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おつかれさまぁー。

ノックをすることなく事務所へ入ってきた女性は、溜息の入り混じった声で挨拶をする。
背後の気配に反射的に顔を向けると、先に休憩を始めていた陽菜は、テーブル上におもむろに広げていた荷物を手早く目の前にまとめた。
おふかれふぁまれふ・・・
残り一口にしては大きすぎたサンドイッチを咄嗟に口へ詰め込んだために、不恰好な挨拶を返してしまった。
両腕をぶらぶらとさせて気だるげに歩く彼女は陽菜の隣のパイプ椅子を引きずり寄せ、乱暴な音を立てながらドカッと腰を降ろした。
着陸音の様に彼女は再びふぅぅーっと大袈裟な息をつく。
「露木さんさぁー、仕事慣れた?」
女性はそう質問しながらも陽菜へ目を向ける事はなく、腰かけたばかりだというのにまた椅子からすっくと立ち上がると真後ろに置かれたロッカーへまた両手をぶらぶらとさせながら向う。
口の中に残るサンドイッチを流し込もうとペットボトルを手に取るが、「清涼飲料水」と書かれたラベルを目にした陽菜は手を付けるのをやめてボトルを置く。
「あ、ふぁい。。なんとか、、まら皆ふぁんへ迷惑かへてばかりでっけど。。」
片手で口元を覆うように答える。
ビーフパストラミのサンドイッチは肉厚でボリュームがあった。
寝ぼけた頭だった今朝、コンビニの棚で際立って目立つそれを手に取った時は、今日のお昼が楽しみで仕方なかったが、こんな風に一息に口にいれるものじゃない。もっとウキウキしながらゆっくり食べるものだ。
それにこの水だって。。陽菜は一度口にするのをやめたペットボトルを睨んだ。
「あたしもさぁー急かすわけじゃないけれども、少ない人で店を回してるじゃない?だから露木さんにはなるべく早いうちに仕事を覚えて一人でぱっぱと動けるようにしてもらえるとすっごく助かるのよねえ。」
連ねた言葉を区切るように背後でロッカーをパンと閉めると、女性は席へ戻ってきた。
ガチャガチャと音をたてながらパイプ椅子を引き、またふぃぃーと息をついて腰を降ろすとなにやら巨大な黒い物体をテーブルの上へ乗せた。
全体を覆う艶消しのマッドブラック。
接合部に注されているビビットなイエロー。
縦にも横にも長く、重みのあるずっしりとした見た目も相まって、陽菜はそれを昔アニメで見た巨大な人型ロボットみたいだなと思った。
モダンな書体でボディに銀色で印字された文字列を見て、それが巨大な水筒だということに気付く。
「かっこいいでしょ、これ。新しく買ったのよ。」
陽菜の視線に気付いた女性が、嬉しそうに言う。
ウインナーみたいな指先でポケットから小さな袋を取り出し、パンパンと弾いて封を開けると、彼女は水筒の口から丁寧にそれを注ぎ込んだ。
慣れた手つきだ。
「それ、なんですか?」
何か質問しなければいけないような気がした陽菜は言った。
「これ?これねぇ、今話題のデトックス作用のあるサプリなのよぉ。」
言いながら水筒の蓋をした女性は両手で水筒を掴んで椅子から立ち上がると、ふん、ふん、と上下に激しく振りはじめた。ゴシャッゴシャッという液体の揺れる音が響く。
落ち着き払った顔をしているが女性の首筋が張っているのが見えた。
数回のシェイクの後、腰を降ろした彼女は水筒を両手で持ちあげると蓋を開け、急くように液体を飲み始めた。
信じられないほど大きな音で喉を鳴らしている。
両目は天井の一点を見たままで一心に飲むことに集中している。
陽菜は一連の所作に少し面食らっていたが、女性が両手で水筒をもって一生懸命に飲む姿を見るうちに、哺乳瓶のミルクを飲む赤ちゃんを重ねて笑いそうになった。
吹き出しそうになって目をそらしたのと同時に女性は水筒から口を離すと、またふぅーっと大きな息をついた。
露木さんもさぁ、お水、のみな。女性は一日2リットルよ2リットル。イシキしないとなかなか難しいけど、あたしみたいになるともうこうやって水を持ち歩くのがニチジョウになっちゃうから。慣れるとあっというまよ。それで、ついでにデトックスのサプリも混ぜて一緒に摂っちゃえば一石二鳥でコウリツテキでしょ?今日はね、朝からあたしなにも食べてないのよ。これだけ。夜も抜いてこれだけで今日は過ごすの。月に3回はこうやって断食デーを作ってて米とかパンとかなにも食べないのよ。最初はえーうそむりーなんて思っていたけどね、本気な人なんて水すらも飲まないらしいからあたしなんてまだまだだなって思ったわよ。極めてる人ってすごいわよねえぇ。

