるぐると、考えがめぐる。なんだか頭が混乱しそうだったので、お気に入りの手帳を取り出し、思考を書き出していく。

 筆はとまらない。順序立てて思考を整理していく。ふと、こんなことを思った。

 「僕は創作活動が好きだ。人よりクリエイティブだと思っている。そういえば、メンタリストのDaigoさんは、三浦春馬さんのことをクリエイティブな人だと言っていたな。」

 これが引き金だった。自殺に至ってしまった三浦春馬さんと、自分とをリンクさせる項目を見つけてしまった。強烈な不安に襲われる。ヤバイ、ヤバイ。気づかなくていいことに気づいてしまった。どうしよう、どうしよう。

 気づけば、僕はパニックになっていた。いてもたってもいられなくなり、裸足のまま外へ飛び出した。外にでて10秒ほどたっただろうか。雨に濡れたアスファルトの感触で現実世界に戻ってきた。ドクドクと脈打つ心臓。荒い息遣い。

 おかしい。何かがおかしい。

 少し呼吸をして、家に戻る。足をタオルで拭いて、さっさと寝てしまおうと横になる。当然、眠れるわけがない。

 自分はどうかしてしまったのだろうか。考えは悪い方悪い方へと引きずりこまれていく。どうしよう。本当に大丈夫なのかな。

 ・・・2度目はすぐだった。気づけばまた、外へ飛び出していた。再び、アスファルトのゴツゴツとした感触が僕を連れ戻してくれる。絶対に何かがおかしい。

 もう眠れそうになかった。電気をつけて、水を飲む。不安でたまらず、似た症状が出てる人がいないか、検索してみた。

 検索結果にでてくるのは、どれも仰々しい名前の病名ばかり。怖い。恐る恐るサイトを確認していく。

 複数のサイトを確認して、疑惑は少しづつ確信へと変わっていく。僕のこの症状は『パニック障害』かもしれない。あまりにも症状が一致しすぎている。

 すぐに親に連絡した。親は弟の受験のため、県外にいる。家には僕一人。

 「パニック障害かもしれない。精神科に行こうと思う」

 心の中は不安でたまらなかったが、親にあまり心配はかけたくない。症状は軽いから大丈夫だよと説明する。1、2時間ほど親と話をして、翌週の月曜日、病院へ行くことにした。運悪く、症状がでたのが金曜だった。土日は病院がお休みなので、

2日待たなければならない。本当に絶望した。こんな不安な気持ちで、2日間、耐えられるだろうか。宙ぶらりんにさせられる現状にイライラもした。

 ・・・実は、前々から似たような症状はあったのだ。自分の声が、頭の中で止まらなくなったり、妙にふわふわして地に足がつかなくなり、走りだしたりしていた。もちろん、人前ではそんな姿見せないし、見せたくない。

 症状がひどくなってきたのはここ2、3年。軽い症状は、中学からあった。

 なぜ、こんなに長い期間、放置していたのか。理由は簡単だ、曖昧にしておきたかったからである。曖昧にしておけば、疲れからだろうとか、栄養が足りてないんだろうとか、都合のいい解釈をできる。

 しかしどうだろう、今まで曖昧にしてきた症状に固有名詞がつくとしたら。名前がついたら揺るがない。体調や、栄養や、疲れのせいにできない。

 人はいつだって、希望的観測を多少はしているものだ。可能性があるなら、当然よい目がでることを祈る。そして、サイコロを振らなければ、悪い目は絶対でない。

 だが、ロスタイムもいつかは終了の笛がなる。それが今日だったというだけの話だ。と同時にそれは、始まりの合図でもある。

 だがしかし、そう簡単に『パニック障害』という得体の知れないものを受け入れられるわけがない。昨日まで何の問題もなく暮らしてきた。それに、もしかしたら自分の思い違いかもしれない、はは。そうして、地獄の土日が始まった。

 土曜日。とにかく不安でたまらない。もう元の生活には戻れないのかな、と考えてしまう。ネットを使って対処方法を調べられるだけ調べた。似た症状をもつYouTuberもいたので、確認した。そしたら、一層不安になった。

 親と弟も用事を終えてかえって来た。症状が軽いとアピールしたかったので、平気なフリをした。ただ、家にずっといるとボロが出そうだし、じっとしていると考え事をしてしまう。なので、とにかく走った。走ってる間は少し気がまぎれる。自然に触れるのがいいだろうと山も上った。少し安心したり、強烈な不安に襲われたりととにかく不安定。早く時間よ経ってくれと、何度も何度も時計を確認してしまう。時間の進み方がいつもの2倍は遅かった。

 ようやく日が落ちてくると、今度は夜が怖いことに気づいた。症状はいつも夜に出ていたからだ。どうしようもなくて、友達に電話をしてどうにか気を紛らわせた。

 ・・・どうにか土曜日を耐え抜いた。本当につらい。早く薬か何かで、症状を和らげてほしい。土曜日の夜は2時間だけ眠り、日曜日を迎えた。

 日曜日。目が覚めて初めに思ったことは「ずっと眠りの中にいたかった」だ。起きたら辛い現実と向き合わなければならない。目が覚めると同時に涙がでてきた。

 体の傷は目に見えるし、そのうち治る。他人にも辛さが分かってもらえるだろう。

 でもメンタルの問題は、他人から見てもよく分からない。思考の問題なので、うまく対処できるのかどうかも分からない。それに、周りに似た症状で困っている人がいない。客観的事実として、似た症状を抱えている人は五万といることは知っている。ただそれは左脳の話。孤独感をちっとも埋めてくれやしない。「どうして自分だけ」と卑屈な考えをしてしまう。世界はあっという間にモノクロに染まる。

 ああ分かるよ。実は前々から分かっていた。自死を選んだ人々は、こんな拷問のような現実の日々に耐えかねたのだろう。逃げ道を自死という選択でしか、見い出せなかったのだろう。理屈ではないのだ。なぜ自死を選ぶのか、疑問を抱く方も多いだろうが、理屈ではない。望んで死んでいく人などいるわけがない。

 日曜日も、土曜日と同じように過ごした。だが、土曜日と決定的に変えたことが一つだけある。それは、現状を受け入れたことだ。

 土曜日の僕は「おそらくパニック障害だろう」と考えていた。日曜日の夕方、考えを改め、「私はパニック障害だ」と考えるようにした。希望を抱く余地を自分からなくした。医者にどういわれようと、そう思うと決心した。希望を消すことで、次に進める気がしたからだ。

 日曜日を乗り越え、月曜日。病院に行く。診断結果はやっぱり『パニック障害』。 ショックはなかった。強がりではない。前日に受け入れたからだ。

 この文章を書いている、2021年6月24日現在。症状はかなりよくなった。日々、せわしなくしているので、病気のことを考えることもだいぶへった。自分の中で優先順位が下がったのだろう。本当にいい傾向だと思う。

 あの日、僕は不安に対して戦う術を学んだ。正確には、学び続けろと神様に言われた気がする。価値観も大きく変わった。今後の長い人生を生き抜くために必要な工程だったのかもしれない。

 誰しもが、多少なりとも不安を抱いているだろう。もしかしたら、今この文章を読んでいるあなたも漠然とした不安を抱えて辛い思いをしているのかもしれない。でも大丈夫。本当に大丈夫。今日はいい夢が見れるし、明日はきっと素敵な日になるよ.。僕が君におまじないをかけたから、絶対に大丈夫なんだ。


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