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入院2日目(聴神経腫瘍開頭手術・当日)

(この話の続きです)

手術前。

手術当日。

手術は午前8時30分からだ。朝は絶食なので、ただ、その時を待つ。前日に関係者各位があれだけさまざまなバリエーションでつらい手術であることは伝えてくれたが、そこまで言われる手術というのはいったいどのようなものなのだろうか?

帝王切開は二度経験した。
意識のある中、局所麻酔で腹を切るのだが、あれのつらさはメスで切られているときに自分の腹の焼ける匂いがすることだと思う。赤子が出てくるにしては傷口はそれほど大きくなく、産後の女性の驚くべき回復力も相まって、術後も意識は明瞭だった。当日は絶食のため、「お腹が空いた」と言えるほどの生命力がみなぎっていた。

もちろん傷口は痛むが、赤子の授乳のために2時間ごとに起こされるため、体全体の回復の遅れのほうがつらかった。

そうした痛みと、今回の手術はどう違うのだろうか。

8時になる少し前に夫が病室にやってきた。術中に何かあったときにサインするためもあるのだろうが、この日だけはコロナ禍のさなかでも付き添いが必須だった(一般のお見舞いは禁止されていた)。何時間かかるかわからない中、病院にいてもらうのは申し訳なかった。

病室で夫から子どもたちの様子などを聞いていると、いよいよ時間が来た。このときは、ベッドでがらがら運ばれていくのではなく、自分の足で手術室に向かった。手術室の前で、夫に手を振って別れる。

手術室はとても広かった。すぐにベッドの上に寝かされたので、何が置いてあったかをしっかり見ることはできなかった。何人もの人がぱたぱたと行きかっていた。

巨大な顕微鏡を使った手術だと聞いていたので、仰向けになったまま頭だけを四方にめぐらし、「どれが顕微鏡ですか?」などと呑気に話していると、周囲ではセッティングが完了したようだった。てきぱきと腕に注射をされたかと思うと、

「数えますね、1、2、3…」

記憶が途切れた。

手術完了。

暗い夢を見ていた。

真っ暗闇に夫がいた。私はひどく悲しい気持ちだった。そのうえ苦しくて、苦しくて……。

すると、目の前が回った。暗い景色がゆっくりとゆっくりと渦を巻いた。暗い渦の中に飲み込まれるような……。

意識が戻ったようだった。しかし、目を開けたはずなのに、目の前の景色もまた渦巻いていた。

眠りから覚めた、というのとはやや異なり、夢と地続きで回転していた。ぐらぁりと回転する世界、夢の続きと現実がつながらず、「ここはどこ、私は誰」に近かった。(あとから思えば、この回転感覚は、全身麻酔のせいだけではなく、手術箇所が耳であることも関係していたのかもしれない)

目を閉じてからもう一度開くと、上を見ているのに下を向いているような変な感覚があった。何を言っているかわからないと思うが、本当にそうだった。

世界が回転をやめるまで、時間がかなりかかっていたのか、ものの数分なのかはよくわからない。ただ目を開けた状態でいると、「終わったよ!」という誰かの声がした。いろいろな声が聞こえる中、「全摘だよ!」という声もあった。

全摘!
そうだ、手術が終わったんだ!

と、認識するのとほぼ同時に、

『ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

という叫びが脳内にこだました。今まで感じたことのないようなドーンという痛みが突如襲ってきたのだ。

自分の体を痛みが占領しており、痛い、死ぬ、苦しい、と叫びたいのに、実際には叫べなかった。体中がまるで言うことを聞かず、ぐったりとして、声を出そうにも、「うう……」という、うめき声になってしまうのだ。

痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。痛い。傷口は頭蓋骨の右半分だが、痛みがどこからきているかわからなかった。
そして、なぜだかわからないが、ものすごくしんどいのだ。運動をして体力を使い切ったときのようなしんどさではない。体の力が失われ、私の言うことを聞かない、といえばよいだろうか。体は苦しいし、動かそうとしても動かない。死んだことはないからわからないが、死に近づくと人はこうなるものではないかと思った。

はたから見れば、ただベッドに横たわってうめいているだけである。そうこうしていると、「CT取りに行くからね」とベッドが動き出した。ベッドが運び出されるころに、執刀した主治医が「神経残したからね」と私に言った気がしたが、そのときの私はただただ「苦しい、しんどい」とぶつぶつ言っているだけの何かになっていた。

痛い、助けて、つらい、なんとかして、しんどい、と呪文のようにぶつぶつ言っていたが、運んでくれていたみなさんが認識していたかはわからない。地下にあるCT室までベッドで移動するが、廊下の継ぎ目でがたんとするたび痛みが増すのがまたつらかった。体はまったく動かせないので、まな板の上の鯉さながらにCT台に乗せられる。この台に乗せられるときもまた痛い。

声が出ないのは、ある意味良かったかもしれない。声が出るものならずっと泣き叫んでいたと思う。そういえば、涙も出なかった。

ICUへ。

CTで手術直後の撮影をしたのち、ようやくICUに運ばれた。早く楽になりたかったので、恐ろしく長い時間のように感じた。

ICUに入ると、「ずいぶん暗い部屋だな」と思ったが、すでに夜の9時を過ぎていた。病室を出た後、12時間以上が経過していた。長い手術だった。

そこで夫とようやく再開した。「大丈夫?」とかなんとか聞かれた気がしたが、ここまで述べてきた通り、痛みが全身を占拠しており、会話ができるような状態ではなかった。12時間も待たされた夫には感謝の気持ちでいっぱいではあったのだが、大丈夫と返せるような大丈夫さは、このときの私にはなかった。

「しんどい」と何度かつぶやいたら、夫は会話をあきらめてすぐに帰ってしまった。私の絶望的な「しんどい」をもう少し聞いていてほしかった。「そうだね、しんどいね」と言ってほしかった。ああ、つらいな。つらい手術だな。

夫が帰ると、ICUの看護師に私の体は託された。このタイミングではまだ、自分がどんな姿になっているのかも認識できていない。体はまったく動かないし、もしかしたらものすごい顔面麻痺が出ているのかもしれない。このしんどさの正体は何なのかもわからない。こんな状態からどうやって人間は回復するのだろうか。

当然まったく眠ることはできず、長い夜を過ごすことになる。


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