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献身の人が紡ぐ支援の輪

 今回のタワウ滞在では、前年同様デイビッドさん(以下敬称略)という方があらゆる面で私たちのフィールドワークをサポートしてくれた。現在54歳、普段はジョークでみんなを笑わせてくれる明るい方だ。しかし話すうちに、私は彼の生い立ちからバジャウとの関わりまでを知り、その献身的で慈悲深い人間性に深い畏敬の念を抱いた。

 デイビッドは韓国で生まれ育ち、27歳の頃からマレーシアのタワウに住んでいる。中華系マレーシア人の奥さんと結婚したが、当時の韓国は外国人に冷たかったため、マレーシアへ移り住んだのだという。

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     名物だというココナッツを片手に(一番右の男性がデイビッド)

 デイビッドの住むタワウの町からカラプアン(Kalapuan)島までは車とボートで数時間かかる。デイビッドは二週間に一度というペースで島に訪れ、そこに住むバジャウ(※1)の人々にとって重要な薬や食材を配るなどの支援活動を行っている。

※1)バジャウは基本的に海の上で流動的に生活するが、カラプアン島に住むバジャウは浜辺や浅瀬に木で家を作り暮らしている。「海の民」と呼ばれる彼らには国境の観念はなく、国籍もない。人口約1200の小さな島に住む彼らはバジャウ独自の言語を話す。人々は主に漁師として働き、自給自足の生活を送る。

地図

赤い印がカラプアン島。この島に行くには、デイビッドが暮らすタワウという街から車で二時間弱、その後ボートで40分ほどかかる。

 バジャウの子どもたちと交流したカラプアン島を後にし、マレーシア本島に無事に着船した後、デイビッドは自分の生い立ちやバジャウについてなど、色々な話をしてくれた。

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カラプアン島では海沿いに家が並ぶ。海の民と呼ばれるバジャウの人々は、海の上に家を建てることが多い。

 デイビッドは今では島の人から篤く信頼されているが、カラプアンに住むバジャウの方々はかつては外からきた人々に対してとても攻撃的だったそうだ。
 12年前、デイビッドが初めてカラプアン島に行った時には、島の人々は歓迎してくれなかった。島の人々はムスリムであり、キリスト教徒のデイビッドを受け入れることができなかったためだ。島の人々は石や武器を持ち出してきて、デイビッドの友人と争いにもなった。
 警察にもう島には来るなと警告された。しかし、デイビッドは「行かなければならない」と思い直し、繰り返し島に通い続けた。
 島の人々はデイビッドを警戒し、相手にしない。特に島の女性はデイビッドを避け続けた。島外の人に対して何か嫌な記憶があったのかもしれないと当時の様子を振り返って話していた。

 それから島の人がデイビッドを受け入れるのには約2年もの月日がかかった。それは、心を開き始めた島の人の一言がきっかけだった。
「もし私たちを助けたいのなら、この島に学校を作ってくれ」
 デイビッドはすぐに取り組み、そして島に学校を建てた。

センポルナ小学校

デイビッドの建てた学校で学ぶ子どもたち。普段は子どもたちに、数学・英語・マレー語・芸術を教えている。(2018年撮影)

「なぜ彼らのためにそこまでしたんですか?」

 口をついて出てきた質問にデイビッドは一言で答えた。

「彼らを助けたかったから」

 デイビッドが島に通い始めた当時、島の人々はとても短命だった。前回来た時に遊んだ子どもが次にやってくるともう死んでしまっているということがしばしば起こったそうだ。

 島の人々は島外のシステムを嫌い、独自の生活様式を築いているため、彼らにお金を渡してもすぐに海に投げ捨ててしまう。デイビッドは薬を渡して、どうにか島の人の役に立とうとした。
 また、当時の島には独特の風習があった。生後間もない幼児やまだ小さな子どもを島のお墓に一晩中置きっ放しにするのだ。子どもは一晩中泣き続ける。そのまま外で子どもが死んでしまうこともあるのに、その風習をやめなかったそうだ。デイビッドはそれをやめさせるためには教育も重要だと考えた。

 今では彼の献身的な誠意が十分に伝わり、島の人からヒーローと呼ばれるほどに頼られている。物資の支援だけではない。2018年にIS系組織によって、島付近で大規模なテロ事件が起こり島の人が怯えているときは、危険を顧みず島に励ましに行ったこともある。島の人は泣いて喜んだそうだ。
「誰もいない道を一人で運転して、港まで向かうときはとても怖かったよ」
 デイビッドの表情はその時の緊迫感を物語っていた。

