見出し画像

2023年2月23日京都夜散歩

 16時すぎ、思い立って阪神電車に飛び乗った。行き先は京都。四条河原町である。河原町を散策し、祇園白川と花見小路を見てこよう、久しぶりに見る京都の町並みはさぞきれいだろうなとそう思った。思い立ったら抑えられなくなった。それでリュック背負って近くの阪神電車の駅に急いだ。コロナ禍でずっと人ごみ激しい特急は避けて普通電車ばかり使っていたのだが、久しぶりに直通特急に乗った。特急電車は素晴らしいスピードで疾走し、西宮だの尼崎だのに停まって、それから30分ほどで梅田についた。
 阪神大阪梅田駅から阪急大阪梅田駅に向けて、立派なコンコースを人ごみをかき分けつつ歩いていく。阪急デパートのショーウィンドウを眺める。いつも季節に合わせた美しい飾りつけをしている。でも今はちょっとおとなしめの飾りつけにしているようだ。

このルートに動く歩道がある。日本において最初に動く歩道が設置されたのは阪急だと聞く。おそらくここのことではないだろうか。もちろん関西人はせっかちなので動く歩道に乗って立ち止まる人などほとんどいない。みな動く歩道のうえを歩いている。関西に来た最初のころ、私はここを歩くのがこわかった、動く歩道の上をさらに歩くと当然ながらそれなりのスピードになる。そのまま動く歩道を渡り切って、普通の通路にでるとき、身体はそれなりのスピード感覚のまま、急に足元のスピードが落ちるので身体のバランスが崩れそうになる。これが大都会の洗礼かと思ったが、数回ですぐ慣れた。関東ではあまり歩かないと聞くがほんとうだろうか?
 ちなみに大阪人の歩行速度は世界一という話を昔聞いたことがあるが、今では神奈川や東京の方が早いそうである。

 上記サイトを見るとやはり都市部が歩行速度が速い。特に関東が早い。関西も早いが首都圏ほどではないという結果のようだ。大阪は6位。首都圏4県と岐阜県に次ぐ。理由があるだろう。それは平均年齢。首都圏には今でも全国から若者や働き盛りの年齢の人々が集まってきている。一方、関西にもある程度流入しているが首都圏ほどではなく、高齢化の面で首都圏より進んでいる。年齢が高い層が多くなると歩行速度の平均は遅くなるだろう。
 失業率の違いも影響しそうな気がする。仕事をしている人はやはり歩行速度も速くなる。仕事に追われ自然と早足になるだろうから。失業していればやはり仕事をしていたころより歩行速度は遅くなるのではないか。かつて大阪は東京以上に活気のあふれる街だった。そこに生来のせっかちな傾向が拍車をかけて、歩行速度日本一を誇っていた。その大阪も東京一極集中の影響で経済が失速を続け、若者の流入が減り、流出が増えた。高齢化が進み、失業率も高くなり、人々も元気がなくなった。それで歩行速度日本一の座を関東に譲ってしまった。そのような大阪の悲しい歴史がそこにはあらわれているように思う。
 それでも歩く歩道の上で立ち止まることはしない。立ち止まらない限り、いつの日か大阪は復活するだろう。東京においつかなくていいから、せめて名古屋や福岡に追い抜かれないようにしてください。
 目の前にエスカレーターの巨大な壁が迫る。6列くらいずらりとならぶエスカレーターを昇っていくと、そこは日本最大の頭端式ホームを有する阪急大阪梅田駅である。改札機がずらりと横にならんでいる。その数43台、一列に並ぶ改札機のその数日本一だそうである。確か自動改札機も関西発祥。ここがそうなのかもしれない。