女性はそこまで一息で話した。
陽菜は彼女のネームプレートに視線を落とす。
【ミズノ】
自分の名前と水の話を一切関連付けしないのはなんだか勿体無いような気がする。饒舌なミズノさんならそうした事を交えた冗談話をしたってちっとも不思議じゃないのに。
「す、すごいですね・・・。私にはとてもじゃないけどそういう生活は、、」
慣れよォ。慣れ慣れ。仕事と一緒。ミズノさんは言い終えるとまた水筒に口をつけて勢いよく飲み始めた。
陽菜はミズノさんを横に残りの休憩時間の確認をしようと携帯を取り出してロックを外す。
開かれた液晶画面にはもう二度と見ることのできない喫茶店コラフの写真が映し出された。



クボさんが私の前から、正確には私達の前から消えて一ヶ月が経った。
一ヶ月前のあの雪の日。
ミカミネさんやお店の皆とコラフで一緒になったのが最後だった。
そして、皆がコラフという場で過ごす時間も結局それが最後になった。
店長からの電話であの日の火事を知った。
コラフはその日定休日で、私もタチバナくんも休みだった。
前日の夜更かしのせいで普段よりも深い眠りについていた私は何度目かの着信で目を覚ました。
私がお店に駆けつけた時にはもう何もかもが終わった後だった。
沢山の人が走り回り、泥やゴミで汚れた残雪に囲まれて真っ黒になったお店からは、火が消えてもまだ微かに材木の焦げる匂いが流れ出ているようだった。外壁のレンガは焼け焦げてヒビが入り粉をふいていて、割れた窓ガラス越しに見えた店内に私の知るコラフの姿は何処にも見当たらなかった。
壊れて黒く縁取られた門扉をぼんやり見ていると、店全体が大きな四角いピザ窯みたいだなと一瞬思ってしまった自分がいた。
自分の大切な場所が無くなって、とても悲しいのは確かなのに、こんな時にもそういう事を考えられる自分が嫌になった。
それから今日までは、本当に色々な事が駆け足で過ぎていった。
放火の可能性も視野に入れた捜査をしていた警察からは強引な聴取をされ、私とタチバナくんは働く場所が無くなってしまったので新しい仕事を探し、店長は火災のショックからうまく立ち直れず自宅にこもる生活をはじめた。
クボさんは火事のあった日の明け方、私の携帯に一方的なメッセージを残したきり何処にいったのか分からない。
当たり前にこの先も続くと思っていた日常は、一ヶ月前に急に途切れ、私達はそれぞれ散り散りになった。
コラフが無くなってしまった。
仙台に憧れて、小説の世界に憧れて、勢いだけでアルバイトを始めた特別な店。
心の中に生まれた喪失感は私を抜殻のようにさせたけど、それらは全部夢であったかのように目の前の毎日は何事もないように淡々と過ぎて行った。
コラフの前にやじうまが湧いたりしたのもほんの数日だけで、立ち入り禁止のビニールテープで制されたお店の前で、興味深げに立ち止まる人の姿はすぐに無くなった。
私は、アパートのそばのデビさんのいたコンビニで、お客から従業員になり働き出した。ミズノさんはお昼のバイトリーダーで時々一緒になる。いつも家の中で起きた出来事や、ダイエットや色々な健康習慣についての話を私に話してくれるけれど、一度話した事はすぐに忘れちゃうし、ダイエットのやり方もコロコロ変わっている。一緒に働いていてミズノさんは悪い人じゃないけれど、だからといって友達みたいに仲良くなろうとは思わない。ミズノさん自身も私みたいな子と友達になろうとは勿論思ってないだろうし、ただ場を繋ぐ手段として私と会話しているだけなんだろうと感じる。きっとそれが、そのことが、仕事をする場所では当たり前なのかもしれない。適度な距離を保ちながら当たり障りの無い時間を共にすることが、普通なのかもしれない。
だけど、私にはその事が、なんだかどうしても虚しかった。
うまく言い表せないけれど、カラッポだと思った。

休憩を終えてお客さんのいる店内へ戻る。
レジへ向っていると棚の上で崩れた商品を見つけたので何気なく整列させていると、足元の駄菓子コーナーの脇に山積みにされたうまい棒が見えた。
しゃがみこんで、手に取ってみる。
「コーンポタージュ味」
色の違う隣のものも手に取った。
「チーズ味」
その隣。
「サラダ味」
隣にはもううまい棒は無くて、別の小さなお菓子が並べられていた。

「新人、納豆味のうまい棒はな。。貴重なんだよ。」

うまい棒を手にしている私の頭に、遠くクボさんの声が聴こえた。
火事があった日から、あの辺りへなんとなく足が向かなかった。
携帯の中の綺麗なままのコラフを頭の中でずっと大切にしたかった。
あの焼け焦げた姿を平たい心で見つめる余裕が無かった。
だけど、なんだかクボさんの声が、私をコラフへ呼んでいるような気がした。よく分からないけれど、直感的にそう感じた。
壁の丸時計を見る。退勤時間までは後3時間。
終わったらコラフへ行ってみよう。
私はうまい棒を元に戻してレジへと向った。





自費出版の経費などを考えています。