島の人たち

カラプアン島のバジャウの人々。デイビッドと私たちがやってきたのを知ると、あちこちから島の人が集まって来てくれた。

 さかのぼること12年前、それまで外の人を拒絶し続けていたカラプアン島に上陸することが可能となったのも、その卓越して献身的な人間性によるものだ。デイビッドはある日出会ったみすぼらしい男とその家族を不憫に思い、50リンギット(≒1250円)のご飯を奢ったそうだ。
 しかし、その男は海が綺麗な観光地マタキン(Mataking)島のオーナーだったことがのちにわかった。

「あなたは私たちに恵みを授けてくれた。私たちもあなたに恵みを授ける」というオーナーの申し出に、どう応えるか考えた末に、自分をスタッフとして雇って欲しいと頼んだ。
 当時は警察に止められてしまい、カラプアン島には行くことができなかった。スタッフとしてならカラプアン島に行くことも許されると考えたのだ。

 オーナーに理由を聞かれ、デイビッドは「バジャウの人に会いたい。彼らを助けたいのだ」と答えた。そうして12年間島の人々の暮らしを支え続けてきた。

「きっと神は祝福してくれる。どのようにかはわからないが」

 韓国にいた頃はキリスト教の歌手をしていたデイビッドにとって、このように善く生きることは、キリスト教の信仰と密接に結びついていることが伺えた。隣人を愛せよという教えを忠実に守っているようだった。
 キリスト教の歌手をしていた頃のバンドはそれなりに有名だったんだと自慢げに笑っていた。刑務所や病院など人々がとくに励みを必要とする場所で演奏するのが仕事だったそうだ。
 当時のバンドの仲間は今では大学教授や指揮者として活躍している。デイビッドにもたくさんの企業が雇用の申し出を持ちかけてくるが、友達(バジャウの人々)に会えなくなるからと断っているらしい。

センポルナディナー

食事をしながら、バジャウの人たちとの思い出を語るデイビッド。マシンガントークでわたしたちを楽しませてくれた。

 旅の間、デイビッドは私たちに来年も必ずセンポルナに来てくれ、来てくれないと泣いてしまう、としきりに訴えていた。どうしてデイビッドはここまで大学生である私たちに良くしてくれて、サポートをしてくれるのか。それは、私たちが島の外から来て現地の子ども達と交流することが子ども達にとってとても重要な経験だからだと答えた。

「お金をたくさん持っているわけではない。だから、僕は島に人を連れて行く」
 デイビッドは金銭的な援助の代わりに、人とのつながりで島を支援している。

 カラプアン島には医者がいない。しかも、カラプアン島の人はマレーシア人と認められていないので、医療費は桁違いに高くつく。マレーシア国籍の人が通常5リンギットかかるところを、カラプアン島の人は1000リンギット以上かかることもある。それにもかかわらず、デイビッドが島の人に薬を渡すとマレーシア政府が怒るのだ。彼らがマレーシア人ではないからである。そのため、デイビッドは知り合いの医者を連れて行って、島の人を診療してもらっている。

 無料で診療を頼むわけにはいかないので、デイビッドは彼らに綺麗な島々を案内してあげたり、観光地のマタキン島に格安で泊まってもらったりする。そうやって、島の人たちを助けてもらっているのだという。医者に限らず、誰もが才能を持っている。だから、助け合うことが大事なんだと力強く話してくれた。

 しかし、外から来る人の中には、お菓子を投げて渡す金持ちなどもいるようで、デイビッドはそのことに憤っていた。
「バジャウも韓国人も日本人もみんな人間なんだ。敬意を持たなければならない」

 その昔、デイビッドの祖母は日本で無賃で働かされていたという。しかし、日本のキリスト教徒たちが生活を助けてくれた。政府やその政策を憎んでも日本人を憎んではいけないというのは、その祖母からの教えだそうだ。その教えは現在も強固な信念として生きている。

センポルナ 最後 見送り

  明るい笑顔で、船を見送ってくれるバジャウの人々。

 デイビッドの人間性と信仰心に裏付けられた信念は、島に上陸してから12年経った現在も島を支援する人を結び続けている。デイビッドは来年も私たちが来るのを待っているだろう。無国籍ネットワークユースのまだ見ぬ新たなメンバーとともに、このつながりを継続し、問題の発信を続けていけるよう願ってやまない。


執筆|髙橋礼
編集|無国籍ネットワークユース

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