 阪急梅田駅のこの壮大な眺めはかつての大阪の繁栄の残り火だ。私が子供のころ、つまり今から40年近く前、ある本には、日本でもっとも人の乗り降りの多い駅は大阪の梅田駅だと書いてあった。たしか阪急梅田駅と書いていたのではなかったか。今は違う。新宿駅や渋谷駅、池袋駅に差を空けられている。阪急梅田(およびJRや阪神、地下鉄など)を含む大阪駅の乗降客数は日本4位(世界4位でもある)である。すぐ後ろに東京駅や横浜駅が着けている。そのうち抜かれるのではないかと思う。
 上記サイトによると自動改札機はロームが最初に開発したそうだ。ロームは京都の会社。一路ロームの本拠地京都に向かうために私は特急電車京都河原町行きに飛び乗った。
 座ることができたのはボックス席だった。前の席に非常に美しい女性が座った。正確に言うと美人の雰囲気を漂わせた女性だ。私は女性の顔を盗み見ることもできないヘタレなので、実際美人かどうかちらっと見てみる勇気もない。見ないだけに想像の中で前の女性はとてつもない美人に変貌する。それこそ長澤まさみか石原さとみ、仲間由紀恵か中谷美紀、吉永小百合か原節子という感じに。座っている姿勢そのものがなんとも美しい。両膝に両手を揃えておいてじっと座るその姿勢、いまどきどんなお嬢様なんだろう、と思いつつ私はうつらうつらしだした。私はその女性と実は幼馴染で、子どものときよく遊んでいて、家の近くのドラえもんに出てくるような空き地の土管の中で、「大きくなったら結婚しよう」と約束し、実際小学校6年生くらいから相手を女性として意識しだし、いつとはなく付き合いだして、中学の時はバスケ部とバレー部にお互い所属しつつ、同じ体育館の隣り合ったコートをつかっていたので部活の終わりに目配せしあい、一緒に帰ったり、帰り道で彼女に勉強を教わったりしたが、結局、高校進学で別々になり、「ああ、俺は勉強がなぜできないんだ、彼女は進学校かあ、一緒の学校にいけなかった自分が情けない」と河原で大声で泣き、その後私は都会に出て、介護の仕事をしながら狭いアパートで貧乏暮らしをしていたが、10年後に彼女があらわれ、思いのたけを彼女にぶつけたが、彼女に「私もう結婚してるのよ」と言われ、よく見ると彼女によく似た美しい赤ちゃんを彼女は抱いていて、幸せそうな笑顔で子供に「かわいいわねえ、私の原節子ちゃん」という彼女を見て、私は自分の運命を呪い、10日間酒を飲み続け、自分の運命を呪い続けながら引きこもり生活をしたのち、思い直して勉強に勤しんだら見事進学校に合格し、晴れて彼女と同じ高校に進むことができて、そこで河原で大声でプロポーズをし、二十歳で結婚をし、子どもができて、その子も彼女そっくりのかわいい女の子で、原節子となずけて可愛がり、私は仕事が順調にゆき、介護福祉士の最高資格である介護福祉士10段をとって大金を稼いで、妻と子供(原節子)のために大きな一軒家を建て、幸せに暮らしていたが、そこへ元夫があらわれ、刃物を持っていて、大乱闘になり、切り合い、殴り合い、蹴り合い、撃ち合いしたあげくに私は瀕死の重傷を負い、彼女がかけつけ、元夫に寄り添って「あなた、よくやったわ、ありがとう。あなたのおかげでこんな男から逃れることができた。うれいし。やっと悪夢から目が覚めることができるわ」とかのたまい、私は大声で「なぜなんだ、○○子!」と中学時代の片思いの同級生の名前を叫んで、それから目が覚めた。電車は終点の河原町についたところだった。夢の中で何度か大声を上げたが、寝言で変なこと言ってなかったかなあと少し心配になった。前の女性が立ち上がろうとしている。夢の余韻が色濃く残っているおかげで、本来憶病で女性のほうなんか見ることができない私はいつになくその女性の顔を見ることができたのだがその顔は、確かに美しかったがその分冷酷なほどに蔑んだ表情をして私を睨みつけていたので、私はなにか相当変な寝言を大声で言っていたのだと思う。もう阪急京都線には乗れないかもしれない。
 河原町で降り、ごった返す人並みにのって地上に出る。こころなしか周囲の人が私のほうを盗み見てクスクス笑っているように思える。被害妄想か?四条通の北側に出た、すぐ横が交番で、その少し先に有名な先斗町がある。

 さすがに風情がある。美しい。京都の町屋は縦に長い。建物と建物の間の路地を見てみると、ずっと向こうまで建物が伸びているのが分かる。その路地も石畳の良い風情のある路地である。一本一本歩いてみたいくらいだが、さすがにそれはやめた。
 外国人が多い。昼間有名な寺社仏閣を巡って、夜はこのあたりの繁華街や古風な街並みを楽しんでいるのだろう。中国からの人も多いが、どちらかというと欧米人らしき人々が多いように感じた。先週行った河口湖や尾道などは中国の人が多かったが、国によって観光地の好みが分かれているのだろう。
 先斗町を抜けて三条に出る。三条大橋は東海道53次の終点である。欄干に古い擬宝珠が残っており、その中の1つ、西から数えて二つ目の擬宝珠には刀傷があって、それは池田谷事件のなごりではないかなどと袂の説明板に書いてあったが、どれが刀傷か暗くてよくわからなかった。
 三条大橋を渡り、少し南に戻る。祇園白川に出る。京都でももっとも風情のある一帯である。川向うに町屋づくりの高級料亭が並ぶ。あの中で食事をしている面々はどのような人々かと想像する。関西経済界の重鎮たちかもしれない。それこそロームの社長が「いやあ、うちがなければ日本に自動改札機は生まれなかった、自動改札機がなければいつまでたってもJRさんも阪急さんもキップを切る職員を雇わなければならないんだから、それが節約できた分、うちのおかげで大儲けしたはずだ。」とかいって阪急の社長が額を畳にこすりつけつつ「まったくもってロームさんのいうとおりで。今後ともよろしくお願いいたします。これはほんのこころばかりのものでして」と賄賂(何のための賄賂かわからないが)を渡しているかもしれない。よくわからないがあの中でなにか関西経済や関西の政治にかかわる重要事項が決められているのかもしれないなと思いつつ柳や桜の木を眺めていると、なんともいえない味わいが感じられる。
 このあと行く花見小路もそうだったが、やたらとカメラ禁止の看板が目立つ。よく見ると私道での撮影禁止と書いている。この辺りは私道なのか?そうではないように見えるがとおもいつつ写真を撮るのは遠慮した。

 祇園白川から四条に向かう。少し東に行くと花見小路が南にのびている。ここも古い町屋が立ち並び、それらの家々が料亭などになっている地区である。弁柄色の壁が美しい街並みだが、やはりカメラ禁止の看板があるので写真は遠慮した。私道というのはもしかしたら、家と家の間の狭い道のことかもしれない。大きな通りは写真を撮っても問題ないようにも思うがよくわからない。

街を散策する中でいくつか史跡を見つけた。それらの写真は撮ってある。

 一つは坂本龍馬と中岡慎太郎の受難の地。近江屋という料理やの前で殺害されたらしい。場所は四条通の交差点から北に行った奈良屋町というところ。

それから出雲阿国の像。出雲出身の彼女は京都ではこの辺りで興行をしていたそうだ。彼女の興業がもとになり、歌舞伎が生まれる。場所は四条大橋を東にわたってすぐのところ。京阪の駅に降りる入り口の近く。
 少し歩くだけでもいろいろ楽しめる街、それが京都だと思った。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?